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自我を明らかにする3つの視点(2)

(2)空の自我


自我の2つ目の視点として、(1)のミードの自我の見解に、認知科学者で、天台宗の僧籍を持つ苫米地英人氏の見解を重ね合わせたものを、ご紹介します。

苫米地氏は、自我を「現実世界との関係性によって生じるネットワークの結び目」と定義し、本質は「空」としています。

空とは「無」と「有」を同時に満たし、全ての存在を包摂する、現実世界で最も抽象度の高い概念です。
 
では、どうして、自我が「空」であるかを考えてみましょう。
 
自分に関連する、「年齢」「性別」「住所」「家族」「職業」「趣味」などの情報を多く集めることで、自分を定義できるように感じます。
 
しかし、全ての存在は「他との関係性」に過ぎません。対象との関係性が変わると、「自分とは何か」という説明も変わってしまいます。
 
たとえば、「子供としての私」「鍼灸師としての私」「野球が好きな私」、私には様々な側面があります。このような「見つめられる自分」側から、自我を説明しようとすると、それぞれ別の表現になってしまいます。そのため、固定した自我を説明できないので、自我は「無」と言えます。
 
一方、「見つめる自分」側から、先程の自分を定義するために用いた情報を重要順に並べ替えることで、「自分とは何か」が明確に説明できます。
 
たとえば、「私にとって、価値観は、精神性、仕事、健康、人間関係…の順に大切にしています」といったように、優先順位を定めることで、「私の最高価値は〇〇な精神性なので、仕事では、~のように心掛けています」というように、自我のイメージが、より具体的に浮かび上がってきます。その意味で、自我は「有」と言えます。
 
このように、「見つめる自分」・「見つめられる自分」、どちら側から観察するかによって、自我には、「無」と「有」の両方の側面が含まれていることが分かります。

つまり、自我は、「有るようで無い」「無いようで有る」といった性質でということから、「空」なのです。
 
自我は空なるものだけに、大半の人が「自分とは何か」という問いに明確に答えられないのも頷けます。
 
ここでの最大のポイントは、「見つめる自分」側から、自分に関わる情報を重要順に並べ替えると、自我が「有」になるというのが、何を意味するかということです。
 
たとえば、Aさんの価値観の重要順が「生涯教育・精神性・仕事・健康・お金…」だったとしましょう。そして、このAさんが「仕事で成果が出ない私は価値が無い」という自己認識を持っていたとしたら、最優先にすべきことは、何でしょうか?

それは、仕事の優先順位を上げることです。そして、仕事の明確な目的を設定することで、自我そのものを直接、操作しなくても、自我が変容していきます。

そして、情報空間側の自我を動かした結果として、その影響が、現実の物理空間に及ぶことがあるのです。

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