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「英語が出来れば国際人になれる」という壮大なデマと弊害。

私が英語を3年間学んだ中学を卒業してから丸々30年になろうとしていますが、もうね、私が子供だった頃から今に至るまで、大人たちは、ず~~~~~~っと言ってますよね。

「これからの国際化の時代には英語が必要だ!」

って。

マジで、ずっと言ってる。

私の同年代の友人は、中高の6年と大学でプラス2年くらいは英語を学んでいる人も多いですが、英語がペラペラな人なんて1人もいません。

そもそも、海外旅行に行った時に、適当イングリッシュで身ぶり手ぶり込みでコミュニケイトすること以外に、英語なんて全く使わない人がほとんど。

そんな感じの英語教育の成果しか出ていないのに、それでも「英語が出来ればインターナショナルピーポーだぜ!」っていう変わらぬ妄想は、「小学校の高学年から英語をやらせる!」っていうところにまで行き着いています。

アホ?

私からすれば、極めてアホな教育政策だと思うわけですが、その理由を3つ述べます。


・国際人とは何か?
・母国語で学ぶことの重要性
・国語力こそがコミュニケーション力の基礎


まずね、「英語を話せれば国際人になれる」ってことを、私が子供の頃から今に至るまで信じている人は、日本国内にも20億人くらいいるわけですが、だったらさ、イギリス人やアメリカ人、フィリピン人や、その他、英語を公用語にしている国の人達は、漏れ無くみんな国際人なの?

そんなわけないよね?

まあ、「英語が喋れる人は国際人」っていう風に定義している人ならば別ですが、私は、国際人ってのは、

「自国の文化や歴史を知り、それが民族に及ぼしている精神性なんかをスタイルとして身につけて言語化出来、他国の人々のそれぞれの文化に敬意と礼節を持って接し、多様性を認めた上で、結果、相手と出来るだけ楽しくニッコリとしたコミュニケーションが出来る人」

っていう風に定義します。ザックリとですが。

もちろん、そこに「語学力」というのも加えてしかるべきで、それを自分の言葉で伝えられるのとそうでないのでは、雲泥の差があるでしょう。

でもね、どれだけ英語がペラペラでも、バカはバカなんですよ?

むしろ、英語がペラペラなバカの方が、世界にバカを拡散させるだけなので、タチが悪いとも言えます。


私が昔、半年ほどドイツでボランティア活動生活をしていた時。

向こうのドイツ人男子と日本人の女子と3人で飲みに行ったことがあったんですが、ホロ酔いだった帰り道、そのドイツ人の彼に、「俺は兵役を拒否して、その代わりに社会福祉活動でこの施設に来て働いているけど、お前はそれをどう思う?」ってことを聞かれたんですね。

で、私が彼に何を言ったのかは覚えてませんが、通訳してくれた日本人女子が、「難しすぎて訳せない!酔っ払ってるし!」って言ったのは覚えていますw

そこでね、ペラペラなドイツ語で、「わかんないけど、いんじゃね~!」って返すのが国際人ですかね?ペラペラな英語で、「っていうか兵役って何?」って返すのがインターナショナルピーポー?

当たり前なんですが、語学がどれだけ達者であろうが、知識も教養も自分の意見もなく、世界や世間や相手の話にも関心がなく、「何にも考えていない」という人間が、人に好かれます?

子供なら別だけどさ、それはどう考えても「目指すべき国際人」っていうものとは違いすぎるものだと思うんです。

だから、「英語が喋れれば国際人になれる」っていう前提が完全におかしい。


もう1つ、母国語で学ぶことの重要性ってものについて。

私がこれまで出会った、「子供の頃にアメリカにいた」っていう、いわゆる帰国子女の人で3人くらい、「難しいことを考える時は英語で考える」ってことを言っていた覚えがあります。

私個人のデータですし、サンプルとしては少なすぎるのですが、本を読んでいてもそういうケースは結構出てくるので、あながち間違いではないのでしょう。

人間というのは、「子供の頃に母国語として取り入れた言語」によって、思考形態を獲得する生き物らしい。

それはアイデンティティにも繋がるものであり、例えばね、私は、「愛してる」って言葉は、リアルな生活の場において感情を込めて言うこととしては、人生で1回も使ってことがありません。

なぜなら、私が言語を獲得する幼少期から思春期あたりまでにかけて、自分の周りの他者から、感情を込めて「愛してる」と言われた経験がないから、その言葉にリアリティがないんです。

当然、意味はわかりますよ?歌の歌詞や、詩や、文学として使われているものも全然理解出来ます。でも、自分が感情と体温を込めて言う言葉としては「愛してる」って言葉はリアリティがないから使わず、使うんだったら、「好きだよ」を使います。

そっちにはリアリティがある。強いリアリティが。

でね、同じように、言語を獲得する時に「好きだよ」と言われていたのか、「アイラブユー」と言われていたのか、「ジュテーム」なのか「イッヒリーベディッヒ」なのかで、自分の中での愛の表現のリアリティは全く変わります。

日本人であれば、「好き」という代わりに、桜や月や雪を好きな人と一緒に見て、「10年後も、20年後も、30年後も、この桜を一緒に見ていようよ。」って言葉は、「アイラブユー」って意味で全然通じますよね?

言葉というのは、そこに、その民族が持つ文化や郷土がもたらす精神性込みで表現されるものというのが必ずあるので、それをすっ飛ばして「子供の頃から英語を学んでおけば国際人だ!」っていう思考は、極めて短絡的なものであると思うんです。

「わびさび」を理解している日本人は多いでしょうが、それを日本のことを全く知らない外国人に伝えるのは極めて難しい作業です。

「散り際は綺麗にしたいね」っていう言葉なんかはね、日本人なら誰でもそれを聞いた時に桜を思い浮かべ、その美しい様を自分の人生のスタイルに投影しているってのは1発でわかりますが、これも、砂漠に住んでいる外国人に伝えるのは、極めて難しいですね。

それは、日本の文化を日本語で学んだからこそ、リアルに獲得できる価値観と世界観です。


で、それに付随する3つ目のお話ですが、コミュニケーション力というのは、国語力なしでは成立しないんですね。

中高や大学の試験なんかで、

「~~~~の文章を作者はどういう意図で書いているのか、次の4つの中から1つ選びなさい。」

ってのがありますよね?

それが苦手な人も多かったと思います。

でもね、それを間違えてばかりの人は、リアルなコミュニケーションでも相手の気持ちを読み間違えている可能性は極めて高いです。

言ってもいないことを「そう言った」って勘違いする人や、冗談で言ったことを冗談としてとらえられない人や、真剣に怒っているのに真剣に怒っているととらえられない人や、言ったらいけない場面で言っちゃあいけないことを言う人や、そういう人がそういうことをしてしまうかなり高い割合に「国語力がない」ってことが確実にあると思ってます。

簡単に言えば、「文脈が読めない」ってことです。

「そんなもん、国語力と関係あるの?」って思う人も多いでしょうが、おおありです。

国語力が明確に低い子供たちは、妊娠しているママと同じような体型をしている近所の太ったオバさんに「オバちゃんも赤ちゃん産むの?」とかってことを平気で聞きますよね?

電車やバスで隣に座っているハゲたおっさんに、「なんで髪の毛ないの?」ってことを平気で聞きます。

「言ったらいけないことがある・言ったらいけない場面がある・言ったらいけない人がいる」っていうアレコレを、成長する段階で言語化して学んで自分の中に取り入れているから、大人になったらそういうことはしなくなるんです。

それは、極めて単純で極端な例ですが、この世界にある様々な複雑な問題や事項についても、現在の状況を理解し、前後の文脈を理解し、最適な方法論を出せるってのは、「国語力の高さ」ってのは明確に影響します。

もちろん、「学校のお勉強としての国語の成績は散々でした」って人でコミュニケーション能力が高い人というのもたくさんいるでしょうが、そういう人は、話が上手いし、わかりやすいし、相手や状況をよく見ているし、っていうことも多いですよね?

それは、自分では意識していないけれど、「こういう場合はこうした方がいい。こういう時はこういうことは言うべきではない。」っていうような体系化された方法論を自分の中で確立して確かに持っているからこそ上手いこと行っているわけです。

そういう人って、たまたま、「学校のお勉強」というモノサシでは結果が出なかっただけで、国語能力や言語能力は元々高いはず。

もちろん、天性のものもあるのでしょうが、みんながみんな天性のコミュニケーションの才能を持っているわけではない以上、「お勉強をして学ぶ」ってことをしていかなければいけないわけですが、それの基礎中の基礎が「国語力を身に付ける」ってことです。

「村上春樹の作品を読んだことはあるけれど、小難しい言葉ばっかりで何がなんだか全くわからなかった」っていうような人が英語ペラペラになって、国際人としてまともなコミュニケーションを取れると思います?


「英語」「国際人」とかっていう、極めて抽象的な言葉はおいて、あなたが親として、教育する立場として、1人の人間として、自分が本当に尊敬していて、「こういう人になりたい」って思う人は誰だと考えますか?

「こんな立派な人になりたい、あの人に近づきたい、ああいう人のようでありたい」って思う人は誰ですか?

「その人が素敵なのは、英語が喋れるから。」っていうのはあります?

教育というのは、そういう素敵な人に自分が近づくこと、若しくは自分の大事な子供をそこに近づけて幸福になってもらう為にあるものですが、そこに「英語がペラペラであること」ってのはあります?

多くの場合、ないでしょう。そりゃそうだよ、語学力と人間性なんて関係ないんだから。

だったらね、少なくても、「英語が喋れれば国際人になれる」なんていう全く根拠の無い壮大なデマは捨てるべきです。

英語が不要だなんてことは言いません。喋れないより喋れた方がいいに決まっている。

ただ、「自国語を学んで、それを通して様々なものを身につけるべき小さい子供の時期に、『国際人には必要だから』って理由で英語を学ばせるべきなのか?」ってのは疑問です。

個々の家庭の教育によって、何をどうするのかは自由ですが、それを国として子供全員にやらせるべきことなのか?

それで国際人になれるのか?

そもそも国際人とはなんなのか?

小学生の子供に、「an apple」とかってことを教えて言わせるより、その時間に松尾芭蕉の俳句でも読んだ方が、よっぽど心豊かな国際人に近づくと思うんですけどね。


とまあ、長くなりましたが、まだまだ書き足りないことがありつつ、でも、長くなったので終わりにします。

ありがとうございました♪

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15年で4600件以上の記事を書いてきました。中学の頃から「人生」を考え始め、人生論、恋愛論、モテ論、教育論、コミュニケーショ論を研究してきた1人の男の考えをわかりやすく書き記した文章です。当たり前の意見ではなく人生を通して経験したものを思考のフィルターを通してお伝えしています。

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コメント (2)
ゴリさん、はじめまして。いつも拝見させて頂いております。
毎回拝見しながらコメントも書かずにおりまして申し訳ございません。
今回はどうしても一言言いたくて書きました。

「1mmたりとも隙間なく全くの同感です!」

ご清聴誠にありがとうございました♪
ありがとうございます♪
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