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2.カフカの街を

 電柱のてっぺんや電線にたたずむ黒いシルエットといえば、カラスです。仲間と鳴き合いながら飛んでいくこともあれば、眼下の人間を見下ろして何か鳴いていることもあります。かわいらしく見えることも、不気味に見えることもあります。

 沖縄本島のカラスは、以前は北部にしか棲んでいませんでした。島の中心部にある恩納村、うるま市石川を境にして、北側には「やんばる」と呼ばれる森、山が連なっています。その山から飛んできて、国道や街の電線に止まって、しゃがれた声で鳴いているイメージでした。

 ただここ10年ほどで、生息範囲がかなり南に下ってきたように思います。沖縄市や北谷町などの、本島中部ではほとんどいつも見ることができます。南部に位置する那覇市でも時折、見かけるようになりました。

 沖縄の地元紙「琉球新報」で連載されている「琉球詩壇」から、詩を紹介する「詩の轍(わだち)―平成・令和編―」。今回はそんな沖縄のカラスを見かけた場面からはじまる、中里友豪さんの詩「カラス」をご紹介します。

カフカの街を歩いて
帰ってくると
カラスが一羽
まだ裸のウンマーギーの枝に
思索深げに止まっていた
心象と点景の偶然に思わず声が出た
おいおいおまえ、どうしてここにいる
ナハの街にカラスはいない
若い女性の腰のくびれのようなあたりから
森の深い北の方にしか住んでいない
はずだ
何を求めてここまで来た
おまえは見ただろう
戦後を引きずったままの七〇年
焦土から立ち直ったとはいえ
まだまだ緑は少ない
ねぐらにするには白すぎる
不条理すらしらじらしい
おまえのふるさとは
森のカンパチのように
あっちこっちにヘリパッドができて
オスプレイやらメスプレイやらが眠りを掻き乱す
かててくわえて辺野古の強権乱舞
もうイヤッ!
おまえはそうして逃げてきたのか
カラカラのカラス
これからどうする
南の方も騒々しくなっているようだよ

「琉球新報」2015.10.3

 「ウンマーギー」はモモタマナのことです。沖縄ではクワディーサーといいます。山之口貘の「世はさまざま」という詩に〈うむまあ木〉と出てきます。〈いつも墓場に立つてゐて/そこに来ては泣きくづれる/かなしい声や涙で育つといふ〉という一節があります。大きな葉が特徴で、枝が横に伸びて木陰をつくります。墓以外にも空き地や広場、学校などで見かける木です。日差しを避ける人々が休み、集う場にもなります。

 そんな沖縄の日常に溶け込んだ木の上で、日常にはなかったカラスが思案深げに止まっています。詩の主人公は、そのカラスに問い掛けます。「なぜこんなところに」と。

 その問いかけを契機に、主人公の視野は日常にある違和感、そして歴史の違和感に広がります。沖縄の人々が戦後、70年以上を生きてきた中で抱え続けた違和感。喉に刺さって抜けない小骨のような、不快なとげとの共存を強いられてきた沖縄の人々の心象が浮かび上がるような詩行です。

 やんばるの森はユネスコの世界自然遺産に登録されましたが、いちどユネスコに登録を拒まれた経緯があります。理由は米軍基地の存在でした。天然記念物が暮らし、驚異的な生物多様性を誇る希有な森があるにもかかわらず、隣接して米軍の基地や訓練場があることがネックになりました。恩納村や金武町では今も実弾砲撃演習が日常的に繰り返され、砲弾が撃ち込まれた山ははげ上がって赤土があらわになっています。国頭村の北部訓練場には米軍機が離着陸するヘリパッドがいくつも建設され、ブロッコリーを敷き詰めたような森にいくつもの「カンパチ」(頭の傷跡などにできる小さなはげ)ができてしまっています。

 そこから南へ飛来したカラスは何を求めてきたのか。詩の主体は「ねぐらにするには白すぎる」と言います。山が荒らされ、南に下ってきたとしても、むしろ米軍基地が過剰に集中しているのはまさに本島中南部だからです。

 本島北部の名護市などで高台から夜、南の方の空を見て気づくことがあります。なだらかに伸びる稜線の下は山なので真っ暗なのですが、その向こう側に、オレンジ色に光る空があることです。嘉手納飛行場や普天間飛行場のあかりが夜遅くまで空を照らしていることが分かります。その稜線から北と南では、夜空にまたたく星の数が違います。

 中里友豪さんは1936年生まれ、那覇市出身の詩人です。詩の雑誌「EKE」を創刊し、長い期間活動しました。1961年には「人類館」で知られる演劇集団「創造」の結成に参加したそうです。詩誌1998年に詩集「遠い風」で第21回山之口貘賞を受賞。詩集に『中里友豪詩集』などがあります。

 この詩はカラスへの視線に優しさがあります。沖縄の戦後史でひどい目にあってきた子どもや女性など、弱い存在から目を背けない中里さんの創作スタンスがあらわれていると思います。

 ちなみに、冒頭にでてくる「カフカの街」は「変身」で知られる作家のフランツ・カフカが生まれ育った、チェコの首都プラハではないかと思われます。

 中里さんは旅行かななにかでプラハを訪れていたのでしょうか。わたしは行ったことがないので、googleマップでプラハの街並みを見てみました。カフカの地元や生家がどこにあるのかは知りません中心街を見てみました。ヴァーツラフ広場。

プラハのヴァーツラフ広場。「プラハのシャンゼリゼ」と呼ばれる大通り/googleMap

 ヴァーツラフ広場は「プラハのシャンゼリゼ」と呼ばれる賑やかな大通りだそうです。名前の結来は「プラハの春」で有名なハヴェル元大統領かと思いましたが、それ以前からこの名前だったようです。

 チェコには行ったことがありませんが、ヨーロッパの街は気候の穏やかな印象があります。この街にもカラスはいるのでしょうか。強烈な光にあふれている沖縄とはだいぶ違いますが、このヴァーツラフ広場の写真をみるかぎりでは、曇り空ばかりが続く冬の沖縄に似ているような気もしました。沖縄でも曇天の下の電柱にカラスが止まっていたら、空間を越えて「カフカの街」に一瞬、戻ってしまったのかと錯覚を覚えるかもしれません。


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