見出し画像

1079_西加奈子「サラバ!」②

「サラバ!」とは。

タイトルから、本の内容が容易に推察できない。それは都合のいい時もあるし、悪い時もある。読んでみたら、あ、このタイトルしかありえないなっていうものもあるし、なんでこれなん?っていうのもある。

でも、読み出したらすぐだった。タイトルの先入観とか関係なしに、すぐに物語の中に深く没入させてくれる。そう、これはあれだ。読んでてドライブがかかる本だ。クイっと生で飲むように、読み出したら止まらない、ある種のそういう類の本。

文庫本で上中下で3冊あっても、上巻の途中から、圧倒的な巻きがはいって、下巻なんて晩飯食い終わって寝るまでの、ほんの2時間位であっという間に読めてしまった。

妻はめっちゃ読むのが早いが、僕は普通くらい。読むのにめっちゃ時間かかる本があるし。そもそも本の中身が頭に入ってこないものもある。逆に、中身が薄すぎて、読んだ後も「素」だったりする。

「今、俺になにかしたか?」みたいに。
本を読む前と読んだ後で自分がまったく変わらないのであれば、読んでも読まなくても変わらなかった、とも言える。残念ながら、それは自分には必要のない物語だったということ。我々は無自覚に取捨選択をしているのだ。

年にほんの数冊、出逢える、「間違いない」もの。いいぞ、これぞ、物語っていうもの。若いときは感性が豊かだかなんだかでなんでも感動しがちだからと、歳を取ると、そういうのが少なくなるかと思ったが、別に増えたり減ったりするものではないらしい。

当たり前だが、いいものはいいし、悪いものは悪い。是々非々。逆に若いときはピンとこなくて、歳をとったからこそ、自分の経験と照らし合わせてみて共感できるものも増えてくる。涙もろくなることも含め。なんでもバランスだ。実は人生って、よくできている。

そして、良質な物語に触れると、自然と言葉が溢れてくる。物語の主人公と自分を置き換えて、語りたくなる。いい映画を見たあとに、無性に誰かと感想を言い合いたくなるのと同じ。

逆も然りで、読んだあとに「いや、だから、なんなん?」って言いたくなるものもたまにある。そうなると、そこから特にこれといった言葉は生まれない。

「この物語は、きっと私のために書かれたものだ!」
そんな風に思わせるようななにかがあれば、いろんな人の深い部分にグサリと刺さるわけだ。小説でも映画でも絵画でも音楽でもそう。

自分が人生の主人公だと思わせてくれるようなもの、これによって人生の主導権を握って航路に立たせてくれるもの、そんなものにとてつもなく惹かれる。

「サラバ!」の世界に巻き込まれるにつけ、僕は案の定、そういう感覚に陥った。僕とまったくタイプの違う妻もある程度はそうだったらしい。

いったいどこにどう共感したのかをシェアしたかったが、「なんとなく、そう思った」と言うだけでなんともそっけない。妻はそういうものはよく言語化できないらしい。でも、それはそれで間違っていないと思う。

なんとなく言葉に出来ないけれど、感じるものがある。たぶん、この物語にも、世間のあらゆる人のあらゆる人生の一瞬一瞬のタイミング単位で溶け込まれている。そこに境目がないのだ。

誰かの人生のかけがえのない輝かしい一瞬でもあっても、また違う誰かのどうしようもなかったあの日の自分の一瞬でもある。だから、みんな、これは自分のための物語だと思う部分がある。

この物語の根幹にあるのは、「信じること」なんだなっていうのはよくわかった。そう、この小説のテーマは「信じること」なんです、だなんて自分で書いていて、なんて稚拙な表現だと思ってしまう。

でも、ホントそう。
人間、何を信じるか。それに尽きるのだ、人生。信じるも信じないも、あなた次第。委ねられているのだ、全てを。だから、僕らはこのフィクションの世界の創造主にもなれる。

年初にユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」を読んで、僕はハンマーで頭をガツンと叩かれた。「そうだ、この世界はフィクションばかりだぞ」と「王様の耳はロバの耳」だと言わんばかりに叫び出したくなった。

学校、会社、組織、社会、宗教、地位、お金、友達、家族、国、世界。すべてがフィクション、虚構。確かなものは何もない。ただ、サピエンスがその存在を信じているだけ。

僕たちはありとあらゆるフィクションに囲まれている。それに翻弄されつつも、それでも他人と比べるのでなく、自分だけが信じられるものって、果たしていったいなんなのか。

「あなたが信じるものは誰かに決めさせてはいけないわ」

あのエキセントリックでトリッキーな存在そのものの「姉」が「僕」に対して、そう語る。

これが正しい、あれが間違っている。世間の人はそう言う、お母さんや先生やテレビのキャスターやえらい政治家、みんなが言う。

でも、違う。これだけは自分の中で絶対に正しいことなのだ、誰からなんと言われようとも。決して揺るがなくて、自分が寄って立つ信じるべき幹みたいなものは、自分自身の力で全身全霊で打ち立てなければいけないのだ。

この物語は、「僕」の人生の37年間を通してそれを訴える。圧倒的な力のある美しい構造物のよう。偉大で荘厳で見上げるくらい、そんなとてつもなく大きな大きな構造物。

それが「サラバ!」
それが、それこそが「サラバ!」


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?