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179_YOASOBI「The Book」

「先生、YOASOBIって知ってる?」
「え、ああ、YOASOBI?」
廊下で山本が話しかけてきた。眼鏡に前髪が長いのに加えて、デカイ不織布マスクもしているから表情が掴みづらい。しかし、たぶん嬉々とした顔をしているのではないかと目の表情で読み取る。新型コロナウイルスの緊急事態宣言は解除されたが、その影響で夏が過ぎてもなるべく無駄な会話は避けるように中学校内でお達しがあったばかりだ。

俺は生徒の表情が掴みづらい分、感染を気をつけながらも、生徒一人一人となるべく丁寧にコミュニケーションを取るようにしている。他の先生も同じ認識だった。毎日のニュースでも新規感染者数やら死者数の数字が狂乱的に喧伝されている。大人でさえ戸惑っている状況なんだ。新型コロナウイルスの感染拡大が、この思春期の難しい時期の生徒のメンタルがどのように悪影響を及ぼしているかという不安が拭えない。

「知ってるよ、最近結構人気出てきているよな」
「あー、すげー先生も知ってるんだ。YOASOBI、いいよね!」
「うん、いい感じだよね、曲がよくて」
2020年のあの頃はまだYOASOBIがブレイクする前の話だ。確か、その年の紅白で初出場してから本格的に一般的に知れるところになったのだが、それまでは一部の音楽好きの間で知られる程度だったのではないかと思う。

おそらく山本はみんなにもYOASOBIの良さを知ってもらいたくて、いろいろと周囲に宣伝しているのだろう。生徒と話すこともコロナウイルスの話に関連してなんとなく暗い話題ばかりだったから、好きなバンドの話っていう、中学生っぽくて単純にポジティブな話題が、俺にとってもありがたかった。

俺は学生時代はバンドを結成していたので、生徒の間では音楽好きの先生ということで認知されているようだ。事実、未だに忙しい教師の仕事の合間を縫って目新しいバンドのライブには顔を出すことにしている。ただYOASOBIはYoutubeで少し見た程度だった。

「俺、学祭のフリーの方でYOASOBIやろうと思うんだ」
「やるって?山本は、なんか楽器できたっけ?」
「いや、俺は箱を叩いてリズム取るだけで」
たぶん山本が言っているのはカホンという箱を叩くパーカッションのことなんだと思う。この前、音楽の授業で取り扱っていたから、それに目をつけたのだろう。カホンは楽器といっても単純な木製の箱でしかないので、自分で手作りできるのだ。
「メインは前川なんだけどね」
「前川が?あいつは野球部じゃ?」

前川の姿が目に浮かぶ。前川はクラスで二番目くらいに背が小さく小柄で、くりくり坊主の野球部員だった。どうしても体格が小さいので、中学3年間レギュラーにはなれず、ずっとベンチ入りだと聞いている。前川は口数が少なく全然喋らないから、教師の視点からすればあまり何を考えているかわからない。前川がYOASOBIをやるっていうのがどうにも結びつかない。しかもメインでやるっていうのはどういうことだろう。

「あいつ、すごいんだぜ。まあ先生、本番では驚くよ」
「フリーの出し物の方で出るのか?歌うんじゃないよな?」
「歌うんじゃない。大丈夫」

うちの中学校の学祭は、例年はクラス出し物の歌唱や演劇を行うのが常だったが、新型コロナウイルス感染症の影響で全て今年は中止になった。ただ、生徒個人が自分で持ち寄って自主的に実施するフリーの出し物というものがあり、一芸を持っている生徒がそれに応募する仕組みだ。バンド演奏はもちろん、ダンスや漫才・コントなど幅広く生徒の中でも人気の企画だった。

ただ今年は感染の影響が少ない範囲でやる分には、ある程度内容を絞って認められていたのだ。例年であれば、きちんとオーディションも行って本番に出れる人もある程度絞ったりするのだが、今年はポツリポツリいる程度だと聞いている。新型コロナウイルスが生徒のやりたいっていう内発的な気持ちやエネルギーを奪っているようで、どうにもやるせない気分になる。

学祭の本番当日、全校生徒はみんな体育館に集められて、それぞれ間隔を空けて体育座りをさせて、ステージで行われるフリーの出し物だけを皆で見ることになっていた。例年であれば、ちゃんと暗幕で体育館全体を閉め切ってステージだけをライトアップしそれらしく整えるのだが、今年は感染防止対策のため窓やドアを全開にしているため、そういった趣向が全くない。普段の全校集会と変わらないのだから、これはやる方としてはなんともやりづらいだろう。

俺は前川と山本の順番がまわってくるのが不安だった。大丈夫だろうか。今年はオーディションもやっていない分、なんとも微妙な出しものが続いたが、ちょうど前川と山本の前のブレイクダンスで少し盛り上がったので、会場内の空気も少しばかり温まったのではないかと思っている。

ピアノが準備されて、山本と前川が出てきた。山本はカホンを手作りのカホンを持って現れ、前川はピアノの前に座った。大きいピアノとくりくり坊主でちっこい前川のコントラストがなかなか面白かった。生徒が皆これからどんなものがはじまるのだろうという好奇心の目を一心に寄せる。二人とも何も言わず、そしていきなり演奏がはじまった。

それは紛れもなくYOASOBIの演奏だった。ボーカルはいないし、山本のカホンのリズムはなんとも拙いが、前川の演奏は見事としか言いようがなかった。ところどころ間違えているかもしれないが、素人の耳には全くわからない。しかもメドレーで構成されていて曲間もなかったので、連続性もあって高揚感があった。YOASOBI自体はまだそこまで有名ではなかったので、大半の生徒は曲を知らない。生徒は呆気に取られていると言っていいのか、前川のピアノの巧さに魅入っている。女生徒の中には「あれって誰だっけ?すごくない?」と言う者もいた。

俺は思わず、生徒の前では決して出さないスマホを出して思わず動画を撮り出した。前川がここまでピアノが上手いだなんて、恥ずかしながら全然知らなかったのだ。なぜ得意なこの音楽を前面に出さずに、ずっと野球部で3年間ひたすら球拾いをしていたのだろう。こちらの方が何倍も脚光を浴びられるはずなのに。でも、前川ひとりじゃ決してこのステージには出てこなかっただろう。今年はオーディションもなくハードルが下がっているし、あくまで山本が前川を誘ったから今年のこの2人の舞台が成り立った、というところだろうか。

YOASOBIの高揚感のあるメロディラインに、段々と会場の空気が変わってくるのを感じる。「群青」の曲の中で、お調子者の山本が皆に手拍子を煽った。そうしたら、自然と皆も乗ってくる。声が出せない分、今年は手拍子だけが、ステージの上にいる者への最高のエールだ。前川も冴え渡る指さばきと、皆の手拍子と共に体でリズムを取っている。こんな彼の姿ははじめて見た。

会場は割れんばかりの手拍子に包まれている。新型コロナウィルスの影響で皆の心が沈んでいる中で、これは今年の学祭で一番盛り上がった瞬間だった。それは教師としても、本当に心が救われる気がした。

「知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよ 見ないフリしていても 確かにそこに今もそこにあるよ 知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよさあ 見ないフリしていても 確かにそこに君の中に」

動画を撮りながら俺は、生徒の誰にも気付かれないように「群青」の歌詞を一人口ずさんでいた。



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