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172_Gang Of Four「Entertainment!」

俺はスマホを開いて、副業の収益を入金しているネット口座にアクセスした。この半年間でついに収益が100万円を超えたのだ。俺は帰りの駅で一人、口座を見てほくそ笑んでいる。

これまで貯金も満足に貯めることもできなかったことに比べたら、今の状態なぞはまさに雲泥の差だった。これをこれからもっともっと伸ばせれば、俺はいつだってあのクソ会社を辞められるってわけだ。

とりあえず3年間分かの生活費を貯めておけさえすれば、会社を辞めても一時的に収入は少なくはなるが、なんとかなるだろう。なんたって俺はまだ俺は独身だし、母親と姉のいる埼玉の実家に身を寄せれば、生活費は安く済ませられる。母親も驚くかも知れないが、会社がブラックだったということは本当のことだ。俺は悪くない。このまま会社の養分にされるわけにはいかない。

このままこのネット副業に100%注力していけば、俺が今やっているくらいこの年齢の普通の会社員くらいの食い扶持なんて、簡単に稼げるだろう。いやそれ以上の可能性だってある。商社に就職して同級生の年収だって追い抜かせてやれるかも知れない。好きに稼ぐような暮らしができさえすれば、趣味の山登りにいくらでも時間を使えるし、質のいい登山グッズだって買い揃えられる。俺は電車の中で、どうしてもこのはやる気持ちを抑えていた。

なんで、最初からこうやらなかったんだ。なんであんなブラック企業で3年間もガマンしていたんだ。もっと早くこうしていれば。3年前の就活中の俺に教えてやりたい。せっかく内定が取れたからとかどうでもいい。3年間いいことなんて何にもないぞ。そんな会社に入るより、さっさとネットで副業をしろと。とんでもない回り道をすることになるからと、本当に教えてやりたい。

だが残念ながら、時は戻らない。俺はこの3年間、この会社で罵倒されこき使われて、疲弊し続けていた。彼女とも別れ、好きな山登りにも全く行けていない。全てを無駄にしたような感覚だった。

でも、しょうがない。あの時の俺は、何にもわからなかったんだ、誰も教えてくれないし、会社に就職して働くことが当たり前だと思っているから。それ以外に方法はないよと周りの大人は言うだけで、それ以外の方法でお金を得る手段があることをあえて無視しようとしている。ああいうのは酸っぱい葡萄だからと、見ないようにしておきなさいと言うだけ。そうじゃないと自分がこれまで我慢してきたことが否定されてしまうのだと感じるのだろう。

だが、あの会社も辞めちまえば、もうそういったことに悩まされることもない。今度、またあの上司にどやされたら、辞表を叩きつけてやる。そう考えられたら、無性に気が楽になった。3年間やってきたことも、また修行のようなものだったととらえれないことはない。いや、やっぱりダメなものはダメだ。わざわざ肯定的に捉え直す必要なんてない。

これまで、この道しかないと思って、この道から外れまいとして踏ん張っていることは、傍目では立派なことに見えるのかもしれない。しかし、それをやっている本人の内心ではとんでもないストレスだ。本当はそんなこともないのに、心の中でそういった架空の限定で自分を縛り上げて、自分で自分を苦しめていた。

うちの親父もそういう人間だった。会社が嫌で嫌で仕方がないから、毎晩酒をあおって逃げていたんだ。家族がそんな親父に冷ややかな目線を送るのを尻目に、親父は余計に閉じこもっていた。窓際の万年平社員でなんとか定年まで勤め上げはしたが、仕事が亡くなったあとは、何も残っていない燃えカスのような人間になっていた。そして終いには酒を飲みすぎて、腎臓を壊して昨年末死んだ。

親父はなんのために生きていたのだろう。家族のため、食い扶持のためと、自分を縛り上げて、毎日トボトボと行きたくない会社に足を運んで、いったい何を創り出していたのだろう。親父にもやりたいことはあったんじゃないか。

確か若い頃は写真が趣味で、部屋にはいっぱい撮りためた写真が飾ってあった。写真の話をするときの親父の目は輝いていた。だが、やがて毎日会社から帰って、家で酒を飲むだけの親父の目は濁っていくだけで、やがて俺はそんな親父の姿を遠ざけた。

それとおんなじことをしようとしていた。苦しむ親父の姿を見た俺は、やはり親父と同じ道しかないのかと思っていた。弔問客が異常に少ない親父の葬式が終わってから、俺はある決意をした。毎日食い入るようにネットに向かって、何か道はないかと必死にもがき続けた。

うまい話で騙されて稼げる情報商材とやらにいくらかなけなしの金を注ぎ込んだりもした。なんとかうまい稼ぎ方はないか、同じことを考えている奴なんてこの世間吐いて捨てるほどいるし、実際いろんな誘惑や詐欺まがいの話を目にして、実際食い物にされている様子も嫌というほど見た。

結局、俺は基本に立ち返って、みんながやって成果が出るようなネット副業をじっくり腰を据えて取り組むことにした。会社で上司から理不尽に怒られたり、嫌なことがあった時には、その怒りや不満を糧にするように深夜まで寝ないで副業のリサーチをしたりした。

全ては、あの会社を辞めるため。いや、親父から受け継いだこの負の連鎖をここで断ち切るため。人に使われず、自分の足で立って生きるということ。親父ができなかったことを、なんとか俺がやってあげたい。

親父は写真を撮りたかったのだろう、次の山登りの時にカメラを持っていこう。親父の代わりにいっぱい美しい山の自然の写真を撮ってあげたい。今はもうそれだけだ、それももうすぐ叶う。待っていてくれ、親父。


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