【R-18】ヒッチハイカー:第37話『大雷を放つ蠅の王!! 伸田を護れるか!? 最強無敵の盾と4人の亡霊達!』
「蠅の王! 私が来た以上は、もうアンタの好きにはさせないわ!」
夕霧谷付近の吹雪の吹き荒れる上空を、ニケと名乗った不思議な美少女が背中に生えた銀色の翼を大きく広げ力強く羽ばたかせて上空を浮遊しながら、自分よりも下の空域を飛行する蠅の王に向けて大声で啖呵を切った。
それを聞いた蠅の王は、ニケを見上げて激怒した声で応えた。
「貴様あっ! よくもおかしな技を使って、俺の大事な祖父ちゃんの形見の山刀に二つも穴を開けてくれたな…
ただでは済まさんぞ!」
雷の直撃を受け、蠅の王として復活してからのヒッチハイカーの性格は、その全身に漲る力と比類なき自信からか、話し方から態度までの全てが余裕に満ちた落ち着き払ったものへと変わっていたのだが、その態度がニケの登場によって再び復活前へと逆戻りしたみたいに、今の怒りに満ちた蠅の王は明らかに落ち着きを欠いている様に見えた。
それが証拠に、蠅の王の美しいとさえいえる彫りの深い端正な顔が、それまでの氷の様に冷ややかな表情から眉間にしわを寄せて引きつった様な苦悶を浮かべた表情へと変化していたのだった。
それは蠅の王自身が言った様に、彼の祖父の形見でもあり、大切にしていた山刀を傷付けられた事もあるかもしれないが、ほぼ同じ高度をウインドライダーシステムで飛行しながら蠅の王を見つめる伸田には、それだけが原因だとは思えなかった。
それは、ここまで敵として戦って来た伸田にしか分かり得ない事だとしか言いようが無かったが、現時点での蠅の王からは、それまでには決して見られ無かった精神の波動が感じられたのだ。信じられない事だが、それは蠅の王には絶対に無縁と思われた『恐怖』の波動だった。
今、蠅の王が全身から放出している凄まじいまでの怒りは、目の前のニケと言う未知の存在に対して感じている恐怖心の裏返しと言えるものでは無いか…? 伸田には何故か、そう思われたのだった。
ここまでの伸田は、瀕死の状態から復活し、圧倒的に凄まじい力を得たヒッチハイカーが、蠅の王として心身ともに他のあらゆる生物を超越した絶対無敵とも言える存在になったと思っていたのだ。だが、今…突然現れたニケを前にした蠅の王の状態を見るにつけ、彼が実際には無敵では無いのではないかと伸田は思い始めていた。
もし、蠅の王が神か悪魔の如き力を得た存在だったなら、いかにニケが新たに現れた未知の敵だとは言っても、恐怖など感じる筈が無いではないか。
「これなら… ひょっとすると、ヤツを倒す事も不可能じゃ無いかもしれない。」
半信半疑ながらも、そうつぶやいた伸田の前方では、怒りに満ちた蠅の王の全身を覆っている紫色の光が増大し始めていた。
「パチッ! パチパチッ!」
そして、最初は小さなものだったが、蠅の王の身体のあちこちから黄色い稲妻が走り始めた。彼の全身がスパーク現象を起こしているのだ。それはまるで、先ほど直撃を喰らって身体に蓄えた雷のエネルギーを、今度は彼自身が体外へと放電しているかの様だった。
「バシッ! バチバチッ!」
蠅の王の怒りが高まるにつれ、それに比例するかの様に彼の体内で電気エネルギーのボルテージが上がっていくのか、身体全体から発するスパーク自体の数が増えると共に、時おり放出される小さかった稲妻が次第に大きくなっていった。すると、しだいに蠅の王を包み込んでいる紫色の雲の様な気体の内部が時折り黄色く発光するようになった。
そして、蠅の王の体内で放電が増大していくにつれ、大気が電気で分解されて発生したオゾンの独特で刺激的な臭いが周囲に漂い始めた。
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「おいおいおい、ヤバいんじゃねえか…ありゃあ。」
地上に一人…いや一頭だけ凍てついた大地に立って上空の成り行きを見守っていた白虎が、忌々しそうにつぶやいた。
「ベルゼブブの野郎…ヤツは、さっき受けた特大級のイナズマを自分の身体に蓄電しやがったのか、それともそういう体質に変化しちまったのか分からねえが、ヤツ自体が発電機みたいに電気を起こしてやがる。
ありゃあ、今にもズドンとでっかいイナズマをブチかましそうな様子だ。あのままだと、ノビタとニケの二人が危ねえぜ。」
獣人化現象で神獣白虎に変身している新宿カブキ町の『風俗探偵』こと千寿 理は、旧友である鳳 成治を通して彼の姪の榊原くみと彼女の母である榊原アテナとは旧知の間柄なのだった。
上空で繰り広げられている戦いに、空を飛べない自分だけ参加出来ない事が腹立たしくてたまらない白虎だったが、もどかしくてイライラしながら上空を見上げたまま凍てついた白い大地を動物園のトラの様にのそのそと歩き回り、喉をゴロゴロ鳴らして唸り声を上げるしかなかった。
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上空では、蠅の王とほぼ同じ高度を保ったまま飛行している伸田が、敵を見つめながら白虎と同じ事を考えていた。
「今の蠅の王の怒りは、僕じゃなくてニケに向けられている。ヤツはあの全身の電圧が最高に達した時、ニケに向けて一体どんな攻撃を仕掛けるつもりなんだ?
でも… ひょっとして、ニケに怒りの矛先を向けている今なら、ヤツも僕に対しては油断しているのでは…?」
彼がそう考えた瞬間、数十m向こうを飛ぶ蠅の王がハッキリと伸田に顔を向け、キッと睨み付けて来た。まるで、「お前の浅はかな考えなどお見通しだ」とでも言っているかの様に…
「くそ! この状態でもヤツは僕の思考を読む事が出来るのか…? うっかりと手を出せば、ヤツは瞬時に僕への攻撃に切り替えるだろう…」
伸田は憎んでも余りある目の前の敵を、成す術も無く見守るしかない自分が歯痒くて仕方が無かった。
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伸田と蠅の王よりも高い空域で静止飛行したままのニケが、二人を見下ろしながら考えていた。
「ベルゼブブの体内の電圧がどんどん上がってる。どうやら、ヤツはイナズマを武器として使う気だわ… この私専用に作られた戦闘スーツは、ある程度の耐電効果もあるはずだけど…雷の直撃なんて喰らったら、いくら何でも無事で済むはずが無いわね。」
上空から眼下に飛ぶ蠅の王を睨みながらニケがつぶやいた。白虎や伸田と同様に、彼女も早くから敵の様子に気が付いていたのだ。
すると、ニケは何を考えたのだろうか? 青く美しい両目を瞑ったかと思うと、精神を集中させて何事かを念じ始めた。
『ママ… こちらの状況は分かってるでしょ。蠅の王のヤツ、ちょっとヤバそうな感じなの。
すぐにこっちへ、ママの「イージス」を転送して欲しいの。おねがい。』
ニケは遥か彼方の東京郊外の自宅にいるはずの自分の母親であるアテナに向けて念波で語りかけた。彼女達二人の間では、いついかなる状況でも直通電話の様に相手に思念が繋がるのだった。
このニケのテレパシーでの語りかけに、即座に母アテナからの反応が返って来た。
『了解したわ。確かに今のヤツの状態は危険ね。すぐに「イージス」をあなたの元へ転送す…』
だが、この内容が意味不明のテレパシー通話が終わるよりも一瞬早く、その油断を突くようにして文字通りボルテージが最高に達した蠅の王の身体から凄まじい勢いで巨大な黄色いイナズマが放出され、上空を飛んでいたニケを直撃した。
「バリバリバリバリーッ! ドッカーンッ!」
それは、ヒッチハイカーを蠅の王として生まれ変わらせた時と同程度か、それ以上の威力を持った特大級の雷で、実際に大地を揺るがすほどの轟音を周辺地域一帯に鳴り響かせた。ただ今回は上空から地上へと落ちたのでは無く、空に浮かぶ蠅の王からさらに上空を飛ぶニケに向けて稲妻が放出されたのだった。
近距離で起こった、あまりに凄まじい稲妻の輝きとエネルギーに伸田も白虎も目を瞑らずにはいられなかった。
それほどに凄まじい雷の直撃を直に喰らっては、たとえ正体がよく分からない存在であるニケあろうと生身の生物が無事である筈が無かった。
ニケの浮かんでいた空域には、直撃した雷の爆発によって夥しい量の黒煙とオゾンの臭いが発生したが、上空を吹き荒れる吹雪ですぐに吹き払われていった。
そして、黒煙の吹き払われ視界のハッキリとしてきた空域に、空を飛行する伸田と地上に立つ白虎が同時に見たものは…
ただでさえ夜明け前の暗い時間帯で、分厚い雪雲に空が覆われ街灯や照明などの灯り等が一切無い山中であるにも拘らず、金色に光り輝く楕円形をした物体がニケのいた空域に浮かんでいた。その物体は外部からの光を反射しているのではなく、それ自体が内部から金色の眩しい光を発している様だった。
そのに輝く金色の物体の後ろには、銀色の翼を羽ばたかせて飛ぶニケの姿があった。
「ふうう… 間一髪で間に合ったあ。ありがとう、『イージス』。本当に助かったわ。」
ニケが話しかけた楕円形で金色に輝く物体は、彼女の左腕にぴったりと装着された黄金色をした盾だったのだ。
ニケを蠅の王が発した大雷から護った『イージスの盾』… これこそニケがテレパシーで要望し、母であるアテナが娘の元へ瞬間移動で転送した、地上最強で最高の硬度と防御力を誇るアテナの盾であった。
しかし、これが事実であるとするならば… 勝利の女神であるニケを従え、イージスの盾を持つ榊原アテナという女性は、果たして名前通りにギリシャ神話に登場する本物の女神アテナだとでもいうのだろうか…?
ギリシャから遥か離れたこの日本の地に、二人の女神アテナとニケが生きているというのか?
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「な、何だ…それは?」
この世から完全に消し去るつもりで自分の身体から発した特大級の雷をぶつけたのに、平気な顔をして空中に浮いたままでいるニケを見た蠅の王が茫然とした面持ちでつぶやいた。
「これ? これは『イージスの盾』。地球上におけるいかなる攻撃も通す事無く弾き返す、女神アテナが誇る地上最強の盾よ。覚えておきなさい。
さあ、これで分かったわね。オレイカルコス(オリハルコン)でさえ貫く、私の両目から発する『ニケの青き炎』と『イージスの盾』が揃っては、いかに蠅の王だろうと勝ち目は無いわよ。」
宣言とも言えるニケの強い言葉を聞いても、蠅の王は返す言葉が見つからないかの様に黙したままだった。
その姿を見た伸田も驚きで開いた口が塞がらないまま、ただポカンとニケと蠅の王を交互に見つめるだけだった。
「聖子さんは、とんでもない助っ人を呼んでくれたんだ… 僕の上空を飛ぶニケにしろ、『イージスの盾』を持つアテナという存在にしろ、まさしく本物の女神以外の何者でも無いじゃないか…」
本来なら信じられる筈の無い事ではあっても、昨夜から自分の目の前で次々と起こった不可思議な出来事を経験して来た伸田にとっては新たな奇跡の一つや二つ、疑う事無くすんなりと受け入れる事が出来た。それでも心の底から湧き上がる感動に、彼は身を震わさずにはいられなかった。
もう一人、同様にして震えていたのは蠅の王だった。
彼は雷からの復活を遂げ、圧倒的な力を手に入れた自分が、この世の何者よりも強いのだと信じて疑わなかったのだ。あの神獣白虎でさえ、自分の身体から放出した魔バエの群れで封じ込めたのだった。伸田を殺した後で、白虎をも自分の手で直接殺すつもりでいたのだ。それを、両目から放出した青いレーザー光線で蠅の大群を焼き払い、渾身の力を込めて発した大雷を簡単に防いでしまう盾を持ち空を自在に飛ぶ奇妙な少女…
蠅の王はパニックを起こしかけていた。
「いったい… あの女は何者なんだ…? しかし、あの女が無理なら…目障りな伸田を先に血祭りに上げてやる!」
無敵だと信じて疑わなかった自分にパニックを起こさせたニケに対して湧き上がる恐怖心は、蠅の王にとって屈辱以外の何物でも無かった。その相手に抱いてしまった屈辱は、彼の中で次第に怒りへと変換されていった。やがて燃え盛る怒りの炎は、彼の身体中から膨大な電気エネルギーと化して身体中に満ち溢れていった。
「バチッ! バチバチッ!」
蠅の王の紫色の全身から黄色い火花を散らしながら小さな稲妻が走った。見る間に蠅の王の身体全体が怒りの電気エネルギーで発光し始めた。蠅の王は上空のニケに向けていた身体の向きを伸田の方へと転じた。
「死ね! ノビターーーーッ!」
「バリバリバリバリーッ!」
凄まじい光を放つ稲妻が今度は上空にではなく、蠅の王の身体から伸田に向けて水平方向に走った。低く垂れ込めて空全体を覆った灰色の厚い雲の層を、下からフラッシュを焚いた様に雷の光が広範囲に渡って照らし出した。これによって、ほんの一瞬だったが夜明け前の真っ暗な山中を真昼の様に明るく照らした。
「ドッカアアアーンッ!!」
真昼の様に明るい稲光の後、耳をつんざく大音量の爆発音を発して大雷が伸田を直撃した。
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『成治さん… 間に合ったわ。ニケが白虎とノビタさんの元に到着した。二人とも無事だから安心して。』
ロシナンテの運転席に座り、戦いの真っ最中である伸田と白虎の身を案じていた鳳 成治の脳に、美しく澄み渡る女性の声が直接語りかけて来た。
「はっ! これは、アテナさんのテレパシー。そうか、ニケが間に合ってくれたか!」
興奮した鳳が大声を上げたのを聞いた車内の静香と島警部補、長谷川警部の3人は何事かと驚いた。
アテナの発した念波は義弟であり、以前にも彼女とテレパシーでの会話を経験している鳳しか受信する事が出来ないのだった。
ただ、いきなり騒ぎ出した鳳の嬉しそうな様子を見ると、訳が分からないながらも他の3人の心も浮き立った。
ロシナンテ内にいる4人は、先ほどからの三度に渡って空を覆う雲全体を光らせる稲光と実際に大地を揺るがす凄まじい雷鳴に怯えながらも、伸田と白虎の身を心配していたのだった。
特に両手の指を強く組み合わせて愛する伸田の身を案じて祈っていた静香は、今の鳳の様子を喜ばしいものと受け止め、少し気分が楽になった。彼女は最初の凄まじい雷鳴が轟く少し前、危険の迫った伸田の絶望する声が聞こえた気がしたのだったが、その時に自分でもなぜだか理由は分からないながらも、静香には伸田が危機を切り抜けられる気がしたのだ。
だから、彼女は心の中で愛する伸田に向けて『大丈夫… あなたは死なない…』と強く念じたのだった。
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またしても蠅の王の放った稲妻によって大気が分解されたオゾンの鼻を突く臭いが空気中を漂ったが、それもすぐに上空を吹き荒れる吹雪によって拡散されていった。
「はははは… これで邪魔な虫けらを一匹排除出来た。
それにしても、たかが人間の分際で、よくここまで歯向かったと我が記憶に留めよう。さらばだ、ノビタ……
む…?」
ウインドライダーシステムを使った伸田が浮かんでいた空域を覆う様に立ち込めていた黒煙が強風によって吹き払われた。すると、その黒煙の晴れた空域に現れたモノを見た蠅の王の目が大きく見開かれ、口があんぐりと開いた状態で表情が固まってしまった。彼はそこに、自分に向けて光を放つ信じられないものを見たのだった。
蠅の王に向けられていたのは、またしても金色に発光する楕円形の物体…そう、『イージスの盾』だったのだ。
いつの間に移動したのか、伸田の前方に浮かんだニケが、両手に掲げ持ったイージスの盾で蠅の王が放った大雷を見事に防いだのだった。
伸田は固く瞼を閉じていた両目を開いた。彼自身、目の前に浮かぶニケの背中で羽ばたく動きを繰り返す銀色の翼を見るまでは、自分の身体が消滅を免れた事を信じられなかった。自分の人生が終わったと内心であきらめ、ひたすら愛する静香の美しい顔を脳裏に思い描いていたのだった。
無駄だと知りながらも、無宗教の彼が自分の思い浮かぶ限りの神や仏の名をつぶやいて助けを乞うていたのだ。
しかし、実際に伸田を救ったのは、ギリシャ神話に登場する女神アテナの随神である勝利の女神ニケとアテナが所有する最強の盾であった。
「き、君が…僕を救ってくれたのか? ニケ…」
まだ自分が無事だった事を信じられない伸田が、目の前で銀色の翼を羽ばたかせているニケの背中に向かって問いかけた。
「そうよ。まさに危機一髪ってところだったかしら。」
身体の前面にイージスの盾を構えたままわずかに身体を傾けたニケが、顔を伸田の方に振り向けて美しい顔で微笑みながら言った。
「助けてくれてありがとう、ニケ。僕は、まだ死ねないんだ。」
「分かってる。あなたには、愛する人がいるんでしょ。」
ニケはすでに蠅の王の方に顔を向け直し、背後にいる伸田に向けて言った。
「それなら、後は私に任せて、あなたはここから離れなさい。さあ!」
伸田は『ヒヒイロカネの剣』を握っていない方の左手を強く握りしめ、ニケの背中に向かって断固とした強い口調で言った。
「正直に言うと…僕も、そうしたい。でも! アイツは、アイツだけは僕がこの手で倒さなきゃならないんだ!」
「…… でも、ヤツが蠅の王となった今…あなたじゃ、いいえ、普通の人間には倒せない。
もう、無理なのよ。だから早く行って!」
伸田に背中を向けたまま答えたニケの口調も、容赦の無い厳しいものだった。彼女は、目の前にいる現実の敵である蠅の王の様な存在の魔物を、伸田よりも熟知している様子だった。
「でも、ダメなんだ! 僕は死んでいった仲間達の無念を晴らすと誓った。愛する女を護るためにも僕の手でヤツを倒さなきゃならない。
それに、ヤツの狙いは、この僕なんだ。それを女の子の君にだけ押し付けて自分だけ逃げるなんて、僕には出来ない!」
ある意味駄々っ子にも似た、決して自分は譲るつもりは無いという強い口調で、伸田がニケの背中に向けて叫んだ。
「・・・・・・・・ もう!
あなた、相当頑固みたいね。最初見た時は、今どきの草食系男子の様に見えたけど、心にとても強い意志を持ってるのね… まるで、飄君(《注》ニケである榊原くみの初恋の少年)みたい…
そういう人…私、キライじゃないわ。
あなたがそこまで言うなら、やってみなさい。骨ぐらい、私が拾ってあげるわ。」
伸田の一途な頑固さにあきらめたのか、ニケが蠅の王と伸田を結ぶ線上から身体をずらした。
「ありがとう、ニケ。助けてくれて、とても感謝してる。
あと我儘ついでに、もう一つだけお願いを聞いてくれないだろうか? 厚かましいのを承知で言うけど、その盾を僕に貸してくれないだろうか…?」
おずおずと伸田が言うと、ニケはポカンとした顔を彼に向けて来た。
「そうね… イージスを使えばいいんだわ。私ったら、そんな事に気が付かないなんて…
いいわ、使って。この盾は地上最強の、アテナの盾。どんな攻撃でも防げるわ。
でも… ノビタさん、防御だけでは勝てないわよ。勝算はあるの?」
そう言いながらも、ニケは伸田の傍まで飛んで来ると、手に持った『イージスの盾』を彼に手渡した。
「なんて軽いんだ… これが最強の盾、イージス…」
ニケに手渡された『イージスの盾』を自分の手で持ってみて、伸田はその軽さに驚いた。地上で最強の盾だという事から、彼はもっと重量のあるものと思い込んでいたのだった。しかし、実際には生タマゴ一個分ほどの重さにしか感じられなかった。形状は楕円形で、黄金色の表面には装飾なのか意味があるのかは不明だったが、模様や伸田には読めない文様が刻まれていた。おそらくは古代ギリシャ文字なのだろう。
「あなたが手に持っているのは『ヒヒイロカネの剣』ね。それは、うちのお祖父ちゃんの神社で祭祀用に使う剣だわ。成治叔父さんに借りたのね。
それに、あなたの腰にぶら下げている銃に一発だけ入っている弾丸が私には光って見える… それは『式神弾』でしょ。やっぱり、お祖父ちゃんの念が込められてる。その弾丸なら、ひょっとしたら…」
ニケのつぶやきを聞いた伸田は驚いた。彼女は鳳 成治から預かった『ヒヒイロカネの剣』の事も、ベレッタにたった一発だけ残った『式神弾』の事も承知しているようだ。しかも、そのどちらもが彼女の祖父が関係しているという。
『いったい彼女のお祖父さんってどんな人なんだろう…? 一度会ってみたいな…』
伸田は心の中で、一瞬そう思った。だが、それ以上話を聞いている暇は無かった。伸田がチラッと目を向けて見た蠅の王の様子がおかしかったのだ。
「ニケ、ヤツはまたイナズマをぶっ放すつもりのようだ。ヤツの身体中が帯電していやがる。僕から離れて!」
そう言うとすぐに、伸田自身もニケから遠ざかるように蠅の王に向かって左側へと飛行した。そして飛行しながらイージスの盾を左腕に装着し、右手に『ヒヒイロカネの剣』を構えた。
「おい! 蠅の王! お前の相手は、この僕だ! お前なんかに、もう負けないぞ。かかって来い!」
伸田は盾を手放したニケの方に注意を向けさせてはならないと、蠅の王を挑発するように叫んだ。
「何だとおっ! そんなに死にたいなら、望み通りに貴様から殺してやる!」
蠅の王が伸田の方に身体を向けた。その紫色をした全身からは、いくつもの小さなイナズマが走りスパークが散っていた。恐ろしい事に、すでに蠅の王の身体全体の帯電が、かなりの段階まで進んでいるように見受けられ、彼の体内で次の巨大な雷電攻撃の準備が出来つつあるように思われた。
ただ、伸田はニケが登場してからの蠅の王の態度に、それまでの冷静だった余裕が感じられないように思った。その乱暴な言葉遣いや態度からも、彼の焦りからか、以前のヒッチハイカーに逆戻りしかかっている様な感じを受けるのだ。そう思った伸田は、蠅の王をさらに怒らせるために叫んだ。
「やれるならやってみろ! ヒッチハイカー! こちらこそ、貴様にもう一度地獄を味わわせてやる!」
「食らえ! ノビターっ!」
怒り狂った蠅の王が放った渾身の大雷が伸田に襲いかかった。
「バリバリバリーッ! ビッシャーッン!」
果たして伸田はニケの様にイージスの盾で雷から身を護れたのか? 空中からニケが、地上からは白虎が固唾を飲んで伸田のいた空域を見つめた。
そして、その空域に立ち込めていたオゾン臭と黒煙が吹雪で吹き払われた時、その空間には何も浮かんではいなかった。
「ノビタさん…」
「ノビタ…」
ニケと白虎が呻き声に似たつぶやきで、同時に伸田の名を呼んだ。
「ブシューッ!」
「ぐわあああーっ!」
その時、蠅の王の浮かぶ空域から噴き出した赤い血煙と共に叫び声が上がった。
飛び散った血も上がった叫び声も伸田のものだった。
「惜しかったな、ノビタ。
俺の雷を盾で受け止め、それで生じた閃光と黒煙に加えて吹きすさぶ吹雪の音に紛れてオレの背後を突く。その作戦、悪くは無かった。
ただ、残念な事に…俺にはお前の考えが読める。お前は、それを忘れていたようだな。」
そう言ってニヤリと笑った蠅の王の右手には愛用の山刀が握られ、その鋭い刃先は伸田の身体を貫き、彼の血にまみれて背中から飛び出していた。
「ぐふっ!」
伸田の口から泡だらけの血が噴出した。
蠅の王が語った様に、伸田は『イージスの盾』で大雷を受け止め、その衝撃で生じた爆発の閃光と黒煙を利用して、気付かれない様に蠅の王の背後へと回り込んだのだった。
だが… 人の思考を読み取れる蠅の王は、振り返りざまに背後に浮かぶ伸田の腹部を右手に持った山刀で貫いたのだった。
「ノビタあっ!」
「ノビタさん!」
空中と地上から、ニケと白虎が同時に叫んだ。
伸田の口と腹部の傷から飛び散った血は、白虎のいる地上まで垂れ落ちる事無く吹雪に乗って遠くまで飛んで行った。束の間、その周辺の吹雪が白から赤に変わった。
「長い夜だったな。俺がお前の運転する車に撥ねられた時から、お前の悪夢は始まったんだ。
戦いの間、俺もお前も進化した 言い換えれば今の俺は、お前が作り出したとも言える。
お前は死んでも、俺の心に残り続けるだろう。さらばだ、ノビタ…」
そう言った蠅の王が伸田の腹部に根元まで突き刺さった山刀を抜こうとした。
「ん?」
蠅の王が山刀を握っている右手の動きを止めた。その手を伸田の震える左手が掴んだのだった。まるで自分の身体から山刀を抜かれまいと阻止するかの様に…
「何のつもりだ…? 気でも狂ったか?」
不審そうな顔で目の前の伸田の顔を見ながら蠅の王が問いかけた。
「つ…ついに、お…お前を捕まえた…ぞ…」
口からゲボっと血を吐きながら、伸田が掠れ声で言った。腹部の傷口からと口から吐血した事で一度に多くの血を失った事で、彼の顔は血の気を失って真っ青になっていた。
「そんな死にかかった身で、お前に何が出来る?」
蠅の王の表情と言葉には、フラフラになっている重症の伸田を憐れむ調子が込められていたが、こんな面倒な事は早く終わらせたいという態度が透けて見えていた。彼はすぐにでも、次の行動に移りたいのだろう。
「そ、そう冷たく…す、するなよ…
お…お前に、ぼ…僕からの、ぷ…プレゼントだ…」
息も絶え絶えに、そこまでしゃべった伸田は、自分の右手に握っていたモノを蠅の王の腹部に押し当てた。
蠅の王は、見事なまでに腹筋の割れた彫刻の様に美しい自分の腹に押し付けられた、冷たく硬い感触のモノを見下ろした。
「!!!」
息を呑んだ蠅の王の動きが止まった。
腹に伸田が押し付けていたのは、SIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)の装備である『ベレッタ90-Two』の銃口だったのだ。
「き、貴様…いつの間に? 貴様の思考が読めなかったのは、なぜだ? 今も読めない…」
凍り付いた様に固まったままの表情で、蠅の王が呻く様に言った。先ほどまで手に取るように理解出来ていた伸田の思考が、全く読めなくなっていたのだ。しかも思考だけでは無く、魔界の存在の中でも上級に位置する存在となった自分にここまで接近を許すほど伸田の気配を察知出来なかった事が、蠅の王には信じられなかったのだ。
「ぎ…疑似結界シールド…を、ぼ…僕自身に張ったんだ…
か、完全な魔界の…そ、存在になった…お前には… ぼ、僕の思考が、よ…読めなくて…と、当然だ…」
伸田が自分の取った行動を苦し気にだったが、満足そうに説明した。
「疑似結界だと…? トンボ形態だった俺を閉じ込めた緑色の壁、アレか?」
蠅の王はヒッチハイカーの進化形態の一つでトンボの怪物だった時に自分を閉じ込めていた『疑似結界シールド』を思い出していた。
伸田は魔界の存在には手を出す事の出来ない『疑似結界』のシールドで自分自身の身体を覆う事によって蠅の王の思考を読む能力を妨害し、気配を察知される事も防いだのだった。近距離で蠅の王が発した超ド級の大雷を無敵の『イージスの盾』で受け止め、その数瞬後には裏をかいてここまで蠅の王を追い詰めるとは、やはり伸田は戦いに関する天賦の才能を備えていると言えるのではないだろうか?
ただ、伸田に大きな誤算があったとすれば、疑似結界シールドは魔界の存在である蠅の王の身体も思考も遮断する事が出来たのだが、伝説の金属とは言え通常の物質であるオリハルコン(オレイカルコス)で作られた山刀による攻撃は通過してしまう事であった。
背後から蠅の王の身体にベレッタの銃口を突き付け、引き金を引こうとした伸田を、蠅の王が振り向きざまに突き出した山刀の鋭い先端が伸田腹部を貫いたのだった。疑似結界シールドを張り自分の気配を断っていた伸田は、本当にあと一歩の所まで、蠅の王を追い込んでいたのだ。
後は引き金を引きさえすれば、蠅の王の身体に必殺の『式神弾』を撃ち込み、伸田の勝利に終わっていたかもしれない。
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『式神弾』とは、伝説の安倍晴明に匹敵すると言われる現代最高の陰陽師である安倍賢生が念を込めて一発一発に五芒星を刻んだ、魔界の存在を文字通り滅し去る事の出来る銃弾である。
この『式神弾』で撃たれた蠅の王の前身であるヒッチハイカーが、危うく命を落としかけたのは記憶に新しい。
ちなみに、この『式神弾』を作成した安倍賢生とは、東京郊外にある『安倍神社』の現当主を務める陰陽道の神官である。
そして、鳳 成治の実父であり、ニケを名乗る榊原くみの父方の祖父でもある、稀代の大陰陽師なのであった。
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「なるほど… 俺だけではなく、貴様も人間の身でありながら戦いの中で随分と進化したようだな。正直に言うが、恐れ入ったよ。
しかし、死にかけの貴様のその左手が俺の右手を止められると思うか? 貴様の|華奢な腕など引き千切って、一瞬で抜け出してやろう。
ふんっ!」
気合と共に伸田の腹に刺さった山刀を抜き取ろうとした蠅の王だったが、信じられない事に山刀は引き抜けなかったのだ。自分の腕を見た蠅の王は仰天した。
山刀を握った自分の右腕を握っているのは、伸田の左手だけでは無かったのだ。それ以外に半透明の8本の手が群がるようにして自分の右腕を握りしめていたのだ。
すでに出血多量で朦朧とし始めた伸田以外の半透明の8本の腕…それらの腕の持ち主は、伸田にぴったり寄り添うように浮かんだ4人の亡者の姿だった。
『ノビタ! 俺達4人も力を貸すぜ! こいつは絶対に逃がしゃしねえ!』
自分の右後方から聞こえた力強い声のした方を振り返った伸田の目に映ったのは、半透明化して現れた彼の旧友ジャイアンツこと幸田 剛士の姿だった。その隣には、彼の恋人である水木エリの姿があった。
反対側である伸田の左側には、やはり半透明の姿をした旧友のスネオこと須根尾 骨延と横に並んだ彼の恋人の山野ミチルの姿があった。
4人とも伸田の仲間達で、ヒッチハイカーの犠牲となって散った若者達の4つの霊魂であった。彼らの左右合わせて8本の半透明の腕が伸田の左手と一緒に蠅の王の右腕をつかんで放さないのであった。
『僕達は…いつもお前と一緒だよ、ノビタ。』
懐かしいスネオの少し甲高い声が伸田を励ました。ミチルとエリも伸田に微笑みかけながら頷いていた。
「あ、ありがとう… みんな… も、もう一度…み、みんなの力を…ぼ、僕に貸してくれ…」
大量の血を失い、真っ青になった伸田の頬を感動の涙が伝った。死んでもなお、親友達が自分に力を貸してくれているのだ。
「き、貴様らは! 俺が殺したガキどもの亡者か! ええい! うっとおしい亡霊ども、手を放せ! 放せえっ!」
力づくで自分の右腕に絡みつく様に群がる亡者の手を振り払おうとする蠅の王だったが、予想外に死者達の力は強く、蠅の王の強靭な筋肉による膂力もってしても容易に引き離す事が出来なかった。しかも今では、4人の亡霊達の全てが片方の手で蠅の王の右腕を捕らえたまま、もう一方の手で彼の身体をガッシリと拘束するようにつかんでいたのだった。
4人の亡霊達は、蠅の王を伸田から逃さない様に半透明の全身でピッタリと覆うようにして捕らえていた。
『ノビタ! 今だ、撃て!』
ジャイアンツこと幸田 剛士の亡霊が叫んだ。
その叫び声で消え入りかけていた伸田の意識が戻った。瞼を開いた彼の視線は、しばらくの間焦点が定まらなかったが、目の前の4人の仲間達の亡霊に押さえ込まれた蠅の王をしっかりと睨み付けた。
だが、伸田自身は、すでに血を流し過ぎて力をほとんど失っていた。意識も失いそうになった今、脳波誘導で動きをコントロールする『ウインドライダーシステム』も朦朧となりがちな意識の中で、正常な制御を出来なくなりかかっていた。
しかも残酷な事に、この期に及んで彼のベレッタ90-Twoを握る右手人差し指には、引き金を引く力さえ残ってはいなかったのだ。伸田は蠅の王の右手首を握っていた震える左手を放して自分の右手に添え、握力の無くなりかけている両手でようやく握りしめたベレッタの銃口を、何とか蠅の王のむき出しになった臍のすぐ右辺りに押し付け直した。
そして、また失いそうになる意識の中で閉じようとする自分の瞼と必死で戦いながら、親友達の霊魂が身体を捕らえて離さない蠅の王に向けて伸田が言った。
「は、蠅の王… い、いや…ヒッチハイカー… こ、これが…最後の一発だ…
く、喰らえ… み、みんなの…お、想いの詰まった… し、式神弾をっ!」
「やっ! やめろおおおーっ!」
恐怖に歪んだ表情で絶叫を上げる蠅の王の腹部に銃口を押し付けていたベレッタの引鉄を、薄れゆく意識の中で伸田が最後の力を振り絞って引いた。
「ドッギュウウゥーンッ!」
吹きすさぶ吹雪の音しか聞こえない夜明け前の暗い山中に、一発の銃声が鳴り響いた。
【最終回に続く…】
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