見出し画像

【Rー18】ヒッチハイカー:第16話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑭『変身(メタモルフォーゼ)⁉ 進化する怪物ヒッチハイカー!!』

 吹雪の吹き荒れる山中に伸田のびたの撃ったベレッタの銃声が響いた。

 解き放たれた『式神弾しきがみだん』がヒッチハイカーに襲いかかる!
 伸田のびたが、今度こそヒッチハイカーに致命傷を与えられると思った瞬間…

「バキバキバキッ! メキメキメキーッ!」

 ヒッチハイカーの身体が空に向かってロケットが打ち上げられるような勢いで上昇したのだ!

いったい、何が起こったというのか…?

「カキーンッ!」
 硬いもの同士が高速でぶつかり合う音がしたのと同時に、ヒッチハイカーの下半身をおおっていた黒い霧の中から空に向けて勢いよく伸びていくモノが火花を散らした。そいつに伸田のびたの放った『式神弾』がはじかれてしまったというのだろうか?

「な、何だ? あれは…?」

 現実に眼前で生じた出来事を自分の目で見ながらも、それは伸田のびたにの脳にとっては到底受け入れられる事態では無かった。
 その反応は、伸田のびたと反対方向の地点からヒッチハイカーを見つめていた安田にとっても同様だった。

「あ、あれは…ヤツのあしなのか?」

「そ、そんな馬鹿な… こんな事、ありない…」

 ヒッチハイカーの前後からそれぞれ見つめていた二人の若者は、同じ様につぶやいた口をポカンと開いたまましばらく閉じる事が出来なかった。

 二人の眼前で生じている事態… それはヒッチハイカーの身体に生じた驚愕きょうがくすべき変化だったのである。
 それまでヒッチハイカーの黒い霧に覆われていた下半身が、いつのまにか霧の中で変化していたのだった。そして、それは今も伸田のびた達の眼前で変化を続けていた。
 黒い霧の中で変化を遂げたヒッチハイカーの下半身は、さらに成長していくかの様に伸び続けてヒッチハイカーの身体を空に向かって上昇させていく…

 伸田のびたと安田は二人とも、上昇していくヒッチハイカーの上半身を目で追って見上げていくため、首も徐々に上へと傾いていった。
 上がり続けていたヒッチハイカーの上半身は、雪面から5~6mほどの高さに達すると上昇を止めた。建物でいうと、それはちょうど人間が3階の高さの床に立ったくらいの高さだろうか…

 ヒッチハイカーの上半身をその高さまで持ち上げ支えている二本の柱は、吹雪の中で揺れはしても倒れる事も無く、しっかりと雪面にそそり立っていた。その足元は、雪面だけでなく地面にまで突き刺さって身体を支えているようだった。

 ヒッチハイカーのいていたチノパンや身に着けていた下着は、当然の事ながら変化した脚によりズタズタに引き裂かれ、千切れたズボンの布片は吹雪で彼方かなたへと飛び去っていた。

 雪面からそびえ立つ二本の柱…それはもはや生身なまみの人間の脚ではあり得ない、想像も出来なかった代物しろものと化していた…
 それは長さや太さだけを言っているのではない。濡れているかの様な二本の柱の表面は満月の光を反射して、てらてらと黒光りしていた。
 そして、柔らかさのまったく感じられない硬質な表面からは外敵から身を守るためなのだろうか、いたる所にとげ状の鋭い突起がえ、数か所に曲げ伸ばしするための関節に相当するふしを持っている様だった。

 それは例えるなら、昆虫や甲殻こうかく類などの節足動物における『クチクラ』と呼ばれるかたい表皮におおわれた外骨格で形成された脚…とでも呼ぶべき代物しろものと言えるだろうか?

 そして、ヒッチハイカーの股間に当たる部分から二本の脚に向かって、もう人間の陰毛いんもうとは呼べないほどの広範囲に渡って、黒々とした針金の様に太く硬い剛毛がびっしりと生えていた。

「色は黒いけど、まるでキチン (chitin) で覆われたカニの脚みたいだ… あれは外骨格がいこっかくか…? あの脚が『式神弾』をはじき返したのか?」

 そうなのだ。伸田のびたが感想を漏らしたようにそびえ立つヒッチハイカーの黒光りする二本の脚は、まるで電柱の様な長さと太さを持った巨大なカニの脚そのものだったのだ。

式神弾しきがみだん』とは言っても、所詮しょせんは拳銃用の9mmパラベラム弾である。あの巨大さに見合った硬度を持った脚ならば、鉛製の弾頭では貫通するどころかペチャンコにへしゃげて、飛び散った火花と共にどこかへはじき飛ばされてしまったのだろう。

「ミシッ! ビシッ! ビシビシビシッ!」

 甲高い音を上げながら、ヒッチハイカーの電柱の様に伸びて巨大化した二本の脚の股関部分から足先にまで、縦に数本の亀裂が一直線に走っていく。その亀裂の隙間すきまからは、人間の血ではない緑色をした体液が飛び散っていた。

「メキメキメキッ! バキバキバキーッ!」

 そして驚いた事に、左右二本の脚それぞれに縦に走った数本の亀裂は、今度は凄まじい破裂音を発したかと思うと、緑色の体液をまき散らしながら引き千切れる様にして割れ始め、数本の細い柱へと分裂していった。

 完全に分裂した二本の脚は、左右ともそれぞれ4本ずつ、両方合わせて計8本に枝分かれした。そして、同時に広い範囲にわたって硬い剛毛に覆われていたヒッチハイカーの骨盤部分も、見る見るうちに巨大化しながら変形していった…

 それはまるで、高速度撮影で撮られたおぞましい巨大な生物の変身過程をスローで見ているようだったが、やがてヒッチハイカーの人間の上半身から繋がる骨盤部は、巨大な蜘蛛くもの腹部のような形へと変わっていった。

 そして長さ数mもあるカニの様な外骨格を持つ8本の脚を広げて立ったその姿は…悪夢の中にだけ姿を現す化け物としか言いようのない存在だった。
 そいつは人間の上半身を持ちながら、下半身は巨大な毛むくじゃらの巨大な蜘蛛の胴体に黒光りした8本のカニの脚を生やした、まさしく正真正銘のおぞましい怪物だった。

 ギリシア神話に登場するケンタウロスという半人半獣の種族は、馬の首から上が人間の上半身に置き換わったような姿をしているが、ヒッチハイカーは腰から上の上半身は人間のままで、下半身が巨大な蜘蛛とカニを合わせた様な怪物に変化してしまったのである。

 この変身はヒッチハイカーにとっては、新たな形態に進化したという事なのだろうか…?

 今までは2m余りもある巨漢とは言っても、所詮しょせんはヒッチハイカーも人間形態だったのだ。
 それが、この様な見るからにおぞましい、地球上における自然の生物の進化のサイクルを全く無視した悪夢としか言いようのない怪物と化してしまった敵を相手に、果たして人間は戦えるものなのだろうか…?

 ヒッチハイカーの身に起こった変身の一部始終を見ていた伸田のびたと安田巡査の二人は、身の毛もよだつ恐怖のあまり悲鳴を上げそうになりながらも身動き出来ずにいた。彼らは呆然自失ぼうぜんじしつのあまり、銃を撃つ事も完全に忘れていたのだ。

「うっ、うわあああーっ!」
「タタタタタタタッ!」

 安田が目の前で起こった恐怖に耐え切れず、悲鳴を上げながら怪物化したヒッチハイカーに対してSMG(サブマシンガン)の斉射せいしゃびせた。

「くっそうっ! 倒れろ! もういい加減に倒れてくれよおっ! 」

「カンッ! カカカカッ! カンカンカンッ!」

 SMGの斉射でも、やはり結果はベレッタと同じ事だった。
 ヒッチハイカーの硬質な8本の外骨格の脚は、SMGが吐き出す9㎜パラベラム弾の真鍮しんちゅう合金で被覆ひふくされたフルメタルジャケットの弾頭をことごとくはじき返してしまった。弾かれた跳弾ちょうだんが雪面にいくつもの穴を開けていく。

「安田さん! ダメです! ヤツは人間の部分にもSMGは通用しないんだ!」

 ここまでの戦いにおいて、安田はヒッチハイカーと実際には交戦していなかったのだ。伸田のびたの叫び声を聞き、安田はあわててSMGの斉射を中止した。

「そんな… 俺達SITの装備じゃ歯が立たないっていうのか…? こ、こんな化け物…自衛隊の装備でもなきゃ到底無理なんだ…」
 安田は自分達の相手にしているのが、計り知れない怪物であったのに今さらながら思い知らされていた。この時、『絶望』の二文字が安田の頭の大半を占拠し始めていた。

「こうなったら…ヤツを倒すには人間部分に『式神弾』をぶち込むしか無い…」
 
 伸田のびたは数m高い位置に存在する人間形態のままの腹部中央部分にベレッタの照準を付けると、間髪置かんぱつおかずに即座に引き金を絞った。

「パ-ンッ!」

「カンッ!」

 目標に向けてねらあやまたず飛んで行ったはずの伸田のびたの撃った『式神弾』は、無情にもヒッチハイカーの素早く振り上げた左前方の外骨格に覆われた脚一本で、安田のSMGと同じく簡単にはじかれてしまった。

「駄目か… やはり『式神弾』でさえ、ヤツの硬い外骨格の脚には通用しない…」

 伸田のびたうめくようにつぶやいた。

「ふふふふ… 残念だが、お前の自慢の銃も俺の新しい脚にはかぬようだな。」
 そう伸田のびた嘲笑あざわらうように言い放ったヒッチハイカーは、伸田のびたと安田の両名に対してすでに興味を失くしたかのように8本の脚を器用に動かして身体の向きを変え、ゆっくりと移動を始めた。
 その多脚たきゃくの動きはゆっくりとだったがなめらかで、まるで巨大なタランチュラの歩行の様だった。

 ヒッチハイカーは、圧倒的な力の差に呆然として見つめるだけの伸田のびたに対して攻撃を加えるでもなく、彼の横をゆっくりと通り過ぎて行く。

「ヤツがぐ向かっている先は… ダメだ、おおとりさんとシズちゃんがいる!
 ヤツのねらいがおおとりさんのはずがない! あのバケモノ、シズちゃんをねらってやがるんだ! そんな事させてたまるか!」

 伸田のびたは歩み続けるヒッチハイカーを小走りに追いかけ、今度は左斜め後方の位置から怪物の左脇腹を狙ってベレッタの引き金を引いた。

「パ-ンッ!」

「カキーンッ!」

 まただ… 今度は左後方の脚の一振りで『式神弾』は弾き飛ばされてしまった。

「ど、どういう事だ…? 今度はヤツの後ろから撃ったのに…」

 そうつぶやいて見上げた伸田のびたの目にうつったモノは…

「何だ、アレは…? 触角しょっかく? あんなモノ、いつヤツの頭に生えたんだ?」

 伸田のびたが見たモノとは、人間の形態を保ったままのヒッチハイカーの頭部から生えている、太さが2㎝ほどで長さが60㎝あまりの二本の肌色をした柔らかい触角の様な代物しろものだった。
 そして、その触角の先端は直径3㎝ほどの球形をしていた。見た目の印象としてはカタツムリの触角つのの様である。その二本の触角のうち左側の一本が、薄気味悪くうねうねとうごめききながら左後方にいる伸田のびたの方に向けられているのだった。まるで伸田のびたの動向を探っているかのように…

その時だった!

「ギュイィーンッ! ギャリリリリィーッ!」

 聞き覚えのあるエンジン音が聞こえてきた。

伸田のびた君、下がれっ!」

 そう叫びながらエンジンのかかったチェーンソーを振りかぶった安田巡査が、ヒッチハイカーを追いかけて走り寄って行く。先ほどヒッチハイカーの振るった山刀マチェーテに弾き飛ばされたチェーンソーを拾って、無謀むぼうにも安田は再びいどもうとしているのだった。

「SMGの銃弾がダメでも、コイツならどうだ!」
 
 ヒッチハイカーに追いついた安田は振りかぶっていたチェーンソーを、雪面に降りて来た怪物の右後部の脚の一本に向けて叩きつけるように振り下ろした。

「駄目だ、安田さん! ヤツには後ろも見えてるんだ! 危ないっ!」

 自身の顔を振り向けこそはしなかったが、ヒッチハイカーは頭部の二本の触角によって安田の動きも把握はあくしていたはずだ… だが、怪物はチェーンソーの脚への直撃をかわそうとはしなかった。
 歩行を止めて、まるで斬れるものなら斬って見ろと言わんばかりに、わざとヒッチハイカーが安田に向けて自分の脚の一本を差し出しているように伸田のびたには思えた。

「ガッキーン! ガリガリガリッ!バリバリバリーッ!」

 安田の振るったチェーンソーと、カニの外骨格状の形態を持ち鋼鉄よりも硬質に思えるヒッチハイカーの脚が接触した途端とたん、花火を連想させる火花が飛び散った。

「くっそうっ! なんてかたいんだ、このバケモノの脚はっ!」

 明らかに動きをわざと止めているヒッチハイカーの脚を、安田は切断しようと何度も試みるのだが、まるで金属のかたまりを切っているかの様にまったく歯が立たなかった。
 安田の振るうチェーンソーの発する回転音に異音が混じり、持ち手のエンジン部分から黒煙が上がり始めた。

「ギュイィィーンッ!ガリガリガリーッ! バキンッ!」
「うわっ! チェーンが!」

 ついに安田の握るチェーンソーのエンジン部が火をき、チェーンが切れたやいば部分が遠くへと弾け飛んだ。

「ボンッ!」
「あちっ! あつっ!」

 安田は火を噴き持っていられないほど熱を帯びたチェーンソーを、あわてて雪面へ放り投げた。

「せっかく俺が動きを止めて待っててやったのにその程度か、貧弱な虫ケラどもが… 時間の無駄だったな。もういい、死ね…」
 そう言い捨てたヒッチハイカーの、斬られるがままに動きを止めていた脚の一本が動き出したと思った途端とたん、次の瞬間には安田の身体がちゅうに舞い、数m離れた雪面へと吹っ飛んでいった。

「安田さんっ! 大丈夫ですか?」
 伸田のびたは数mもある8本の脚に支えられ3mほども自分より上の空間にあるヒッチハイカーの胴体中央部にベレッタで狙いを付けたまま、はね飛ばされた安田に向かって叫んだ。

「ぐうぅ…」
 安田の身体は雪面に仰向あおむけに倒れたまま動かず、伸田のびたの呼びかけに対して、ただうめき声を漏らしただけだった。

「くっそうっ! よくも安田さんを!」
 伸田のびたは怒りに燃える瞳でヒッチハイカーをにらみつけると、ベレッタの引き金を引いた。

「パーンッ!」

「カキーンッ!」

 しかし、またもや伸田のびたの放った『式神弾』は、ヒッチハイカーの瞬時に振り上げた一本の脚に弾き飛ばされてしまった…

「ふはははっ! 無駄無駄無駄無駄~っ! もう俺に怖いものなど無いわ。貴様も死ね!」
 そう言うが早いか、ヒッチハイカーの『式神弾』を弾いて振り上げたままだった脚を、今度は伸田のびたに向かって振り下ろした。

「ぎゃっ!」

伸田のびたは短い叫び声を上げて数m吹っ飛んだ。

「ゴロゴロゴロッ!」
伸田のびたは安田巡査の2mほど手前まで雪面を転がっていき、そのまま倒れ込んだ。

「ふっ… 貴様、見事な動きだ。咄嗟とっさに拳銃で俺の脚を受け止めるとはな… だが、もうそのつぶれた拳銃は使い物にはなるまい。
 後はあの女を手に入れるだけだ。あれは貴様の女か? ならば、貴様は殺さずに生かしておいてやる。俺があの女を手に入れるさまを悔し涙でも流しながら、そこで成すすべも無く見ているんだな。
ふふふふ…ははははっ!」

 身体の向きを再び皆元みなもと静香 しずかおおとりの方へと向けたヒッチハイカーは、伸田のびたをあざ笑いながら、8本の外骨格の脚を素早く動かして歩み始めた。

「うぐっ… くそっ…」
 うつぶせに倒れていた伸田のびたは、歩み去るヒッチハイカーを見て歯ぎしりしながら身体を起こした。

 伸田のびたが死なずに済んだのは、ヒッチハイカーの言った通りだったのだ。
 射撃能力に優れた伸田のびたは、その卓抜たくばつした動体視力でヒッチハイカーの振り上げた脚の動きを瞬時に見切り、持っていたベレッタを咄嗟とっさに両手で身体の前に構える事によって、怪物の鋭く硬い足先を受け止めたのだった。
 ベレッタがつぶれる事と、身に着けていたSIT装備のボディーアーマーで衝撃を吸収したために伸田のびたの身体は奇跡的にも重症と言える程の傷を受けずにんだのだった。

 伸田のびたは倒れたままの安田の所までって行った。

「安田さん! しっかり!」
 大声で呼びかけながら安田の首筋に手を当ててみる… 脈があった。
 だが、伸田のびたの呼びかけに対して安田の返事は無く、意識が戻らないままだった。

「よかった… 安田さんは生きてる。ごめんよ、安田さん。僕は行くよ…
 今はシズちゃんを助けに行かなきゃいけないんだ。必ず助けに戻るから…」
 
 倒れた安田にそう話しかけてから、伸田のびたは手に持ったベレッタを見た。鋼鉄製の銃のスライド部分がへしゃげてがくぼみ、穴が開いていた。

「まったく…我ながらヤツの一撃をコイツで受け止めたなんて奇跡だな… それに薬室部分に納まった弾丸が暴発しなかったのも運が良かった。でも、この薬室内の一発は抜き出せない… 弾倉はどうだ…?」
 
 壊れたベレッタは遊底部が動かせないために薬室内に入っている弾丸は取り出せなかったが、伸田のびたがマガジンリリースボタンを押してみると、幸運な事にグリップ部分からマガジンを引き出す事が出来た。

「よかった、マガジンは無事だ… 中に残ってる『式神弾』も使えそうだ。ベレッタはもう一丁ある。まだ撃てるぞ
。」

 伸田のびたは、最初に出会った殉職したSIT隊員から装備を拝借はいしゃくしたさいにSMG(サブマシンガン)ではなく、二丁のベレッタをもらっていたのだった。ヒッチハイカーの攻撃でつぶれてしまったベレッタは、いつも手に握りしめていたのだが、もう一丁のベレッタは右太ももに装着したホルスターに収納してあったのだ。

 伸田のびたは壊れたベレッタから抜き出したマガジン内の『式神弾』の残弾数を確かめた。

「残り9発… 僕の手に残ってる『式神弾』はあと9発しかない。この9発でヤツを仕留めなきゃ、僕達は恐らく全滅だ。そうすれば、ヤツは山から町に解き放たれてしまう… それに、何よりも今はシズちゃんが危ない!」

********

「お、おおとりさん… あの怪物はいったい…?」
 
 五芒陣ごぼうじんに囲まれた雪面に座った皆元みなもと静香 しずかが、そばに立っているおおとり成治せいじに問いかけた。

 二人はログハウスから100mほど離れた地点で繰り広げられていたSIT隊員と伸田のびた達とヒッチハイカーの戦いを、さらに100mほど離れたこの地点から見つめていたのだった。
 長谷川警部がログハウスに向けて遠投で投げた特殊閃光手榴弾スタングレネードM84の炸裂さくれつによる輝きから始まり、SMGとベレッタによる戦いをての島警部補と関本巡査の戦線離脱までを、二人で手に汗を握りながら見続けていた。

 そして伸田のびたと戦線復帰した安田巡査の『式神弾』とチェーンソーによる戦いに移り、戦闘の途中から様相が一変したのだった。

 特に静香 しずかは自分の目を疑った。離れた地点で起こっている状況であるとはいえ、愕然がくぜんとせざるを得なかったのだ。
 まるでビルの3階位の高さまで巨大化するかの様にヒッチハイカーの二本の脚が伸び続け、やがて両脚がそれぞれ4本ずつに分岐して合わせて8本の脚を持った巨大な蜘蛛のような姿に変わっていったのが、遠くから見ている二人にもはっきりと分かった。

「あ、あれって…怪獣なんですか? あんなの相手にしてノビタさん達に勝ち目なんてあるはずない! お願いです、自衛隊を呼んで下さい! ノビタさんや安田さんを助けて!」
 パニックを起こした静香 しずかおおとりに向かって甲高かんだかい叫び声を上げた。

「ああ、怪獣、怪物、化け物… どの呼称で呼んでも間違っている訳じゃない。ヤツは某大国が我が国に持ち込んで輸送の際に行方不明となっていた生物兵器(Biological weapons)を誤って摂取せっしゅしてしまったあわれな人間の成れの果てだ。
 コストのかかる高額な兵器を所有するよりも、兵士そのものを強力な怪物に姿に変えてしまう事ではるかに安価に戦力を増強出来る『BERSバーズ(Bio-enhanced remodeled soldier)計画』、日本語で言うと『生体強化型改造兵士計画』は現在、大国間で競って開発されている。
 たった1本のBERSバーズの薬剤のアンプルを一人の被験者に投与するだけで、フル装備した一個中隊並みの兵力を手に入れる事が可能となるからだ。
 つまり、それだけ強力な兵器としての怪物を人体をベースにして瞬時に作り出す事が出来るのだ。あのヒッチハイカーの様な怪物を…」

 ここで言葉を切ったおおとりが、反応をうかがうかの様に五芒陣に護られて座る静香の顔をジッと見つめた。

「なんて恐ろしい事を考えるの… 戦争の兵器として利用するために、人間を怪物にしてしまうなんて…
 いったい、人間を…人間の命の尊厳を何だと思っているのよ!」
 おおとりの話に心の底からのいきどおりを感じた静香 しずかは、嫌悪感も露わにおおとりにらみつけて怒りの叫び声を上げた。

「ふっ… 君の様に純粋で心の美しい女性には残酷な事を言うようだが、大国にとっては自国の利益のためになら一人の人間の命など一円玉ほどの価値も無いだろうね。」
 
 この発言を聞いた静香は、涙の浮かんだ両目でおおとりをキッとにらみ付けた。しかし、静香はおおとりの顔にかなしい表情が浮かんでいるのを認めたのだった。

『この人も言葉と裏腹に、本当は心ではつらいんだわ… 淡々と話しているけど、とても哀しい目をしている…』
 静香はおおとりの心の内にある真実を垣間見かいまみた様な気がして、それ以上彼だけを責めるのをやめた。
 第一、おおとりが彼の言う所の『BERSバーズ』を開発したり人間に対して使用している訳ではないのだ。彼は使用された『BERSバーズ』と、その結果として怪物化した人間を追っている側の組織の人間なのであった。

 ところで、静香はヒッチハイカーに全裸にされて犯される寸前だった状況で気を失い、SITのAチームの隊員達に助けられたのではなかったか…? 彼女は全裸に毛布を巻き付けた状態でこの地点まで運ばれて来たはずだ。
 だが、今おおとりの傍に立ちながら遠くで戦う恋人の伸田のびた達を見守る静香は、吹雪の吹き荒れる山中で見ているだけでも痛々しかった全裸姿では無かった。
 静香 しずかはログハウスでヒッチハイカーに剥ぎ取られた、彼女自身の防寒服一式を身に着けていたのだった。
 
 しかし、彼女の衣服はSIT隊員達が運んだのでは無かった。残念ながら、あの時点では静香の身体を運んでヒッチハイカーの元から逃げるだけで精一杯の状況だったのだ。
 SITの隊員達に彼女の衣服を運んでやる気持ちや時間的な余裕は一切いっさい無かったのである。

 では何故、その静香が自分の衣服を着用しているのだろうか…?
 その理由は、彼女のかたわらに寄り添うように大人しくしている存在によるものだった。

 静香 しずかから見ておおとりとは反対側の位置に異様な生物の姿があった。

 異様というのは、ヒッチハイカーの様に悪夢に登場するかの様なおぞましい怪物では無かったが、その生物が現実には存在し得ないと言える、日本神話に登場した伝説上の生き物だったからである。

 それは雪の中でハッキリとした存在感を示す黒々とした巨大な鳥の姿をしていた。カラスである。だが、そいつはただのカラスでは無かった。 
 そいつの体長は、全長が1mほどで日本で一番大きなワシと言われるオオワシよりもさらに巨大で、横に並んで立つ身長162㎝の静香より少し小さい程度の150cmほどもあったのである。
 そのカラスは、それほど巨大な体長を持つ事もさることながら、もっとも驚愕きょうがくすべき点は足が三本もある事だった。

八咫烏やたがらす
 その三本足の姿をした鳥は神の使いとも云われ、実在しない伝説上の生き物のはずだ。
 そいつが今、静香のとなりで気持ち良さそうに目を閉じながら彼女に首をでてもらっているのだった。

 静香の服一式は、この八咫烏がログハウスから運んで来たのだった。もちろん、おおとり成治せいじが命令を下して運ばせたのである。
 そう、この八咫烏の姿をした巨鳥はおおとり陰陽術おんみょうじゅつを使って折り紙から作り出し、使役する擬人式神ぎじんしきがみだったのである。
 この式神は静香がログハウスに監禁されていた時に、おおとりから命じられて彼女の居場所を探り出し、偵察していた際にヒッチハイカーに発見されて一度追い払われたのだった。

 ヒッチハイカーがSIT隊員達との交戦状態に入った後に、半壊したログハウス内に忍び入って静香の衣服一式や持ち物を運び出して来たのだった。
 今では、感謝した静香と八咫烏やたがらすの双方共にすっかり仲良くなっていたのである。

「ヤツがこっちへ来るぞ、皆元さん!」
 しばらく無言で遠くの戦闘を見つめていたおおとりが、小さく叫んだ。

 彼の言った通り、怪物の姿と化したヒッチハイカーが伸田のびた達との戦闘を切り上げたのか、8本の脚を素早く動かしながら自分達の方へ向かって高速で迫り寄りつつあった。

********

ザザザザザザザーッ!

「待っていろ、二つの命を持つ女よ! お前は俺のモノだ!」

 怪物と化したヒッチハイカーは新しく手に入れた8本の脚の動かし方に慣れたのか、自在に操りながら目標の静香に向けて高速移動を開始した。

********

 満月の当たらない林の暗闇の中に、文字通りに青白く光る奇妙な二つのひとみがあった。野生の獣だろうか…?

 しかし、雪原に繰り広げられるヒッチハイカーと伸田のびた達の戦いを見つめていた光り輝く瞳を持つその存在が、驚いた事に白い息を吐き出しながらつぶやいたのだ。それは、まぎれもなく人間の男の声だった。

「オニめ、ついに変身メタモルフォーゼしやがった。
 ところで、とうとうあの若造は一人っきりになっちまったな… さあ、はたしてヤツは自分の恋人を救えるのかな?」

 言っている言葉とは裏腹に男の口ぶりは不謹慎ふきんしんにも、まるで目の前の戦いを楽しんでいるかの様だった。
いや、実際に男はニヤニヤと笑っていたのだ…

 この獣の様に青白く光る瞳を持つ男は、一人で戦う伸田のびたにとってたして味方なのか? それとも、敵なのだろうか…?

********

 安田巡査が倒れ、遂に一人になってしまった伸田のびたは、9発の『式神弾しきがみだん』の残ったマガジンを未使用だったベレッタのグリップに装填そうてんし、遊底ゆうていをスライドさせて『式神弾』の初弾を薬室に送り込んだ。
 そして伸田のびたは、ふらつく足で立ち上がると、走り去るヒッチハイカーをにらみ付けた。

「待てえっ! 化け物おっ!! 静香 しずかに手を出す事は僕が許さんっ!」

 そう叫びながら『式神弾』入りのベレッタを右手に構えた伸田のびたは、多脚型の怪物と化し高速で先行するヒッチハイカーの後を追い、恋人の静香の元へと雪面を必死になって走り始めた。


【次回に続く…】

この記事が参加している募集

スキしてみて

もしよろしければ、サポートをよろしくお願いいたします。 あなたのサポートをいただければ、私は経済的及び意欲的にもご期待に応えるべく、たくさんの面白い記事を書くことが可能となります。