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大学受験のための読書案内・8

 大学受験の現代文や小論文では、哲学や思想などをテーマとする、場合によっては相当に難解な文章も出題されます。ではどうすれば、そういった文章を自力で読み解けるようになるのでしょうか? その答えにはいろいろあるのですが、やはり、継続的な読書によってそうしたテーマやそこに出てくる言葉の意味を一つでも多く知り、それについて自分なりに考えてゆくことが大切になります。この「大学受験のための読書案内」シリーズでは、高校生、あるいは中学生でもがんばれば読めるような本を中心に、そうした知に触れるうえで格好の入門書を紹介していきます。

ここまでの振り返り

 さて、今回はまず、この「大学受験のための読書案内」シリーズのここまでの内容を振り返ってみたいと思います。

 第1回目は、森達也『世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー』を紹介しながら、〈representation=再現/表象〉という概念について解説しました。
 例えばメディアにおいて、そこで報じられている出来事は、現実を〈re=再び+presentation=提示したもの〉、すなわち〈再現〉したものである、と。かつ、そのような意味を表すのが、〈表象〉という語であることも。
 そしてさらに、その〈表象〉なるものが現実を忠実に〈再現〉したものではありえないということ、つまりは〈表象=再現の不可能性〉について、強調しておきました。

 第2回目は、遅塚忠躬(ちづかただみ)『フランス革命 歴史における劇薬』に言及しながら、国民国家の定義について、領土・国民・国民主権という3つの柱を中心に解説しました。そしてこのうちの「国民主権」という考え方は、第3回目以降で話題の中心となる、民主主義というシステムと密接不可分の関係にあったのですね。

 第3回目では、佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』に即して、再び話題を第1回目のrepresentationすなわち〈re=再び+presentation=提示したもの〉へと戻しました…が、この回では、〈再現/表象〉としてのそれではなく、〈代表/代弁〉としてのrepresentationを扱ったわけです。
 そう。
 国民の〈代表〉としての政治家が、国民の声を議会という場で〈代弁=再提示〉する、という意味でのrepresentation
 もちろん、代議制民主主義というシステムですね。
 そしてここでも第1回同様、〈表象〉すなわち〈代表=代弁〉は、国民の声は、はたして政治家によってきちんと代弁されうるのか…?という主題、すなわちまたしても、〈表象の不可能性〉へと着地してしまいました。

 第4回は、重田園江(おもだそのえ)『社会契約論 ――ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』を通じ、社会契約論一般意思という概念について学びました。これらは、近代的な民主主義の土台となっている考え方です。重田のスモーキー・マウンテンでの経験とそれについての述懐は、皆さんに何度も何度も読み返してほしい、本当に切実な文章でした。

 第5回に扱ったのは、坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』でした。ここでは、代議制民主主義における意思決定の手段として我々が自明視してしまっている多数決という方法について、その方法では一般意思は表象=代表されえない、という点について言及しました。まさに目から鱗、と呼ぶにふさわしい一冊でした。

 第6回は、水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』
 とりわけ強調したのは、カリスマ的指導者が民衆を直接的に扇動する、というポピュリズム――今、世界中で問題となっているその政治的手法が、実は代議制民主主義の機能不全を原因として現れてきた、という側面です。
 そう。
 人々は、現行の代議制民主主義では、自分の意見が政治家によって的確に代表=代弁されているという実感を持てないポピュリズム政治家は、そこをついて、自らこそが大衆の真の代弁者であることを主張する……。

 そして第7回については、石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』を紹介しながら、全体主義について言及しました。
 国家や民族全体の利益のためには、個人の権利は犠牲にしてもかまわない
 この全体主義は、ナチズムやファシズム、そして大日本帝国のイデオロギーとして、世界に猛威をふるいました。おびただしい数の人間を殺戮したのです。
 しかし、なんとも皮肉なことに、この全体主義は、民主主義という自由を手に入れた大衆たちが、逆にその自由を苦痛に感じることから生じたものでした。さらにいえばナチズムは、当時最先端の民主主義的な憲法であったはずのワイマール憲法の体制下から、合法的に、大衆の同意を勝ち得て、独裁体制を築いていったのでした……!

総括

 こうして振り返ってみると、この「大学受験のための読書案内」シリーズに通底する一つのテーマはもう明らかでしょう。
 そうです。

 representationすなわち〈re=再び+presentation=提示したもの〉の原理を、代表=代弁という形で政治へと応用した議会制民主主義は、国民国家によって体現された。そしてそこでは、国民により選ばれた政治家たちが、国民の一般意思を代弁するはずであった。ところが実際にはそうはならなかった。なぜなら、例えば多数決などの方法は、一般意思を正確に反映することができないからだ。そしてその結果、すなわち代表=代弁の不可能性に嫌気がさした大衆たちが、ポピュリズム政治に走り、あるいは、全体主義へと逃走していった。

 一冊ずつの本が、こうして一つの主題でつながったわけですね。
 そしてここで皆さんに問いたいのは、上にまとめたこれらの書が訴える事態は、果たして現代においてはすでに解決済みのことなのでしょうか?
 答えはもちろん、否。
 つまり僕たちは、近代が生んだ国民国家や議会制民主主義のはらむ様々な問題点を直視し、是が非でもそれを良き方向へと修正していかねばならない、そんな時代を生きているわけですね。

今回の推薦図書

 というわけで、今回の推薦図書は、

小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)

です!

 別の見方をすれば、これは代議制の自由民主主義を活かし直すために、直接民主主義の要素をとりいれていくことでもあります。デモや社会運動は、政権と対立している状態なら「対立する声」になりますが、政権がそれに応じるなら「対話する声」になります。そこで弁証法的な関係を築ければいいのです。
 もともと代議制民主主義は、過去百年のあいだ、参政権を拡大し、参加できる「われわれ」の範囲を増やすことで、なんとか正統性を維持してきました。参政権を一八歳まで広げる動きが先進諸国で多いのも、若者を政治に参加させることで、社会的な包摂を広げることの一環です。参加させないと、知恵もつかないし、社会の一員という自覚も生まれないからです。
 そして近年では、参政権を形式的に与えられていても、まったく参加できている気がしない、という人があまりに多くなってきました。だから、実質のある分権やタウン・ミーティング、職業訓練や相談所、社会運動やNPOなどという形で、参加と包摂の範囲を広げるようになってきたのです。それをしないと、未来も見えないし参加できている気もしない、だからポピュリズムに走る、という人が出てきてしまうからです。
 これは、社会保障政策の最近の流行、というものではありません。社会を維持し、社会を作るために、やらざるをえなくなってきたのです。それを拒んで、いままで通りでいいのだ、などと主張するのは、労働者や女性に参政権などいらない、富裕層の有力者が決めればやっていけるのだ、というくらいに社会の変化がわかっていない姿勢です。

 新書とは思えない重厚な1冊(500ページ超!)ですが、国民国家や民主主義の限界を乗り越えていくための方法を、これほどまでに具体的、かつ明瞭に解説してくれる本を僕は知りません。何か月かけてくれてもかまいません。1ページ1ページ、丁寧に読み込み、僕たちの未来を切り開くための方法を皆で共有していきましょう!

 というわけで、今回をもってこの「大学受験のための読書案内」は、おしまい、ということになります。ここまでお読みいただいて、本当に本当に、ありがとうございました。
 ……とはいえ、また近いうちに「続・大学受験のための読書案内」を始めたいと考えておりますので(笑)、その際は何卒、引き続きの応援よろしくお願いいたします!

 それでは皆さん、良き読書タイムを!! 


 



 

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