大学受験のための読書案内・3
大学受験の現代文や小論文では、哲学や思想などをテーマとする、場合によっては相当に難解な文章も出題されます。ではどうすれば、そういった文章を自力で読み解けるようになるのでしょうか? その答えにはいろいろあるのですが、やはり、継続的な読書によってそうしたテーマやそこに出てくる言葉の意味を一つでも多く知り、それについて自分なりに考えてゆくことが大切になります。この「大学受験のための読書案内」シリーズでは、高校生、あるいは中学生でもがんばれば読めるような本を中心に、そうした知に触れるうえで格好の入門書を紹介していきます。
〈代表/代弁〉としての〈表象〉
大学受験のための読書案内・1は、お読みいただけましたでしょうか? 同記事では〈表象=representation〉という言葉について解説しましたが、そこでは、
〈表象=representation→re+presentation=再び示すこと〉という観点から、〈表象=再現〉という意味に焦点化しました。まだ未読という方は、ぜひ、上の大学受験のための読書案内・1をご一読ください。
ところでこの〈表象=representation〉ですが、この言葉には、同じく〈re+presentation=再び示すこと〉という構成に由来する重要な意味が、もう一つあります。それは、〈代弁/代表〉。今回はこの側面に注目して、解説していきたいと思います。
代表する、あるいは代弁するとは、いったいどのような行為でしょうか?
例えば、そうですね……、部活の代表が集まって、より良き部活動のありかたを話し合う、なんて状況を想像してみましょう。
このとき部活の代表は、個人の考え方や主張を述べるためにその会に出席しているのでしょうか?
それは、(少なくとも建前上は)違いますよね。
そう、部活の代表者は、自らが所属する部活の部員たちの意見を、その会で代弁するためにそこにいるわけです。
そしてこの部活の代表者による部員たちの意見の〈代弁〉とは、言い換えれば、その部活の部員たちの意見がその部の代表者の口を経て、その会議の場において〈再び示される〉ことを意味します。
ですから、〈再び示すこと〉を意味する〈表象〉という語は、〈再現〉以外にも、〈代表/代弁〉という意味を持ちうるのですね。
representation→re+presentation=再び示すこと→再現&代表/代弁
と覚えておきましょう!
代表制民主主義について
さて、上に述べた〈代表/代弁〉としての〈表象〉についての具体例、「部活の代表が集まって、より良き部活動のありかたを話し合う、なんて状況」についての説明をお読みいただいて、
「あれ? これっていわゆる民主主義と同じシステムなのでは?」
と思われた方もいらっしゃるかと思います。
そうですね。
まさに、集団の代表者が一堂に会し、集団の意見を代弁するというのが、近代的な意味での民主主義、すなわち、代表制民主主義とか議会制民主主義と呼ばれるシステムであるわけです。
より具体的に言い換えるなら、選挙を通じて自分たちの代表者を選び、その代表者(=代議士)に、国会という場で自分たちの意見を代弁してもらう。するとたとえ間接的にではあれ、自分たち国民の意思が、国政に反映されることになる……。
もうお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、このシステムは、〈主権者=国民〉という理念を軸とする、すなわち大学受験のための読書案内・2で解説した〈国民国家〉とも深く関連するものであるわけですね。
再び、表象の不可能性
さて、本稿の冒頭に大学受験のための読書案内・1のリンクを貼っておきましたが、そこではメディアという具体的な文脈の中で、〈再現〉の意味での〈表象〉について、その不可能性……すなわち、メディアは事実を〈表象=再現〉することはできない、という点を強調しておきました。
では、本稿で焦点化した、〈代表/代弁〉としての〈表象〉においては、それはどうなのか。
結論を言ってしまえば、まさに〈代表/代弁〉としての〈表象〉においても、しばしば、その不可能性が指摘されるのですね。すなわち、誰かが集団を代表したり、代弁したりすることは、実際には不可能である、と。
そしてこれを前述の代表制民主主義に当てはめて考えるなら、なんと、
国民の代表であるはずの代議士は、決して国民の代弁をすることはできない
ということになってしまうのです……!
なぜ国民の代表である代議士は、国民を代弁(=表象)することができないのか、その理由については、本稿では触れません。
ただ、例えば我が国の投票率があまりにも低すぎるその原因の一つに、「だって自分が投票したって、別に何かが変わるわけじゃないじゃん……」という国民のあきらめムードがあることは、しばしば指摘されます。これは端的に言ってしまえば、〈選挙を通じて自らの代表者を選び、自らの意見を代弁してもらう〉という〈代表/代弁〉のシステムに対する不信感であるわけです。つまり、理屈はさておき多くの国民が、「自らの意見は代表者によっては代弁されえない」という〈表象の不可能性〉を、大なり小なり実感してしまっているということなのです。そしてこの点が、実は近代的な民主主義が抱え込んでいる、もっとも大きな問題点であるわけですね……。
今回の推薦図書
というわけで、今回オススメするのは、
佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』(ちくまプリマ―新書)
という一冊です。
代表制が機能するためには、とりあえず何であれ、代表者が人民なり国民なりを、代表していると「みなす」ことが不可欠です。これがあって初めて、代表者は決定を下し、物事の処理をすることができます。(中略)しかし、この「みなす」という考え方にも、落とし穴がないわけではありません。つまり、それをあまりにルーズに考えると、いたずらに代表者や統治者を弁護する議論になってしまうからです。「あらゆる権力は世論に依存する」という有名な言葉がありますが、どのような独裁者でも、自分が本人(人民)の代表者であると「みなされたい」という願望を持っています。実際に、自分の独裁政権は「人民のためのもの」であるという言い方によって、この「みなし」の論理を使おうとする試みを繰り返し行ってきました。「人民のための独裁者」という言い方も決してないわけではないし、かなりの頻度で歴史の中に登場します。
ここでもまた、「代表制」という制度の不可能性、すなわち、〈表象=代表/代弁〉の不可能性が指摘されているってわかりますよね?
そう。
なぜならここで紹介されている「かなりの頻度で歴史の中に登場」するケースは、〈人民なり国民なりを代表しているという身振りで、実は独裁=少数者のみが権力を独占している〉状態なのですから……!
この、『民主主義』という不思議な仕組み』という本の中で、筆者は、民主主義の抱えるこうした問題点や課題について、古代アテネのポリス、フランス革命、ルソー、アメリカ合衆国の実践、イギリス議会制の仕組み、日本型民主主義の歴史や経緯などを具体的に参照しつつ、ていねいに分析してくれています。入試頻出テーマである民主主義とその問題点、あるいは課題について理解する、最良の入門書であるといえましょう。
では、今回は以上になります。それでは皆さん、良き読書タイムを!!
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