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大学受験のための読書案内・6

 大学受験の現代文や小論文では、哲学や思想などをテーマとする、場合によっては相当に難解な文章も出題されます。ではどうすれば、そういった文章を自力で読み解けるようになるのでしょうか? その答えにはいろいろあるのですが、やはり、継続的な読書によってそうしたテーマやそこに出てくる言葉の意味を一つでも多く知り、それについて自分なりに考えてゆくことが大切になります。この「大学受験のための読書案内」シリーズでは、高校生、あるいは中学生でもがんばれば読めるような本を中心に、そうした知に触れるうえで格好の入門書を紹介していきます。

ポピュリズムの定義

 近年、大学入試の評論文で、ポピュリズムを主題とする文章の出題頻度が高くなってきています。それはもちろん、現代の社会において、このポピュリズムというテーマが非常に重要な意味を有しているからです。いや、のみならずそれは、全世界的な主題、いうなれば人類史的な課題なのですね。学問の府である大学が、こうしたテーマをないがしろにするわけがありません。
 ですから大学受験を志す皆さんは、ぜひともこのポピュリズムというテーマについて、ある程度は知っておきたい。というわけでまずは、このポピュリズムという概念について、その辞書的な定義を参照してみましょう。

一般的には,(1) 政治・経済・文化エリートに対する異議申し立て,(2) 主権者として代表されていない「人々(people)」の掲揚,(3) カリスマ的な指導者による扇動,などを特徴にしている。
(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典』より一部抜粋)
政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼ぶ。
(『知恵蔵』より一部抜粋)
一般的に、「エリート」を「大衆」と対立する集団と位置づけ、大衆の権利こそ尊重されるべきだとする政治思想をいう。
(朝日新聞掲載「キーワード」より一部抜粋)

 それぞれの出典によって説明にブレはありますが、例えば『ブリタニカ』に述べられる「『人々(people)』の掲揚」と、『知恵蔵』の「大衆を重視」あるいは「大衆の基盤に立つ」、そして「朝日新聞」の「大衆の権利こそ尊重されるべきだ」あたりの記述は、すべて、〈大衆の味方である〉という意味にまとめることができるかと思います。
 また、『ブリタニカ』における「政治・経済・文化エリートに対する異議申し立て」、および「朝日新聞」における「『エリート』を『大衆』と対立する集団と位置づけ、大衆の権利こそ尊重されるべきだとする」などの解説も、〈エリート批判〉と集約することができます。
 そして、『ブリタニカ』での「扇動」および『知恵蔵』での「情緒や感情によって態度を決める大衆を重視」という記述から、〈感情をあおる〉という彼らの手法が解釈できます。
 さらに『ブリタニカ』には、そうやって〈感情をおある〉主体が「カリスマ的な指導者」であることが、はっきりと明言されています。まとめるなら、辞書的定義としてのポピュリズムとは、

カリスマ的な指導者が、煽情的な言葉でエリートを批判したり自分たちこそが大衆の味方であることを訴え、大衆を感情的にあおる

ような政治のありかたを言うことになります。

民主主義とポピュリズム

 さて、ここで、『ブリタニカ』の解説にあった、「主権者として代表されていない『人々(people)』の掲揚」という文言に着目してみましょう。つまりはポピュリズム的政治家が扇動する大衆とは、「主権者として代表されていない」ような人々のことを指す、ということになりますが……。
 この、「代表」という言葉に見覚えはありませんか?
 そうです。こちら大学受験のための読書案内シリーズ2~5では、この「代表」という言葉をキーワードに、代表制民主主義とその不可能性(=国民を代表するはずの代議士は、実際には国民を代弁することができない)について、いろいろな角度から説明してきましたね?

 これはいわゆる近代的な民主主義が抱えるジレンマであり、いまだ人類はこの課題を克服することができていない……どころか、例えば日本の選挙における投票率の低さにかんがみるなら、

どうせ投票などしたところで、自分の声など政治に届くわけがない(代表制民主主義においては、国民の声は決して代弁されえない)

というのが、多くの国民たちの嘘偽らざる感情であることは間違いありません。
 そして、この、代表制民主主義への国民の不信感を利用して、ポピュリズムが台頭してくるのですね。つまりは、「今の政治じゃ誰も自分たちの意見など代弁してくれない……」と不平不満を抱え込んでいる大衆に向かって、カリスマ性を身にまとった指導者が、例えば、

「ですよね? 今の政治家たちは皆さんの声を政治にきちんと届けてくれてませんよね!? そう感じるでしょう? なぜかわかります? なぜ彼らは皆さんの言葉を無視し続けるのか……それはね、今の政治がエリート中心主義だからです! そう。政治家はみな、エリートだらけ! だから自分たちエリートの利益しか考えない、アホばっかなんですよ! もうこんな政治ぶっ潰しちゃいまししょうよ! ね? ぶっ潰したいでしょ? ほら、ぶっ潰したい! じゃあうかがいますよ? 今、『この国の政治をぶっ潰したい!』って思った皆さんの声を直接聞いているのは誰ですか? そう。僕らですよ。僕らこそが、皆さんの声を政治に直結させることができる、唯一の存在なんです! 僕らに力をください! 僕らは必ず、アホなエリートたちが私利私欲で作ってきたこのクソみたいな政治をぶっ潰してやりますから!」

といった感じで、まさに煽情的な言葉でエリートを批判したり自分たちこそが大衆の味方であることを訴え、大衆を感情的にあおるのですね。
 つまりはポピュリズムは、代表制民主主義、あるいはそこに内包される代表の不可能性が生み出したものとも言えるわけです。

ポピュリズムの実際

 このポピュリズム的な政治のありかたは、しばしばその危険性を指摘されます。なぜならポピュリズムは、大衆の感情を過激な言葉で扇動するという手法をとるからです。
 例えば、この世界的な不況の長引くなか、大衆は、どれほどきつい仕事をしてもまともなお金を手にすることができません。ですから一向にこの事態を改善できない政治に、不平不満を抱きます。が、大衆は多く、政治経済的な知識にうとい。したがって、いったい何が問題なのか、自分たちでは理解できない。そんなときに、カリスマ的指導者が、

「あなた方かこうして苦しんでいるのは、外国人労働者があなた方の仕事を奪っているからだ! 諸悪の根源は、外国人労働者なのだ! あるいはそれを認める今の既存政党なのだ!」

などとあおれば、多くの人々は

「うおー! そうなのか! ならば外国人は追い出せ! 外国人の労働を認可する政府はぶっ潰せ!」

と反応することになる。こうしてポピュリズムは、往々にして、排外的・暴力的な言説と連動していくことになるのですね。
 
 でも、ここで〈ポピュリズム=排外的・暴力的な政治運動〉と一義的に思いこんでしまうのも、実は正解とは言えません。
 例えばポピュリズムにおける、大衆を直接に扇動し、大衆の声を議会に届けるというスタンスは、裏を返せば民主主義のラディカルな実践ともいえるかもしれない。
 実際に、様々な文脈はあれ、いわゆるリベラルな主張を信条とするポピュリズム政党も、世界には存在します。
 すなわち、先ほど本稿でまとめた定義を読んだだけで、ポピュリズムを理解したつもりになってはならないのです。時代や場所ごとの、個別具体的な事例を、なるべく網羅的に知ることが大切になる……。

今回の推薦図書

 というわけで、今回の推薦図書は、

水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書)

です!

 それでは、排外的な主張を訴え、既成政治を断罪する現代のポピュリズムは、民主主義の敵対者なのか。二〇世紀を通じて人々が勝ち取ってきたはずの自由と民主主義をひっくり返し、歴史の歯車を逆転させる動きなのだろうか。
 ことはそう単純ではない。本書で明らかにしたように、現在のポピュリズムはかつての極右的、反民主的な姿勢を事実上払拭したうえで、他の政党と同様、民主主義の通常の参加者として、すでにその位置を確保している。
 それどころか、二一世紀の欧州のポピュリズムは、現代デモクラシーの依拠するリベラルな価値、デモクラシーの原理を積極的に受け入れつつ、リベラルの守り手として、男女平等や政教分離に基づきイスラム移民を批判する。またデモクラシーの立場から、国民投票を通じ、移民排斥やEU離脱を決すべきというロジックを展開する。現代のポピュリズムは、いわばデモクラシーの「内なる敵」(ツヴェタン・トドロフ)として立ち現れている。その論理を批判することは、容易なことではない。

 ポピュリズムについて、その基本的な定義から始め、かつ、個別具体的な事例までをも網羅する入門の書として、多くの人々が支持するかなりの良書です。入試現代文や小論文の対策のためにも、そして、僕たちの社会や世界のこれからを考えていくためにも、必読の一冊です!

 では、今回は以上になります。それでは皆さん、良き読書タイムを!!



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