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「わたしにつながる/にんげん」の一人として (峠三吉『原爆詩集』「序」を読んで)

峠三吉(1917〜1953)は、広島で原子爆弾を経験した詩人です。以下は、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の解説です。

1917-1953 昭和時代の詩人。
大正6年2月19日生まれ。昭和20年広島で被爆。原爆症にくるしみながら広島青年文化連盟などの文化活動を指導する。26年「原爆詩集」をガリ版刷りで出版,27年「原子雲の下より」を編集。昭和28年3月10日死去。36歳。没後に「峠三吉全詩集―にんげんをかえせ」が刊行された。大阪出身。広島商業卒。本名は三吉(みつよし)。
【格言など】ああみんなさきほどまでは愛らしい 女学生だったことを だれがほんとうと思えよう(「原爆詩集」)

峠三吉の詩集『原爆詩集』は、以下の言葉から始まります。

――一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

僕の親戚や直接の知り合いには、「原子爆弾によって命を奪われた人」や、「現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人」はいません。
けれども、「生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人」はいます。母の親友は、愛する人を原爆症で亡くしています。スポーツマンでとても心身の強い人だったとのことですが、ある日、からだのあちこちにあざのあるのを見つけ、それからほどなく、この世を去ったと聞きました。
ただ、母の親友ですから、もちろん会ったことや話したことは何度もありますが、"僕の直接の知人"とは言えないかもしれません。
でも、峠の言葉の言う、「全世界の原子爆弾を憎悪する人々」の中には、僕は確実に含まれます。この言葉は、未来をも含めたあらゆる人々を、核兵器というおぞましい存在、あるいは出来事の、当事者とすることを意図しているのに違いありません。誰も、第三者であってはいけない。自らのこととして、考えていかねばならない。僕は、峠の言葉に応答します。

あまりにも有名な「序」の全文を、以下に引用しておきます。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

「わたしにつながる/にんげんをかえせ」とあります。この「にんげん」のなかには、僕も含まれます。もちろん、皆さんも。そして、この地球上にこれまで存在してきた、今存在する、これから存在することになる、あらゆる人々も。

「わたしにつながる/にんげん」の一人として、あらためて、宣言します。

核武装を示唆するあらゆる言説に対して、断固、否、と。

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