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ブンガクのことば【0112】

老先生は支那間の壁掛の蔭に行って立ちどまって、
「バリバリ音が聞えているぞ」
 とおっしゃった。
「浸潤では、ございませんの?」
「違う」
「気管支カタルでは?」
 私は、もはや涙ぐんでおたずねした。
「違う」
 結核(テーベ)! 私はそれだと思いたくなかった。

〜太宰治「斜陽」より〜

物語の語り手であるかず子の(少なくとも意識の表層では)敬愛する母親が、病に臥せり、往診の医師に結核を診断される場面である。
興味深いのは、「バリバリ音が聞えているぞ」という医師の言葉で、かず子がすでに、母が結核であることを悟っている点だ。
つまり「バリバリ」という擬音語が結核の象徴であるというコードが、"常識"として、医師とかず子、そして、「斜陽」の読者とのあいだで共有されていたということになる。
当時の社会において結核という病が持っていたリアリティ、それがひしひしと感じられる場面である。



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