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大学受験のための読書案内・5

 大学受験の現代文や小論文では、哲学や思想などをテーマとする、場合によっては相当に難解な文章も出題されます。ではどうすれば、そういった文章を自力で読み解けるようになるのでしょうか? その答えにはいろいろあるのですが、やはり、継続的な読書によってそうしたテーマやそこに出てくる言葉の意味を一つでも多く知り、それについて自分なりに考えてゆくことが大切になります。この「大学受験のための読書案内」シリーズでは、高校生、あるいは中学生でもがんばれば読めるような本を中心に、そうした知に触れるうえで格好の入門書を紹介していきます。

一般意思と多数決

 前回の「大学受験のための読書案内・4」では、ルソーの「一般意思」という概念について、ざっくりと見てみました。それは、市民個々人が自分の利益をいったん横におき、そのうえで追求される、市民全員にとっての利益を表した考えのことでしたね?
 そして、それを追求する場、すなわち議論を重ねて「一般意思」を導き出し、それを具体化したものとしての法を制定する場が、議会でした。
 では、それが市民全員の「一般意思」であることは、具体的にはいったどのように保証されるのか。
 ここで多くの方が、おそらく「多数決」という言葉を想起したのではないでしょうか?
 例えば、国民を代表する代議士は選挙によって選ばれますが、これはご存知の通り、多数決に基づいたシステムになっています。つまり多数決によって、誰が国民の「一般意思」を代表することができるか、ということを決めるわけですね。
 そして、議会の場においても、最終的には多数決によって、その政策を認めるか否かが決定されます。
 つまり、

「多数決」によって国民の大多数の支持を得た代議士ゆえに、国民の一般意思を代弁することができるはず。そしてそのように国民の一般意思を代弁することのできる代議士たちが議会で話し合い、さらに厳正な多数決によって決定されるのだから、結果的に、近代国家の理念通り、法には国民の一般意思が反映されることになる

という理屈ですね。要するに議会制民主主義は、「多数決」の論理を用いて「一般意思」を決定するための、現実的なシステムであるわけです。

コンドルセのパラドックス

 しかしながら、フランス革命の闘志ロベスピエールが精神的支柱としていたルソーは、前回「大学受験のための読書案内・4」で述べた通り、すでに〈表象=代表/代弁〉の不可能性(=国民の代表であるはずの代議士は、議会の場で国民の意見を代弁することはできない)を指摘し、代表制民主主義という考え方を批判していました。曰く、「一般意思は代表されない」、と。

 仮に代表制民主主義における〈一般意思の決定〉が、現実的には多数決によって為されるのであるならば、ルソーにおける代表制民主主義批判は、多数決によっては一般意思を決定することはできない、という意味を持っていたはずです(実はこの点についてはいろいろと複雑な議論があるのですが、今回は割愛します💦)。
 そしてここでもう一人、これまたフランス革命の立役者の一人といえる重要人物、コンドルセについても紹介しておきたいんですね。

コンドルセ【Marquis de Condorcet , Antoine Nicholas de Caritat】
(1743~1794) フランスの数学者・政治家。啓蒙思想家の立場からフランス革命に参加し、ジロンド派憲法の草案作成に参画。公教育を重視。恐怖政治に反対し、投獄され、自殺。主著「人間精神進歩の歴史的概観」
https://kotobank.jp/word/コンドルセ-67489
『大辞林 第三版』より

 なかなかに激しい一生であったことがわかります。
 例えば「啓蒙思想家」としてのコンドルセや、彼の「自殺」に至るまでの経緯について知ることもとても意義があるのですが、今回のテーマに即するならば、以下の点に触れないわけにはいきません。それは、

        コンドルセのパラドックス

です。

コンドルセ‐の‐パラドックス(Condorcet's paradox)
多数決により三つ以上の選択肢から一つを選ぶ場合に生じる矛盾。たとえば候補者A、B、Cの中から三人の投票者により多数決で選出する場合、投票者の選好順序がそれぞれ、A>B>C、B>C>A、C>A>Bのように異なると、選好順序に循環が生じ同票数になって決着がつかない。恣意的に候補者を二人に絞って投票を行い、その勝者と残る一人を競わせることで決着はつくが、投票の手続きによって勝者が異なってしまう。18世紀フランスの数学者・思想家・政治家コンドルセが発見。コンドルセの逆理。投票のパラドックス。 
https://kotobank.jp/word/コンドルセ%28ノ%29パラドクス-686102
『デジタル大辞泉』より

 う~ん、、、難しい(苦笑)
 ここは正直、コンドルセが単純な多数決という方法に何らかの疑問を抱いていた、ということが分かればオッケーです。
 でも、せっかくですからもう少し理解してみたいですよね。
 だってここまで述べてきたように、多数決は我々の議会制民主主義において、我々の一般意思を決定する方法として採用されているのですから、もしそこに何かしらの問題があるならば、じっくりと考えてみたいじゃないですか……!
 では、このコンドルセのパラドックスという難解な考え方をわかりやすく説明してくれる格好の入門書はどこかにないものか……?
 まーた、そんな都合のいい話がそうそうあるわけ……あるんですね!笑

今回の推薦図書

 というわけで、今回の推薦図書は、

坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(岩波新書)

です!

 素人の僕がここでぐちゃぐちゃ説明しても、かえって皆さんを混乱させてしまう可能性もありますし、知らずに間違ったことを言ってしまうかもしれません。というか何よりこの本での筆者による説明が本当にわかりやすいので、ぜひぜひ読んでほしい。
 筆者はこの本のなかで、「コンドルセのパラドックス」のみならず、様々な〈一般意思の決定法〉について言及します。
 そうです。
 僕たちは〈一般意思の決定法〉と言えば、ついつい多数決を思い出してしまう。
 でも筆者は、それがフランス革命期からすでに問題含みの方法であることが指摘されていた点を述べながら、様々な〈一般意思の決定法〉があることに、その具体的な内容に触れつつ、言及していくわけです。
 しかし僕たちは、何の反省もなく、多数決という手法を疑いもなく採用し続けている……。
 筆者はおそらく相当の怒気をもって、こう語ります。

多数決という意思集約の方式は、日本を含む多くの国の選挙で当たり前に使われている。だがそれは慣習のようなもので、他の方式と比べて優れているから採用されたわけではない。そもそも多数決以外の方式を考えたりはしないのが普通だろう。だが民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を安易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。

 良き書物というのは、それを読む僕たちの常識を破壊してくれ、新たな世界を示してくれるもの。
 本書を読み終えた皆さんの目の前には、必ずや、これまで考えもしなかった新しい光景が広がっていることでしょう……!

 では、今回は以上になります。それでは皆さん、良き読書タイムを!!

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