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大学受験のための読書案内・1

 大学受験の現代文や小論文では、哲学や思想などをテーマとする、場合によっては相当に難解な文章も出題されます。ではどうすれば、そういった文章を自力で読み解けるようになるのでしょうか? その答えにはいろいろあるのですが、やはり、継続的な読書によってそうしたテーマやそこに出てくる言葉の意味を一つでも多く知り、それについて自分なりに考えてゆくことが大切になります。この「大学受験のための読書案内」シリーズでは、高校生、あるいは中学生でもがんばれば読めるような本を中心に、そうした知に触れるうえで格好の入門書を紹介していきます。

【representationとしての表象】

 唐突ですが、皆さんは、representation という単語をご存じでしょうか? re は「再度」「再び」という意味を表す接頭辞、そして presentation は、ここでは「提示」「示すこと」という意味でとっておいてください。つまり representation とは、「再び示すこと」という意味を表す単語なわけですね。以下に、『プログレッシブ英和中辞典』(小学館)の定義を引用しておきます。ちょっと読んでみてください。

 まず最初に、「表現」という語義が掲載されていますね? なぜ、「再び示すこと」という意味のはずの語が、「表現」と翻訳されるのか?
 例えば……そうですね、皆さんは、写生をしたことがあると思います。自然の風景や街並みなどを、絵の具や色鉛筆で「表現」する、アレです。で、この写生という「表現」がどのようになされるか、そのプロセスをざっと振り返ってみてほしいのですが、そこには、目の前にある光景を見て、そしてそれをスケッチブックなどに「再現」する、という過程が確認されるはずです。
 そう。
 要するに「写生」という「表現」は、〈対象をスケッチブックに再現する=再び示す〉という営みであることになります。だから、「再び示すこと」を意味する representation を「表現」と訳すのは、きわめて自然なことなのですね。
 ただやはり、この representation は、文脈によっては「再び示すこと」という意味をより強く持つことがあります。そしてもちろんそういった場合には、「再現」のほうが、やはりしっくりくる訳語ということになるはずです。
 ところがこの「再現」の意味での representation は、しばしば「表象」と翻訳されるのですね。この「表象」は、基本、「頭の中にあるイメージ」といった程度の意味の語ですが、でも確かに「頭の中にあるイメージ」って、現実にある何かしらのモノを、頭の中に「再現」したものです。ですから、representation とは、「表現」であり「再現」であり、そして「表象」であるわけです。

【表象としてのメディア】

 さて、この〈representation=再現/表象〉という意味を聞いて、皆さんはまず、何を思い浮かべますか?
 もちろん、何かを再現する行為にはいろいろなものがあるでしょう。でもここで着目したいのは、「メディア」なのですね。
 そう。
「メディア」は、端的にいって、もっとも典型的な〈representation=再現/表象〉の装置なのです。だって、たとえばテレビに映っている何かしらの画像って、現実にある対象を「再現」したものでしょう?
 そうです。
 テレビだろうが新聞だろうが、ネットだろうがラジオだろうが、そこに描かれているのは、原則、現実世界で起きた出来事の、「再現」すなわち「表象」であるわけです。
 ですからこの、〈representation=再現/表象〉という語は、しばしば、入試頻出テーマでもある「メディア論」のキーワードになるのですよ。すなわち「メディア」とは、現実を〈representation=再現/表象〉する媒体である、と。

【表象の不可能性】

 そして、メディアをこの〈representation=再現/表象〉という観点から論じる文章の多くは、しばしば「表象の不可能性」を主題とします。
 表象の不可能性?
 表象、つまりは〈representation=再現/表象〉できないってこと? メディアが???
 はい。
 そうですね。
 確かにメディアは、一見すれば〈representation=再現/表象〉するための装置に見えますが、その実、対象を完璧に〈representation=再現/表象〉することなどできないのです。そして多くのメディア論が、その点、「表象=再現の不可能性」を指摘する……では、それは具体的に、いったいどういうことか???

【森達也『世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー』】

 「おいおい、『読書案内』とか言いながらぜんぜん本の話が始まらないじゃん!」とお思いの皆さん、ここでやっと、今回のオススメ本の紹介です!


 森達也『世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー』(理論社/イーストプレス社)。
 

 これが今回の推薦図書。
 筆者は同書の中で、プロデューサーやカメラマンらメディア側の人間が、どのようにニュースを作成してゆくのか、そのプロセスを次のように説明します。

 まず何をニュースに選ぶかという段階で、すでに個人の主観は始まっている。テレビの場合は、これにさらに、撮影というフレーミングの要素が入る。つまり現場のひとつの断面を選ぶ。言い換えれば、選んだ断面以外は捨てる。
 編集の段階では、たくさんある映像素材の順列組み合わせで、また大きく変わる。今度はそこに、音楽やナレーション、効果音などを加える。たとえばさっきのニュース(故意の接触事故により、被害者が重体になったという架空のニュース…引用者注)の場合、哀しい音楽を使えば、被害者の辛さや哀しみはより増幅される。不気味な音楽を使えば、加害者の非人間性がより強調される。ナレーションの内容で、視聴者の感情をかなり誘導することもできる。もっと強調したいときには、インパクトのある効果音を入れたり、テロップを入れたりする。 

 要するに、確かにメディアは現実を再現=表象しようとする。でも、そこにはそれをする側の主観や意図が必ず介入してくるから、それは絶対に、現実そのものの再現にはなり得ない!ということですね。まさに、「表象の不可能性」について、その原因からわかりやすく説明してくれているわけです。
 僕の知るかぎり、表象論あるいはメディア論の入門書として、これほどわかりやすい本はありません。現在は中古品でしか手に入らないみたいですが、どのようなかたちででもかまいませんので、なんとかして皆さんに手に入れてほしい。是が非でも読んでほしい一冊ですね~!


【「よりみちパン!セ」シリーズ】

 同書は、「よりみちパン!セ」というシリーズの一冊です。このシリーズはもともと理論社から刊行されていたのですが、後にイースト・プレス、そして2018年以降は新曜社から刊行されています。そのうたい文句は、

「学校では教えてくれなかった」生きるための知恵の数々を、第一線の書き手が書き下ろす、〈中学生以上すべての人のための〉ノンフィクションシリーズ

となっています。看板に偽りなし。まさに中高生でも読めるような教養書で、評論文を苦手とする人のための入門としてはこれ以上ないシリーズです。タイトルも豊富で、必ずや自分の興味関心にあった一冊が見つかるはず!



では、今回は以上になります。それでは皆さん、良き読書タイムを!!




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