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プロフィール

GENCOS(げんこす、本名:非公開)は、日本のパン職人(製パンマイスター/ドイツの国家資格)・執筆家・イラストレーター。ドイツ在住8年。

誕生   :長野県飯山市
職業   :パン職人(2015年9月-2018年7月:製パン見習い、2018年8月-2021年11月:パン職人(ゲゼレ)、2021年12月-2023年8月:パン職人(製パンマイスター)、現在:フリーランスのパン職人
旧職業  :宮大工(2012年3月-2015年1月)
活動   :小説家・随筆家・イラストレーター(note、Instagram)
言語   :日本語・ドイツ語
国籍   :日本
身長   :178cm
教育   :製パンマイスター(学士、ドイツ)
活動期間 :2020年12月17日-
ジャンル :純文学小説・リアルタイムサクセスストーリー・アルティメットノンフィクション純文学・ファンタジー小説
代表作  :『ドイツパン修行録』(2021年-現在)
     『聖夜の夢はクジラの上で』(2021年※リメイク版)
     『短篇集「クリスマス・プレゼント」』(2022年)
YouTube :GENCOS|ドイツパン修行録
      活動期間:2023年1月22日 - 現在
影響を受けたもの
    
:夏目漱石
      志磨遼平
      ヒュー・ロフティング
      N.C.ワイエス


略歴

学生時代

小学生の頃は絵を描いたり話を作るのが好きな子供で、自分で漫画や小説を作って楽しんでいた。小学校高学年時には当時の担任教師の影響で、自作の漫画を教室に置いていたほか、担任の意向でクラス全体で行っていた音楽活動の一環として、自身の漫画の主題歌や劇を作った。

人生で計5回骨折を経験しているが、その内の4回が小学生時代。小学校4年生の時の右手首骨折が人生で初めての骨折だった。「大人だったらもう元通りにならなかった」と言われる大怪我だったが、骨折当日は膝の擦り傷の方が痛かった。尚、この骨折で右腕にギブスが巻かれたのを機に左手で箸が使えるようになった。

中学校3年生の時に文化祭実行委員の副委員長に選ばれる。文化祭が行われる数週間前に地元の秋祭りが行われ、楽隊として参加していた際に髪型をモヒカンにししばらくの間モヒカンで学校に通っていたが「全校生徒の前に立つのに相応しくない」と教師から注意を受け、結局文化祭には坊主で参加した。

中学校から高校まで軟式野球をしていた。「2番・サード」に強い憧れを持っていたが、中学時代は「5番・サード/ピッチャー」、高校時代は「7番・ピッチャー/サード」を任される事が多かった。2番に強い憧れを持っていた理由は、本人曰く「野球の中で送りバントが一番かっこいい」から。

工業高校3年生の頃に、担任教師から成績を加味した上で大学進学を強く勧められたが「勉強が好きじゃない」の一点張りで就職を選んだ。求人票を漁り、その中で唯一大工を募集していた宮大工の会社に面接試験で合格する。

宮大工時代

県外の建設会社に就職し初めて親元を離れる。また会社の決まりで5年間の見習い期間中は3,4人一部屋の寮生活だった為、寮に入って最初の1年間は先輩を恐がり仕事以外の時間をベッドの上で過ごしていた。

1年目の頃から退職するまでの4年間先輩や会社から期待を掛けられていたが、本人の中では「(お酒の席などでの)人付き合いで気に入られているだけで、(技術や知識などの)実力が誰よりも伴っていない」と思っていた。最終的にこれが退職を決める主な理由になった。

入社2年目で受けた大工技能士試験二級で優秀者に選ばれ、翌3年目の時に大工技能士として技能五輪全国大会に県代表で出場した経験がある。約2カ月の間は仕事をせず、その代わりに朝から晩まで孤独に課題の練習をし続けて本番に臨んだが、当日発表課題の部分で失敗し散々繰り返して来た課題を組み上げる事すら出来ず呆然自失を味わった。

入社4年目の時に副寮長に選ばれ翌年に寮長になる事も伝えられ、仕事でも責任のある仕事を任される事が多くなってきた順調に思える環境の中で、「このままここに居続ける事を想像すると怖い」と感じ退職を申し出る。この時の気持ちの根源には上記した「実力不足」の思いがある。また大工と言う仕事に対して真剣な2人の後輩と出会い「実力も熱意も無く世渡り上手なだけで評価を受けて来た自分に、先輩と言う立場だけで彼らを叱る資格は無い」と思った事も、『ドイツパン修行録』の中で書かれている。(参照

大工時代、1日に2度事故に遭うという出来事があった。1度目は早朝3時の高速道路で、運転していた会社のトラックの整備不良によりハンドルが取れなくなり、推測時速100㎞でトンネル内の壁に激突した。その際、車の前部が大破したものの自身に怪我は無かったが、膝のすぐ近くに置いていた缶コーヒーの缶はぺちゃんこに潰れていた。その後事故処理をし、一度会社に戻った後別のトラックで現場に向かい、現場で建材をトラックに積んだ後、会社へ帰る道で後ろから車に追突されたのが2度目である。

入社4年目の時に建前の現場で柱を建てはりを掛けている際、柱を叩こうと左手で柱に当て木をし右手で木製のハンマーを振って誤って自身の左手親指をハンマーで叩いてしまう。これが人生5度目の骨折にして、初めての複雑骨折だった。現場近くの病院で応急処置をして貰った後、1週間そのまま現場での仕事に参加する。病院の先生曰く「アスパラの茎を潰した様な状態」だったらしい。

パン屋への転職を考えた際、立ち寄った本屋で兵庫県の某パン屋の店主が書いた自叙伝を偶然手に取り、購入したのち読むとその内容に自分の姿が重なり、次の週末にそのパン屋まで車を走らせアポなしで店主に会いたい旨を販売員に伝える。すでに仕事を終え昼寝中だったという店主を彼の行きつけの喫茶店で待ち色々と話を聞く。海外/ドイツという選択肢が生まれたのはその時であった。

ドイツ/パン職人時代

英語もドイツ語も出来ず、海外渡航経験も無く、また飛行機や空港の仕組みも知らなかった当時を回想して、「成田空港の搭乗ゲートを潜ってからアブダビ空港で乗り換えてミュンヘンに到着するまでの記憶がほとんど無く、どうやって無事に辿り着けたのかがわからず、それを思い出そうとすると怖くなる」と語っている。

2015年の渡独後、はじめの6カ月間は語学学校に通い、その年の9月からパン屋での職業訓練が始まる。

原則週5日が出勤扱いとなり、うち4日は仕事、1日は職業学校へ通っていた。当時の仕事時間は深夜1時から朝10時頃。「語学学校で学んできたドイツ語が役に立たない」と実社会とのギャップを埋める為に、帰宅後もひたすらドイツ語や製パン知識の勉強に精を出していた。

職業訓練3年目で受けた修了試験(Abschlusspruefung)では、2018年のミュンヘンにおける全見習い生の内、3番目の成績で合格しゲゼレ資格(職人)を取得した。しかし自身は手応えを得られなかった自覚があり、好成績にもかかわらずその結果に疑問を抱いている。

合格後、職人として2年の実務経験を積む。主に大型パン用オーブンや生地の仕込みを担当し、約800個の大型パンの焼成を任されていた。

2021年に製パンマイスター資格取得を目指し、マイスター学校に入る。約7カ月間の学校期間を経て、その年の12月に製パンマイスター試験に合格し資格を取得する。なお、その際に資格試験を目指す様子をリアルタイムで書き残そうと、毎週日曜日にnoteで発信されていたのが「ドイツパン修行録」である。

2021年10月からシュヴァンドルフという南ドイツの小さな町に移り住み、そこにあるオーガニックのパン屋に勤めていた。その後、ドイツの新聞に日本から来たパン職人として1ページを丸々使って大きく掲載された。(参照

帰国した現在はフリーランスのパン職人として、道の駅にパンを出荷する他、イベントなどに出店している。またnoteのほかYouTube、Instagram、Stand.fmでも活動をしている。

人物

・渡独後、ドイツ国内を始めヨーロッパ各地を旅行したが、オーストリアのウィーンが世界で一番好きな街だと語っている。理由は「そこにいるだけで心が満たされる。心が溶け合う感覚になる」と漠然としているが、この感覚は夏目漱石の小説作品、ドレスコーズの楽曲作品にも通ずるとしており、これらの作品に関してはさらに「共鳴みたいなものを感じる」とも本人は言っている。そうした好きの感覚に本人は「クラシック」という言葉を当てている。またウィーンが好きすぎてウィーンの歌を作詞作曲編曲した事がある。

・夏目漱石作品に心を奪われたきっかけは、ドイツ在住2年目の頃の苦悩期に読んだ名作「こころ」であり、「今まで読んだ小説の中で初めて声を出して笑った作品」だとしている。そののち2020年に日本への一時帰国をした際、新宿区立漱石山房記念館(東京都新宿区)にて夏目漱石先生と念願のツーショットを果たしている。ちなみに最も好きな漱石作品は「行人」。

・革靴が好きで、ゲゼレ試験に合格した2018年とマイスター試験に合格した2021年に、それぞれ自分への御褒美に革靴を買っている。なお革靴も上記した趣向「クラシック」の仲間だとしている。

・6人兄弟で上から3番目にあたる次男。

・初めて一人旅をしたのはドイツに渡ってからである。北ドイツのヴォルプスヴェーデ・通称「芸術家の村」を目的地とし「芸術家を芸術で閉じ込める」をテーマに絵具とスケッチブックを鞄に入れて向かった。風景画が苦手なのと雨男というのもあり満足に目的を果たせなかったが、現地の美術館を回った際にウド・ペータース(※リンク先:ドイツ語のページ)の作品を見て人生で初めて絵画による感動を覚え、芸術の何たるかを感じたと話している。

・コーヒーを非常に好み、多い時で1日に4,5杯飲むこともあった。

・ドイツでの見習い期間中、勉強する時間を確保する為に「何を食べたいとか、その為に何が必要かとか考えなくて済むし、必要以上に調理に時間を掛けたくない」と2年間ほとんど毎日カルボナーラを食べていた時期がある。それもあって職人となって初めて迎えた誕生日にイタリア・ローマへ「本場のカルボナーラを食べさせる旅行」を弾丸で敢行。発祥のお店とされるレストランにてカルボナーラを食べた。

・自他ともに認める雨男。

・絵を描く事は幼少期から好きであったが、集中して絵を描くという事が苦手で、中学校の美術の授業も全く好きではなかった。苦手な事は風景画、得意な事は似顔絵である。

・趣味として「何かを作る事が好き」と語っている。文章や絵をかくこと、パン作り/菓子作り、勉強の他、旅行、靴磨き、チェス、読書、音楽鑑賞も好む。また在独当時、パン屋での仕事以外に自宅でパンや菓子を作る練習をし、それをインスタグラムに投稿している。(参照

・映画やアニメ、漫画やゲームをするのは苦手であるが、それらに詳しい人からマニアックな話を聞くのは好きである。また睡眠や食事についても、自分が行うよりも人が気持ちよさそうに寝ているのを見たり、美味しそうに食べているのを見る方が好きだと過去に語っている。

・死ぬまでにクジラと泳ぎたいという夢がある。

ドイツパン修行録

2020年の頃に原案が思い浮かび、その当時は「マイスター試験へ挑戦する過程を綴るブログ」だったが、本人曰く「ブログらしい文章を書くのが苦手だから、それでは途中で苦になって続かない」という懸念があったため断念。純文学の様な文章が現代の読者に受けるとは思えないとしながらも、「自分の言葉の最も自然な形であり、無理をせず継続出来る事が大前提」であるとし現在のスタイルになった。

原案当初は「写真付きのブログ」だったが、授業や試験の様子を写真にする事は難しいという点から「絵日記型」という案に変わり、上記した通りの理由からブログというよりも小説に近いものになりそうだった為、「挿絵」という形をとる事になる。方針が決まると、2020年の6月から「週に1枚絵を描く」と決め2021年から「ドイツパン修行録」を始められるように絵の練習を半年間行った。

元々の挿絵のイメージは幼少期に読んだ本「ドリトル先生シリーズ(ヒュー・ロフティング)」や「宝島(N.C.ワイエス)」などの彼らの挿絵であった。

作品の特徴として実在しない勝手な当て字や造語を用いて遊んでいるというのがあるが、「漢字や言葉の勉強になる」というコメントを貰ったのを機に「この作品では一部実在しない漢字/表現を使用しています」という注意書きを添えるようになった。

2021年10月まで「マイスター学校編」として授業や試験の様子を描かれていたが、それ以降「習うより慣れろ編」「ベル・エポック編」「The ending of a wonderful journey編」、そして現在の「アイム(・ノット)・ア・ストレンジャー編」と続いている。

外部リンク

GENCOS|ドイツパン修行録(@gencos_baecker) - Instagram
GENCOS|ドイツパン修行録(動画配信)     - YouTube
発酵を待ちながら|ドイツパン雑談録(音声配信)- Stand.fm
GENCOS|ドイツパン日常録(@gencos_baecker) - X


最終更新:2024年1月26日 14:30


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