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ドイツパン修行録~マイスター学校編~

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製パン経験の全く無かった元宮大工の男がパンの本場ドイツに渡り、国家資格である製パンマイスターを目指す物語のマイスター学校編。 田舎町に移り住み、通い始めたマイスター学校。真っ新な…
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#夢

*5 おわりはじまり

 ドイツに来てから五年間世話になったパン屋をとうとう辞めた。気付けば前職の宮大工であった四年を越え、暦で見てももう肩書はパン職人たるべきはずである。振り返ろうとすると想像以上に文字数が嵩みそうなので、今回ばかりは覚悟を持って読み進めていただきたい。  去年の春頃に企てた時点ではその年の七月まででとっくに辞めているはずだったのだが、言わずもがなその計画を変更せざるを得ない状況を迎え、そうして年の明けたこの一月末に照準を合わせて来た。一日一日指折り数えながら遥か先の事のように思

*8 夢を見るということ

 恋人が搭乗ゲートへ向かい、その背中を見送った瞬間から私達の九〇〇〇㎞に渡る遠距離恋愛が始まった。  フランクフルト(※1)は晴れていた。ミュンヘンの部屋からフランクフルトへ向かう道中で、スーツケースやボストンバックを携えた人をほとんど見掛けなかったので、このご時世、もはや後ろめたさを感じる様であったが、空港に近付くに連れそういった姿がぽつぽつと増えだすと少し安心した。それどころか、空港に入るとトルコ航空のチェックインカウンターには長蛇の列が出来ており、私の恋人同様祖国へ帰

*9 想い出を後にして

 フランクフルト空港から帰ってきた時は隙間だらけで私一人に対し空間を持て余していたアパートの部屋も、日に日にその規模を縮小していると見えて、相対的に自分を小さく見積もる事も少なくなってきた。  一人になると寂しいのは紛う事なき事実であるが、いつまでもおめおめとそんな事ばかり考えていても仕方がない。しかしここで言う寂しさとは、決して愛の欠損によるものに限った話ではなく、時間的余白の中で己に対する遣る瀬無さを感じている事をも指している。世間体を憚らずに言えば所謂ニートとなったの

*10 ニュー・スタート

 陽射しの割に肌寒い初春の候の下を行くにはやや軽過ぎた装いに、心持ち後悔の念を抱きつついた私は、重たい荷物を全身に絡げて乗り込んだ快速列車の中で、結局背中を汗で湿らせながら、六年暮らした街並を車窓から眺めていた。或いは、車窓から街を眺めていたと言うよりも、過ごした六年の記憶を窓に映して眺めていたと言った方が適当かも知れない。兎に角私は三月の一日にミュンヘン(※1)を去ったのである。  ミュンヘンで過ごす最後の日となったその日は朝から仕上げの片付けに追われていたにも拘らず、珍

*12 不安な心は春風を待つ

 最も単簡な言葉で言い表すとすれば、先週末に焼いたパンは満足の出来であった。或いは、こんな可もなく不可もない無難な表現で言い表す外に、適当に装飾出来る言葉が見当たらない程至極平凡で、仮にも製パンに従事する者としては所詮最低点を上回った程度な当然の出来栄えであった。特別輝かしかったわけでもなければ、飛んでもなく酷かったわけでもないのである。  しかし私にとって大切だったのは結果よりも工程にあった。先だって自らを「製パンに従事する者」と謳った矢先であるが、肝心の製パン業から離れ

*37 佳境

 気付けば彼岸も過ぎた。停留所の人混みの中でこそこそと知らぬ男を探す事も、その間に同じく停留所に佇む美しい女に気を惚られる事も無く過ぎた。そして忽ち十月である。  彼岸はおろか盂蘭盆でさえもう何年と実家に顔を見せていない私であるが、こうして彼岸を頭に浮かべた序でに幼少の頃の墓参りを思い出した。当時は墓を参る理由もそもそも盂蘭盆の実態さえ知らぬまま、只夏休みには御盆と呼ばれる頃に一度、祖父母や両親や姉兄妹について墓を参っては墓石を洗ったり線香を焚いたりするものだと言う認識ばか

*36 ジャグリング

 上を見ろ、上を見ろと人は云う。また、前を向け、前を向けとも人は云う。何かを成すには下を見る隙も後を振り返る暇も無いのだと云う。まるで山頂を目指し断崖絶壁を登りゆく登山家である。所が私の様な世間知らずの臆病者の進む道を比喩えるならば山間に掛かる吊り橋を渡るが如くである。それでも天を仰ぎ橋の向こうを見据える事は同様に重要であるが、時折谷底を覗き込み恐怖心を煽ってはそれから橋を渡り切る為の推進力を捻出したり、ぷらぷらと不安定な足元に怯えた時などは後を振り返り確かにそこまで進んでき

*14 パン職人への第一歩

 下宿先に新しい同居人が入った。名をトーマスと言った。月曜日の事である。  私は簡単に挨拶を済まし、共用のキッチンやトイレなどを説明して回ると、リビングに戻って来た時に彼が急に何か飲む物を要るかと聞いて来たので、要ると言うと自分の部屋に戻り瓶のジュースを持って戻ってくるなり、私をソファーに座るように促しそれから二人で三十分程、自己紹介がてら会話をした。これが彼との出会いである。感じの良い男であった。翌日に控えた学校を前に、彼も私と同じように心を強張らせていたらしく、君と知り合

*13 学びて時にこれを習う、悦ばしからずや

 占星術と言う学問に置いて春分の日と言うのは、どうも宇宙元旦などと呼ばれる一つ特別な節目であるらしかったのだが、そんな日の翌日に、私は六年前に知り合ってぎりで殆んど疎遠であった友人とビデオ通話で久しぶりに再会し話をした。これが私にとって途轍もなく励みになり、また春分が元旦だとするならば実に幸先良く新年を歩き出す運びとなったのである。  五年ぶりに言葉を交わすきっかけになったのはインスタグラムであった。今月に入り、居も改め、いよいよ腰を据えたが時間ばかりあった為に、私は仕事も