見出し画像

ゲンバノミライ(仮) 第18話 経理の三輪部長

負けて良いのか。なるほど。それは思いつかなかった。
CJVで経理第1部長を務める三輪孝二郎は、メンバーたちの頭の柔らかさに驚いていた。

何はともあれ、自分たちの行政が損をしないことが第一。
誰かに言われた訳ではないが、行政職員時代には、そうした感覚が染みついていた気がする。

だが、いったん離れてみると、そんな器の小さい考え方では最適解にたどり着けないのがよく分かる。自分たちが勝たなくても、プロジェクト全体にメリットが行き渡れば問題ない。本当にその通りだ。
 
先ほど、この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の監視委員会が無事に終了した。中央エリアと点在する小規模集落のかさ上げや街づくりに加えて、隣の自治体区域内を一部取り込んで、丘の中腹に展望公園用地を整備することが了承された。監視委員会メンバーに隣の自治体の職員を追加するなど事前準備もぬかりなく進んでおり、既定路線として整っていたとはいえ、やはり予定通りに終わると皆が安堵の表情を見せた。

復興街づくりは、計画立案からかさ上げ工事、上下水道などのインフラ基盤整備、復興公営住宅といった公共系の事業に加えて、福祉施設や商業施設の整備・運営、さらには自動運転などを活用したMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)など多岐にわたる。それだけでもものすごいことだが、それに展望公園の用地整備が加わった。

もともと当てにしていた用地が確保できなくなり、苦肉の策で隣の自治体に食い込んで展望公園を整備するプランが浮上したのが発端だった。第1段階の案は、市川トヨら権利者からCJVが土地を買い取って、隣の自治体に寄付をするとともに、もともとある集落の古民家を生かしたハイクラスの宿泊施設や星空が見える温浴施設、リゾート気分を満喫できるグランピング施設なども設けるというものだ。こちらの街とはロープウェーで結ばれる。

隣の自治体に対して公園用地を寄付して、そこに商業施設が整備されて税収につながるのだから、それだけで十分と言えた。しかし、展望公園はこちらの街に向いて整備され、ロープウェーで平地と結ばれるとなれば、なんだか取られたような気持ちになってしまう。
実際に隣の自治体では、「相手の復興に貢献できるのだから結構なことだ」と総論では賛意が示されたものの、「住民と土地が奪われるのはけしからん」という声も渦巻いていた。

そこでCJVが第2弾の案として提示したのが、隣の自治体で長年塩漬け状態にあった未利用地を取り入れた形でのPark-PFI事業だった。未利用地は下りきった低地部にあるため、そこに駐車場を設けて展望公園と電動バスで行き来させる。加えて、駐車場に隣接して道の駅を整備して、新たな集客の核にするという構想だった。
隣の自治体もあの災害で海岸部のホテルなどが被災して、漁業などとともに観光業も打撃を受けていた。自分たちの復興にとっても大きなエンジンになる。

用地が確保できないという危機的な事態を切り抜け、より良いプランに仕立て上げたことは見事だ。だからこそ、三輪には一つの疑問が生じていた。
Park-PFI事業を誰が担うのか、という点だ。

CJVでは、自分たちが参画して十分に採算性が確保できるよう吟味してPark-PFI事業の概要を作り込んでいった。だが本来、主導権を握るべきなのは隣の自治体であり、CJVではない。CJVには、こちらの自治体職員や公的発注機関だけではなく、ゼネコンやデベロッパーなどが参画している。相手の土地を使う事業を勝手に仕込んで、自分たちが有利な形で受託するようなことは、たとえ相手にメリットがあったとしても許されることではない。

三輪は、復興街づくりの会計処理を担当していて企画立案の側にはいないため、そうした部分にまでタッチしていなかった。余所者でもあり、余計な口を挟むことにもためらいがあった。
だが、全体会議で事業者をどうするかに言及はなく、当たり前のように話が進められていった。
こう言っては悪いが、ゼネコンと聞くと談合や癒着をイメージしてしまう。儲ける当てを見つけたと喜んで出来レースで受注するようであれば、ここに居続ける訳にはいかない。だから昨日、意を決してCJV所長の西野忠夫を問い質したのだ。

「所長、余計なお世話かと思ったのですが、ずっと気になっていて。Park-PFI事業は、うちがやることで決まっているんですか? 当たり前ですが、ちゃんと入札することが前提のはずです。どうなっているんですか?」

西野は、一瞬ぽかんとした表情を見せた。
「何を言っているですか。うちが取るに決まっている。そんなの当たり前ですよ」
そんな返答が来るとばかり思っていた。
だが、違った。

「何のことですか? うちがやるなんて決まっているはずがないじゃないですか。
ちょっと自画自賛が入りますが、あのPark-PFI事業はかなり良い事業に仕上がったと思います。ですから当然、他社も参入したいと思うでしょう。かなり厳しい勝負になるはずです。
もちろん、うちのゼネコンは事前検討から手がけていますし、用地造成をやりますから地盤条件などもしっかりと把握できます。かなり有利なのは確かです。

ですが、CJVに加わっているデベロッパーさんはグランピングとかの面で言えば後発組ですよね。平均レベルの素晴らしい施設はできるでしょうが、もっと上を行くプランを提案する会社が出てきてもおかしくありません。提案内容も入札価格も、応募するコンソーシアムによってかなり差が出てくるでしょう。そこは真剣勝負です。

隣の自治体からは、明日の監視委員会の後に、事業者募集に向けたプレスリリースをすぐに出したいと申し出がありました。私たちにすんなりと任せるなんて、考えていませんよ」

「そうなんですか。
私はてっきり裏で話が済んでいて、形だけ入札をやるような感じになるものとばかり思っていました」

「三輪さんがおっしゃりたいことは何となく分かります。
建設業界は、何度も社会の信頼を裏切ってきましたから。私が所属する会社も、そういう黒い歴史があります。
でもね。信じて貰えるか分かりませんが、私はずっと嫌だったんですよ。だって、この仕事って、大変なんですよ。真夏の中でも大雪でも台風が来ても、必要があれば現地に行かなければいけないんです。クーラーも暖房も当然ありません。

この被災地だって、最初に駆けつけたのは地元の建設会社の人たちです。家族の安否さえ分からないのに、瓦礫に覆われた道路を切り開いた人たちがいるんです。
そうやって貢献して築いた信頼が、一つの談合とか贈収賄で一瞬に消え去るんです。悪事に手を染めた人が処罰を受けるのは当然ですけど、業界全体が悪いように叩かれるのは、なぜなんですか」

三輪は、言葉に詰まった。

「三輪さん、工事が本格化したら、今よりももっと忙しくなります。はっきり言って、この現場はものすごいきついです。でも、必ずやり遂げたいと思っています。そのために来たんですから。
だから、インチキなんかしないで、まっすぐやりたいんですよ。

極端な話、相手の方の提案が良ければ負けても良いんです。その方が良い復興になるからです。私たちよりも、もっと上手に展望公園を使ってくれるのであれば、中央エリアの価値も上がります。
それはそれで良いじゃないですか。私はそれも貢献だと思います」

ぐうの音も出なかった。

三輪は、自治体の会計畑を歩んで、公営企業管理者を経て退職した。公社のトップの席が用意されていたが、次の場を探そうと断って、各地を旅して回って最後に向かった先が被災地だった。
被害の大きさに恐れおののき、仮設店舗で海の幸に舌鼓を打ち、手にした地元の新聞でCJVを知った。

インターネットというのは便利な物だ。「CJV」「きっかけ」と検索したら、「この時の議論がすごい!」というトピックがあり、首長と若い人たちが議論した音声データが公開されていた。画期的な事業手法だと思った。やってみたいと思った。

次の日に役所に向かった。混乱が渦巻き、皆が忙しそうに動き回っていた。三輪が現役時代にこうした場面に遭遇することはなかった。だが、もしも懸念が高まっている巨大地震が都会で起きれば、同じような、いや、もっと恐ろしい修羅場になるだろう。
自治体に身を置いたことがある人間であるが故に、忙しい時に素性の知れない訪問者が来ることの迷惑さは重々知っている。だが、本当にCJVが実現するのであれば自分が持っている経験が必ず役に立つはずだ。そう信じて復興担当部署の窓口に立った。そして今、この場にいる

行政が発注して民間の企業体が受注するという従来の包括発注方式であれば、事業の枠組み自体は変えられない。発注者の理解があれば可能性はゼロではないが、ものすごい時間がかかり、現実的ではないだろう。

展望公園用地まで対象エリアを拡大して事業の価値を高めるような柔軟な対応ができるのは、CJVが行政と民間の両方で構成される組織になっているからだ。平時にやるべきかどうかは判断が分かれるが、今回のような大規模災害が起きた時に、行政と民間が本当の意味で手探りしながら事業を組み立てていくのは、画期的でありダイナミックであり、なにより合理的だ。

Park-PFI事業が受注できたら、会計処理は、より一層複雑になるのは目に見えている。
繁忙を極めるのだろう。だが、やり遂げよう。
この挑戦は、将来に必ず役に立つ。
三輪は、そう思うのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?