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ゲンバノミライ(仮) 第15話 望郷のトヨさん

市川トヨが丘の中腹にある今の場所に住んで長い年月が経った。

学生時代までは、見下ろした先にある平地の部分に一家で暮らしていた。大きな災害があって街全体が被災し、多くの犠牲が出て、命が助かった人たちも家を失った。トヨたちも借りていた家が被災して復旧のめどがたたない中で、中腹に暮らしていた知り合いの吉沢家を頼って、丘を上がった。トヨの父や兄は吉沢家の協力を得ながら畑を切り開き、生活を立て直していった。

その後に戦争が起きて、父と兄に召集令状が来た。終戦後に帰ってきたのは父だけだった。男手が不在の間、病弱だった母に代わって切り盛りしたのが、長女のトヨと次女のトミの姉妹だった。二人は吉沢家の跡取りの兄弟とも懇意になり、トヨは次男の次郎を婿に入れる形で、トミは長男の太郎に嫁いで夫婦になった。それが、今の集落につながった。

国全体で人口が増え、経済が成長するのに合わせて畑を広げて、トヨやトミの子どもたちが家庭を築き、集落は賑やかになった。だが、時代が変わり輸入農産物が増えるにつれ、仕事としての農業は難しくなっていった。子どもや孫たちは都会に出て行き、自分たちの食べる分だけの野菜を育てる暮らしへと落ち着いていった。年長者から徐々に亡くなっていき、それぞれの夫も死去すると、集落に住むのは二人だけになった。

さらに年月が経ち、足が少しずつ不自由になり普段の生活が苦しくなってきた。介護してくれているヘルパーの面々も高齢化してきて先行きが不安になっていくにつれ、不思議な思いが芽生えてきた。
それは望郷の念だ。
何十年という時を経ても、朝日が昇る眼下の街が、トヨたちにとっての故郷だった。

街に出れば暮らしが便利になると、子どもたちから再三にわたって言われていた。
子どもたちは自分らが住む都会への移住を提案していたが、今更、見知らぬ街で住むのは気が進まない。移るのなら、故郷が良かった。

そんな迷いに包まれていた頃に、あの災害が起こった。大きな揺れで、家の物は散乱し、瓦も落ちてきた。命が助かっただけありがたいと、放心状態のまま外で佇んでいた時に、次の猛威が眼下の街を襲った。姉妹は、街が飲み込まれていく姿をただただ呆然と見るほかなかった。

しばらく避難所暮らしが続き、電気や水道が復旧したタイミングで、家を少し修繕して二人は戻った。買い物は子どもたちが交代でやってくれるが、二人だけの暮らしには限界が近づいていた。

縁とは不思議なものだ。
ちょうどそういうタイミングで、眼下の街で復興の仕事をしている内藤巧巳が訪ねてきた。
計画が行き詰まっていて、自分の目で街の姿を見たいから来たという。
最初は驚いたが、久しぶりの訪問客に気持ちが高ぶり、トヨたちは食事を振る舞った。内藤は、うんうんと頷きながらトヨたちの人生の話を聞いてくれた。夫が晩年に暮らしていた部屋に寝かせて、翌朝に帰って行った。

ゆっくりと上る朝日を3人で見つめた。
内藤が「また来てもいいですか?」と言うので、トヨは「いつでもいらっしゃい」と応じた。

帰り際に、「もしかしたら、みんなにとって良い形ができるかもしれません」と内藤は言っていた。
内藤は、頻繁に顔を出すようになり、「故郷に戻りたいですか?」と何度も聞くので、「戻りたいよ」と答えていた。

「本当にあちらに下りたいのであれば、トヨさんとトミさんと、これから復興するあの街の人たちの多くにとって、皆が助け合えるような案を真剣に考えたいのです。息子さんたちを交えてご説明させていただけないでしょうか」
そういうので、トヨたちは子どもや孫を集めて話を聞くことにした。

いろいろ説明されたが、ざっくり言うと、トヨたちが住んでいる場所に大きな公園を整備して、その代わりに平地に造られる大きな住宅に入れてくれるという話だった。公園は緊急時の広域避難場所にも位置付けて、下から行き来する手段を考えるという。

トヨは、そんな良い話があるのかと嬉しい気持ちになった。
だが、トミは少し違ったようだ。
「下りて暮らしたいけれど、父や夫が建ててくれた家が無くなるのは申し訳ない気もするのよ。そんなことをして恨まれないかしら」
「実は、そのことでもお願いがありまして。もしもご賛同いただけるのであれば、集落の建物をできるだけ有効利用させていただきたいのです。この地域の立派な木を使って昔ながらの手法で建てられていますので、柱などはまだまだ使えます。
入った時から、懐かしくていいなあ、って思ったんです」

「有効利用って、どういうことですか?」
トミの息子の市川良介が聞いてきた。

「私たちは、リゾートのようにくつろげるキャンプ場、グランピングというのですが、そういう施設と、古民家ホテルやおしゃれなカフェを作って人を呼び込めないかと思っています。自然の中でリフレッシュしながら仕事ができる施設も考えています。
そのためには、集落の建物があった方が魅力的なのです。
初めてお邪魔した日、寝る前に見た満点の星空と、起き抜けに目にした朝日に感激したんです。その上、こんな素敵な建物で泊まれれば、特別な体験になります。

そして、裏手にあるお墓も残して、なぜこの地に皆さんのご先祖が住み着いたのかも伝えていきたいのです。賑わいや憩い、緊急時の避難の場であると同時に、教訓も伝承する。そうすれば、何も知らないで遊びに来た人たちにとっても、より意味があると思います。
森に囲まれた、朝日と星空と希望に包まれる場所になるといいなって」

「そんなことができるんですか?」
「正直に言いまして、まだ内部のアイデア段階です。ご存じのように、この集落は下の街とは管轄する自治体が違いますので、かなりの調整が必要です。
実は、公園を計画していた場所の地権者の方からご賛同が得られなくて、下の街の復興プランが行き詰まっているのです。こちらに避難場所にもなる公園を作ることができれば、前に進めます。

生まれ育った場所に戻りたいというトヨさんやトミさんの願いと、安全な公園を作りたいという私たちの願いが、良い形で一致すればの話ですが。細かい点を詰めなければなりませんので、もちろん即答してもらうつもりはありません。

ただ、検討を進めることをお許しいただければ、自治体との協議を始めて、どういう条件なら関係者の折り合いがつくのか探っていきたいと思います」

公園になる畑や山林部分は売却するが、建物と墓がある部分は貸し付けることで手放さずに済むという。売却金で復興住宅の部屋を購入し、貸付代金を高齢者向けサービスに充てるというのが内藤の提案だった。この家が宿泊施設になれば、トヨたちが泊まりに来ることもできる。

「母さん、どうしようか。内藤さんの提案通りにいけば、年金だけでも今のような暮らしを維持できると思う。お金が絡むので結論はまだ出せないけれど、そんなに悪い話ではないように思う。検討してもらうのは良いんじゃないかな」
「そうだね。よろしく頼みますよ」

しばらくすると、内藤から土地区画整理組合の交流会に誘われた。
復興街づくりに加わる場合には、仲間に入らないといけないらしいのだ。

下の街に行くのは久しぶりだった。集まっている部屋に入ると拍手で迎えられた。なんだか恥ずかしかった。

もじもじしていると、「トヨちゃん」と呼び掛けられた。
同級生の藤森ユキだった。
「あら、ユキちゃん。あらまあ、こんな所で会うなんて」
昔の災害の後、ユキの家族は下の街に残っていた。転校した後も何度も会っていた旧知の仲だったが、今回の災害後には連絡が途絶えていた。

「何年ぶりかね」
「5年くらいかな」
「でも、うちのお父さんが亡くなったのが7年前だから、もっと経つかな」
「そうねえ、10年くらいになるかもね」
「いやまあ、元気だった? 災害で大丈夫だった? 身体がこの調子で、何もしてあげられなくてごめんね」
「そんなことないよ。私もトヨちゃんがどうしてるかなってずっと気になっていたんだけど、避難所暮らしでちょっと寝込んだこともあって、連絡できずにいたのよ」
「そうだったの。悪かったわ」
「いいのよ。でも、良かったわ。また会えて」
「そうそう、私ね、今度、こっちの方に戻ってこようと思っているの。もちろんトミも一緒よ」
「知っているわ。だから今日こうして集まったのだから。私はトヨちゃんたちが加わるかもって聞いて、嬉しくてね。
驚かそうと思って、黙っていたのよ」
「あらまあ、意地悪ね。うふふ」

もう一度、戻ってくるんだ。
トヨは、そんな実感がようやくわいてきた。

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