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ゲンバノミライ(仮)第2話 鉄筋屋の坂下職長

このくらいの子どもを見ると、息子がまだ小さかった頃を思い出す。

被災地に働く今は単身赴任が続いているが、それまでは息子と二人で一緒に暮らしていた。小学生くらいまでは現場にもたまに連れてきていた。今は現場見学会のようなイベントのタイミングでなければ許されない。おおらかな時代だった。

今日は、現場近くの住民を招いたバーベキュー大会。

「おじさんは、どんな仕事をしているの?」
「先っちょがとがったこれは何?」
「おじさんのひげ、すごい!」

まだ小学生低学年だろう。坂下正の周りをうろちょろする仲良し3人組から質問攻めにあっていた。建設現場というと皆が現場作業員という言葉で一括りにされがちだが、実際には多種多様な職種の人が働いている。それを知ってもらうためにも、ヘルメット以外は普段の格好をしていようというのが現場監督の中西好子の発案だった。

道具をじゃらじゃらつけてフルハーネス型安全帯も装着したままで、バーベキューを食べるのは面倒だと反対した。だが、「子どもが絶対に興味を持ってくれます! その方がいいでしょ!」といつもの調子で押し切られた。悔しいが、それは正解だったようだ。

坂下を含めた職長たちは、作業体験コーナーでの指導も依頼されていた。飲酒を我慢することになり、少し腹が立つのだが、実際には楽しみでもあった。

坂下は、仲良し3人組を連れて、あらかじめ頼んでおいた若手の梨本洋子と一緒に体験コーナーに向かった。

「これはハッカーという道具なんだ。針金で鉄筋を結ぶ時に使うんだよ」

梨本は、体験用に短くした鉄筋を格子状に重ねて、結束線と呼ばれるU字型になった細い針金を取り出すと、交差部分の下からくぐらせた。上部に飛び出た針金を、ハッカーを使ってくるっと回して固定していく。今回の体験は、4カ所を止めたら完成だ。

「こうやるのよ。触ってみてごらん、がちっとなって動かないはずよ」
「ほんとだ!」
「お姉ちゃん、すごい!」
「僕たちもやりたい!」

梨本が教えながら、小さなヘルメットをかぶった3人組も鉄筋を組み立ててみる。なかなか上手に固定できず、手間取る子どもたちを、梨本も嬉しそうに指導している。その得意顔を見て、坂下も職人魂が燃えてきた。

3人とも終わってから、「じゃあ、おじちゃんもやってみようかな」と手本を見せてあげた。素人目にはなかなか違いが分からないかもしれないが、どんな状況下でも鉄筋をきれいに組み立て、生コンクリートが流れ込まれても動かないように仕上げるには、熟練の技がいる。それは構造物の品質に欠かせない大事な要素だ。職人にとってはスピードも重要となる。きれいに早く仕上げて予定作業を早めに終えて帰り、さっさと一杯やるのが正しい姿。古くさいと馬鹿にされることもあるが、坂下はそう思っている。

子どもたちには言わないが、安全も欠かせない。安全・品質・スピードのすべてを兼ね備えるところに、俺たちの美学がある。

「おじちゃん、すごい早い!!」
一番小さな女の子が言うと、帽子をかぶった男の子が冷静な言葉を足してきた。
「いや、違うよ。早いのもすごいけど、こっちの方がきれい。ましかくだ」

この男の子は、賢いな。
こういう子たちに、俺たちの仕事を継いでほしい。そんな淡い気持ちが生まれる。

「ありがとうな」と頭をなでてあげると、男の子も嬉しそうだった。

和やかなひとときだが、一人だけ違った。横から恨めしそうな梨本の視線を感じた。その悔しげな表情を見て、今日のイベントは成功だと思った。梨本は、俺に負けたくないと思っている。それは、現時点で自分が負けていることを認めることと同義だ。自分の立ち位置を正確に認識できない奴は、十分な努力ができない。つまり伸びない。悔しがって負けん気を持つことは、俺たち職人が自分の腕を磨く上で、最も大事なことだ。

そうか、あれからもう2年も経ったのか。

さっき、ゲートの近くから立ち上がった躯体を見上げている中学生を見かけた。なんとなく見覚えがあり、「すごいだろ。俺たちが造ったんだぞ」と話しかけると、バーベキューの時に鋭く指摘してくれた男の子だった。

普段ならば毎年、住民を招いたイベントを開いているが、感染症が広がってしまったせいで、1年以上そうしたイベントは実施できていなかった。背が伸びている上に、マスク姿だから、すぐには分からなかったのだ。

両親がこの街での生活再建を諦め、仕事を探すために都会に引っ越すという。

「完成したら、見に来てもいいですか」
「おう! もちろんだ」
「ありがとうございます」

「俺たちはお金のためにこの仕事をやっている。それはそうだけど、『君たちのために』と思って、毎日働いているんだ。都会に引っ越したとしても、俺が思う人たちの中に、君も入っている。それが俺にとっての職人魂っていうやつだ」

上棟式を終え、仕上げが始まっている建物を見上げながら、坂下は、つぶやくように言葉を発した。
思春期に入ったせいもあるのだろう。口数が少なくなっていたが、気にならなかった。

「引っ越した先で現場を見たら、鉄筋屋の仕事を見てみな。絶対に俺の方が上手くて早いからな」
そう言って笑顔で話すと、男の子は、オッケーのポーズをして、お辞儀をして帰っていった。

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