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ゲンバノミライ(仮)第28話 境界線上の森田社長

ようやく最上階まで立ち上がってきた。設備や内装の工事はこれからなので完成にはまだ時間はかかる。最初の1棟ができても、周辺は更地のまま。だが、復興に進んでいることが見えてきただけでも大きな進歩だ。

森田真知子は、復興プロジェクトを包括的に手掛けるコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の下請企業で社長をしている。3代目続く小さな総合建設業の会社として若くして家業を継いだ。社長としての肩書きが、人生の中で一番長い。それくらいの年月が経った。

森田は、この街で生まれ育ち、都会の大学で土木を学び、ゼネコンに入社した。森田の会社は、このゼネコンの協力会社の1社で、父の真は地域を束ねるリーダー役を務めていた。将来的に実家に戻ることを前提にした、いわゆる修行だ。大きな組織だったため、くだらない足の引っ張り合いを間近に見たこともあったが、国内外で大規模な工事を手掛けており、働く人たちも仕事の内容もダイナミックで魅力的だった。

「ずっとこの会社で働いていたいよね」
同じように修行に来ていた同期の北村健吾といつも話していた。
「そうだよな。俺も正直、うちの会社の人たちと一緒にやっていく自信が無いよ」
「こんなこと口が裂けても言えないけれど、私はずっと実家が建設会社っていうのが嫌だったの。泥まみれで帰ってきて、お酒を飲んだら大きな声で騒ぎ散らして。
父は楽しそうだったけれど、母はそうじゃなかったわ。本音では、建設会社のお嫁に来て、後悔してたんじゃないのかな」

森田が建設業界に入ったのは、父の存在によるところが大きい。
「とりあえずでいいから。真知子、とりあえず頼む」
何かあれば、いつもそうやって拝み倒す人だった。
大学進学の時には、土木の学科に入れば都会への進学を認めるという餌で釣られた。本当は建築を学びたかったが、学業よりも都会での1人暮らしを選んだ。今さら思うが、進路選択なんて適当なものだ。

でも土木を学んで良かった。この仕事の大切さを知ることができたからだ。
街を支える基盤も、大きな災害が起きた後の復旧も、工学的な礎があって実現していた。地道で緻密な裏付けがあるとは、正直、泥まみれの父たちの姿から見て取ることが難しい。土や水が、社会基盤を構築する上で、これほどにやっかいな代物とは想像すらしていなかった。土木の世界には、まだまだ未知の領域が残されている。だから難しいし面白い。

ゼネコンでの仕事は、そうした知的好奇心の延長線上にあった。
ずっとゼネコンで働き、都会で暮らすつもりでいた。
そのころ、父が病で倒れた。
「とりあえず、戻ってきてくれないか」

実家の仕事は違った。
この地方で進められていた大型のプロジェクトが終わり、ゼネコンが手掛けるような仕事が無くなっていたため、地元の自治体の公共工事に軸足を移していた。半年や1年で終わる工事がほとんどで、道路や擁壁などの工事を細々と続けていた。頼みの綱だった公共工事も年々先細りで、若い人材を採用することも資機材を新しくすることも難しかった。
八方塞がりだった。今いる社員らの雇用をなんとか守る。それだけで精一杯だった。あの頃、この仕事の意味など考えたことがなかった。ただ食べていくことが目的になっていた。

そんな時に、あの災害が起きた。
行政からすぐに応援の要請があった。土のう袋や重機のある資材置き場が高台にあったため、すべてが無事だったので、すぐにフル稼働させた。

自分のことよりも、家族のことよりも、会社のことよりも、この街のことを思った。無我夢中に働いた。

自分を突き動かしたのは、何だったのか。
単純なことだ。
必要とされた、からだ。

建設会社で働く自分は必要な仕事だということは分かっている。だが、自分が必要だと思うことと、人に必要と思われることは、全く違う。
「あっても良い存在」と「無くてはならない存在」。あの日を境に、裏返ったような気がした。

毎日があっという間に過ぎていったが、街の再生は遅々として進まなかった。ようやく瓦礫処理が軌道に乗った頃、復興街づくりの新たな推進主体となるCJVの構想が浮上した。参加できたらと思い描いていた矢先に、ゼネコン時代に同期だった高崎直人から「手伝ってもらえないか」と連絡があった。かつて働いたゼネコンが、CJVを選定する公募型プロポーザルに向けた準備を進めていた。地元自治体や地元の会社を知っていて土地勘もあるため、お呼びがかかったのだ。

「CJVに選ばれれば、インフラや建物の整備だけではなく、完成後にはインフラの維持管理など街の運営の一部を担うことになる。将来を見据えると地元に信頼できるパートナーが必要なんだ。森田社長に是非とも協力をお願いしたい」
高崎は、相手が乗りやすい状況を作り出すのが昔から上手だった。おだてるのとも違う。一緒にやりたいと思わせるのだ。ゼネコンは、多くの力を集めない限り何もできない。そのことをよく理解している。

「何よ、かしこまっちゃって。下請の社長の扱いなんてお手の物でしょ」
「せっかく仕事モードで頼んだのに。森田は変わってないな」
「そんなことないわよ。ずいぶん変わったわ。ゼネコンレベルの仕事に耐えられるか心配よ」
「ホームページで施工状況の写真を見たよ。のり面の仕上がりとか立ち入り禁止のビシッとした感じとか、現場の整理整頓とか、森田が仕切ってるからこそだろ。大丈夫に決まっている」

しばらくすると、高崎が所長候補の西野忠夫ら数人を連れて、この街にやってきた。森田は、この街のいろいろな人との橋渡し役として走り回った。それは、現場が進む今も同じだ。

技術やツールの進歩には本当に驚かされた。3DのCADは使いこなしていたが、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)やCIM(コンストラクション・インフォメーション・モデリング)は触ったことがなかった。事前検討や設計、積算、施工計画の立案、労務管理などあらゆる場面にDX(デジタルトランスフォーメーション)やロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)、ロボットなどが取り込まれていた。
小さな面倒を、一つずつ自動化して潰している。人材が豊富な大手ではなく、自分たちのような中小企業こそが取り入れるべき変革だと思った。

だが、現場が始まると道半ばであることも分かった。BIM/CIMと施工管理を連携させてスマートグラスで見ながら作業するような段階に入っているが、そうした対応ができている人間はまだまだ少ない。ゼネコンの社員ですら習熟度レベルに相当な差がある。

森田は、そうしたツールを自ら学んで、自社はもちろんのこと、周りの協力会社の面々にも教えていった。心強いサポートメンバーもいる。期間限定で働いてもらっている吉本奈保だ。高校を卒業したばかりだが、賢くて人当たりも良く、何よりITツールに強い。娘のような吉本に言われると、強面の作業員も素直に聞いてくれる。

この街は、新しい形に再生する。その時に、自分たちの仕事も新しい形に切り替わっているのか。

やり方だけではなく、姿勢も問われると思う。
注文を受ける受注で自分たちは生きてきた。それはそれで大事だが、自分たちが必要とされるための工夫がいると思うのだ。

今は復興への希望も機運も盛り上がっている。自分たちへの熱い視線を感じる。だが、時が経てば熱は冷める。森田の祖父は、この地域の災害での苦難を目の当たりにして建設会社を興した。孫だった自分は幼い頃、家業を嫌っていた。家族ですらそうなのだ。

変わる努力をしなければ、再び「あっても良い存在」に引きずり落ちる。どちらに転んでもおかしくない境界線上にいる。

どうすれば良いのか。答えはまだ見つけられていない。

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