親父を殺してくれてありがとうございます
そういえば親父が死んだ。
実感はある。ちゃんと死んだことを認識して自分の中で理解している。肉親が突然亡くなって、動揺して呆然とするようなことはない。この世にはもういなくて、明日も明後日も親父はいない。
葬儀において死を受け入れた人間は無礼者だろうか。
横一列に並んだ親戚等々に参列者が次々と悲しげな表情で頭を下げる。母に一言「お悔やみ申し上げます」とだけ述べて、席へと移動する。
先程からこの繰り返しを僕は見せられている。たまに号泣をして、喪服を涙で濡らし、ハンカチで鼻をかむご婦人が現れたりするが、会ったことも見たこともないし、誰だかさっぱりわからない。
母はそれでも一人一人に顔を合わせて、丁寧にはっきりと「わざわざありがとうございます」と言っていた。
本当にわざわざ平日によく来てくれるものだ。
「ううううっーっ」
よく泣く人がまた現れた。
この人は知っている。さよこ姉さんと言う人だ。祭りの当日戦車の一番先頭にいた明おじさんの奥さんだ。母からすると長い友人とかなんとか言っていた。
家族ぐるみでキャンプ場へ行ってバーベキューを小さい頃はやっていたが、今はもう会話すらどうやって話していたのか忘れてしまうくらいの関係になった。
泣き叫ぶさよこ姉さんのすぐ後ろに、松葉杖を突いて立っている男がいた。
あれは明おじさんだ。
「ごめんねぇ!本当にごめんなさあああい」
さよこ姉さんは母にとにかく謝罪をしていた。おそらく、自分たちのせいで父が亡くなったと責任を感じているのだろう。
「いいのよ、もういいの、さよこのせいじゃない、だから顔をあげて」
母は静かな顔で答えた。
さよこのせいじゃない。そうだあなたのせいじゃない。
さよこ姉さんが、額を床につけるほど泣きじゃくっていたので、多くの参列者がその場を目撃している。
大の大人が情けないではないか。
席への誘導が終わった。まだ式まで時間がある。
各々、顔を曇らせながらお焼香の前に立ち、遺影を見つめる者や、涙を浮かべて椅子に座っている人がいる。中には久々に顔を合わせて仲睦まじく、世間話をする者もいる。ご近所の子供達が、早く帰りたいとか、お腹すいたとか欲望をそのまま母親に駄々を捏ねていた。
僕は喫煙所へ向かう。
タバコが吸いたくても吸えない時間がどれくらいあるのか予測できない。今のうちに吸っておかないと気が収まらない。
「戦車の下敷きになったみたいよ、可哀想に」
「頭が潰れてたって」
「ほんとぉ?息子さんの目の前でだって、不憫ねぇ」
「だって、妹さんもいたはずでしょ?」
「その話はだめよ」
「ちょっと、声大きいわよ」
ああ
確かにみた。
親父の頭が潰れてた。
田舎道に落ちてるりんごのように。
喫煙所へ向かう。ここよりよっぽど洗練された空気を求めて。
着心地の悪い喪服。つま先が痛い革靴。肩がこるし、足が疲れる。喫煙所の重い重い扉を開ける。
すると、松葉杖を突いた男が立っていた。
「明おじさん」
今度は声に出してその人を呼んだ。
「ああ……久々だな、圭介くん」
松葉杖が邪魔でタバコを吸いづらそうにしていた。
「使いますか?」ライターを見せる
「いや、大丈夫だよ」
重厚なジッポーを取り出して、横幅の広い火にタバコが焚べられた。僕もハイライトを取り出して、いつものように火をつけた。
換気扇の音が沈黙を紛らわせてくれる。お互い吐いた煙を室内に埋めるように早くタバコを咥えてしまう。
僕は明おじさんに伝えたいことがあった。しかし、不適切でどうしても言えなかった。いや、普段なら当たり前で最も自然に出てくる言葉なのだが、この場では不自然で奇妙な発言だった。告別式や通夜などの言葉の前では、普段言える当たり前を当たり前にしてはいけない気がした。
生きていることは当たり前だ。
そんなの当たり前だ。
出来て当然だ。
そんなことで泣くな。
男ならな!!!
死者の唾が顔面に飛んできた。
「明さん」
「親父を殺してくれてありがとうございました」
換気扇の音が少し小さくなった気がした。
おじさんは僕を一瞥しタバコを口に咥えて大量に煙を吐いた。
「ど、どういうことだい?感謝されることは何もしてない」
そうだと思う。でも、感謝はしたい時にしたいでいいとも思う。
「親父が死んだことで生きることができます。僕は少なくとも死なずに済みました」
「そうか、でも、」
「母も、きっと心のどこかで助かったと思ってます。今は、そんな表情は誰にも見せられないですが、多分安心しているんだと思います」
「俺は何もしていない、君たちの事情もよく知らないし、俺はただ」
「いいんです、おじさんはただ、場所を変わっただけですよね」
あの日、おじさんは戦車祭りの一番上に立つはずだった。
飯伊達町の戦車祭りは、欅の木で作られた小さな櫓のような物である。それに車輪と大きな綱を括り付けて屈強な男達が引っ張り、相手の戦車とぶつかり破損して動けなくなった方が負けといった祭りである。
その戦車の上に立てるのは、毎年成績が2勝以上をした者のみだ。一度のぶつかりで大半の戦車は戦闘不能になる。もしくは辛うじて動くが、スピーディーな動きはできなくなる。2勝できなかった者は、頂点の座を退き、他から選出される。ただ親父は5年もの間その座を守り抜いた。
そして、親父はその祭りで一度だけ全勝をしたことがある。親父はスピードが命だと言い張り、下にいる男達に幾度も罵声を浴びせ「もっと早く動け!」と練習でも叫んでいた。親父の指示する戦車は、どの戦車よりも速く、迅速で、閃光のように駆け回っていた。
という拡大解釈された噂を噂で聞いた。
親父は戦車の頂点に君臨し、その町内では英雄であり、親父を超える者は一度も現れないと言われていた。これも噂だ。
ところで。
だから?
だからなんなんだよ。
戦車の上に立って、なにがすごいんだ?
馬鹿か?
歴史ある祭り?騒ぎたいだけだろ。
2勝したら上に立ち続けられる?ガキのルールか?
もっと早く動け?部活か?
英雄???ヒロアカ???
自問自答が繰り返されるが全く意味がない。
考えても考えても、この事故の発端が「はしゃぎすぎた大人」としか考えられない。
明おじさんは戦車祭りの一番上に立つはずだった。それは親父が去年一勝もできなかったからだ。くだらんがそういう理由だ。明おじさんは祭りの1ヶ月前に『やっぱりあんたが上に立つのが相応しい』と言って親父を上に立たせたのだ。親父はただ浮かれただけなのだろう。一年に一回の祭り以外で誰も認めてくれないから、そうやって人に認められて嬉しくなっちゃっただけなのだ。そんな親父が浮かれて上に立って、はしゃぎすぎた。
大学生が飲みすぎてお店の人に横柄な態度を取る胸糞悪い動画となんなら代わりない。
そこに『お祭り』という枠組みがあれば、少し神聖な儀式や習わしを通してさえいれば、大勢の男が、上半身裸で道を汚しても構わないのだ。
そんなお祭りの当日。大騒ぎしたいだけの大人が、スピードを出しすぎて、カーブを曲がりきれず、そのまま戦車は倒れた。頂点に立っていた親父が先に振り落とされて、下敷きになった。
そして
息子の目の前で田舎道に落ちたりんごのように頭が潰れてた。
正直笑いそうになった。
何やってんだアンタ。
そう言いたくなった。いや、言ったのかもしれない。
「圭介くん」
明さんが頭を下げた。
「申し訳なかった、君のお父さんは、僕が殺した、本当に、悪かった」
この人もお祭りに翻弄されただけの馬鹿に見えた。たかが祭りに本気になっている。
「明おじさんは、英雄ですよ」
どうして?そんな顔で僕をみた。
「妹の命を救ったのですから」
「どういうことだ?」
「妹は、親父に犯されました」
3回しか吸っていないタバコの火を消した。
「は?」
そんなはずはない。間抜けな顔をしていた。
「ゆ、由紀ちゃんのことか?」
「はい。妹の命は今、病院にあります。心に大きな傷を負ったからです。だから、明おじさんは英雄なんですよ」
火力を失ったタバコを開閉式の灰皿へ捨てた。
「では」
明おじさんが何も言えない姿を後ろにして、僕は喫煙所を出た。
妹にはまだ親父が死んだことを言っていない。言わないでと母が留めていたから。大人はすぐに事実を隠したがる。事実を真正面から映すと反発が来るのを恐れているからだ。反発は潤滑であることを知らない。反発されたら、反発で返すくらいの意思を持って戦わなければだめだ。妹が親父が死んだことで、もし「私が殺したかった」と酷く激動したら、それでもいい。「あなたは父のようになるな」と大人はちゃんと反発するべきだ。
子供だから見せない聞かせないを当たり前にしているのは、逃げ腰の大人が目立っている証拠にしかならない。
だから言うべきだ。
スマートフォンをポケットから取り出す。
告別式が後5分後に始まる。もう親族は座っていなければならない。
会場の外へ出て、首を締め付ける黒いネクタイを緩めた。
空は青い。
親父が死んだ空はとても青い。
親父がいない空気はどこよりも洗練されている。
「もしもし?……由紀」
「そういえば、親父が死んだよ」
完
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