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自分の文章に自信をもつために、僕はもっと「おもしろがる」。

「noteからのおしらせ」が今日もやってくる。
それはおおすめ記事をまとめて紹介してくれるというものだ。これは、僕の中の1つの楽しみであったりする。noteにはさまざまな発見があって、ツイッターやインスタグラムにはないおもしろさがあるからだ。文章を読むことは、僕にとっては大事な時間なのである。

人が書いた文章というのはおもしろくて、ためになって、うまくみえる。至極当然のことだ。だって、自分にはないものだから、自分とは違う考えだから。「おもしろい」という感情は、自分の中にないもの・ことに触れて初めて生まれるものだ。でも、自分が書く側に立ってみた時、実際に書き始める時、僕は考えてしまう。「この文章で人はおもしろい、ためになると思えるのだろうか?」と。

ここ最近、文章を書こうとは思うのだがなかなか手が進まない。結局、「下書きに保存する」ボタンにカーソルが向かってしまう。原因は、もう、言うまでもない。文章を書く作業は、苦しくて、つらいものである。それでも書かなければならないのだ。こんな言葉を誰かが言っていた気がする。だが、どうしても、投げ出したさが勝ってしまうのだ。どうしても、自分の文章に自信がもてないのだ。

自分の文章に自信がもてない理由。これにはさまざまな要素があるはずだ。この世の何かを表現するために文章はある。だから、まず書く対象が存在しなければならない。まずこれが1つ。もう1つは文章力と言われるものだ。いわゆる、テクニック。はっきり言って、このどちらにも自信はない。誰かに文章を教わった訳ではないし、対象といっても相変わらず、変わり映えのない毎日。強いて言うなら、毎日のように野球には触れている(見る野球だが)ということだけだろうか。何かおもしろい出来事はないだろうか、あったらスラスラ書けるのになぁ。。とか考えているうちに、もう一日が終わりそう。眠たいや、寝よ。

というのが、ここ数日の話。あれ、何言いたかったんだっけ?そうだ、noteのお知らせのことだ。

大きな発見があった。これを実践できれば、文章に自信を持てるかもしれない、そんなnoteに出会うことができた。

https://note.mu/take/n/ncfd170c05fec

おもしろい文章は、内容がおもしろい。そのためには、おもしろいという感情を大切にすることが重要であるということ、いかに人がおもしろいと思わないところでおもしろいと思えるか。

要は、物事をもっとおもしろがれるか、ということだろう。僕が文章に自信を持てない原因として、「おもしろい出来事がない」ということを挙げていた。違う、違うんだ。僕がおもしろいと思えなかったのだ。もし、僕と同じような毎日を送っている人でも、そんな毎日をおもしろがれる人だっているはずなのだ。だから、人にはないものが書けるのだろう。

なーんだ、単純なことだったのだ。人の、おもしろい考えが形になってるのが、おもしろい文章なんだ。

後から気づいたが、僕はもうこの考え方に触れていたことに気がついた。この時点で、僕はこの考えにおもしろがれていなかったのだ。残念、無念。前に読んだのが下のnote。

https://note.mu/fumiken/n/nceab8a173df9

いかに、おもしろがれるか。そのためには、おもしろがれる「引き出し」がいる。「引き出し」というのは、切り口、視点といったものだろうか。ここに作用してくるのが、今まで僕が見て、聞いて、触れてきたことのすべてだろう。「経験が大事」と人は言うけれど、まさにこのためだったのだと実感する。

なんか、今までで一番しっくりきた文章向上術のような気がする。いや、その前に自分の文章にぐらい自信を持たないと。それを世界一おもしろがった僕の考えだと信じて。

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