ちーいた

大学2年。日記のような形で使用していこうと思っています。何でもない1日に色をつけていく。

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大学2年。日記のような形で使用していこうと思っています。何でもない1日に色をつけていく。

最近の記事

12月8日

一週間、携帯が使えません。理由はたんに壊れたからです。画面がテレビの放送休止の時のようになっています。僕の指にすら反応してくれなくなりました。悲しい限りです。 ということで今日からは、代役にPCを用います。キーボードが取り外し可能になっていて、幸いにもタブレットのように使うことができます。ただ、Wi-Fiがない環境では使い物になりません。Spotifyに契約しているので、設定次第で音楽を聴くことは可能ですが、できることはそれぐらいしかありません。 ですから、ほぼ情報機器に

    • https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/47_shayo/guestcolumn.html 太宰治という人物、さらには純文学にも、もっと興味が湧いてきた。次は『斜陽』を読もう。

      • 初めて太宰の本を読んだ。『人間失格』。今、パッと読んだ感想を振り返ると、「まるで自分自身のようだった」。というのも、この本を読んだ人は決まってこういう思いを抱くという。なんか僕は、そっちのほうが気になった。なんでみんな同じ感想を抱くのだろう。と思っていたら、こんな記事を見つけた。

        • 11.22

          今日は、久しぶりに本屋へ行った。ネットで少し気になった本を探しにいったのだが、結局買わずに帰ってきた。それでも気がついたら1時間ほど経っていた。比較的小さめの本屋に、結構、長い時間いたから各ジャンルの本たちを2,3回ずつぐらいは見ていたことになる。だから、次、その本屋に行くときにはスムーズに本を探すことができるはず、というのはどうでもいい話。 僕は本を読むのと同じくらい本屋にいることが好きらしい。理由ははっきりしないが、単純に本が好きだからというくらいでだろう。今日も本屋に

        • https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/47_shayo/guestcolumn.html 太宰治という人物、さらには純文学にも、もっと興味が湧いてきた。次は『斜陽』を読もう。

        • 初めて太宰の本を読んだ。『人間失格』。今、パッと読んだ感想を振り返ると、「まるで自分自身のようだった」。というのも、この本を読んだ人は決まってこういう思いを抱くという。なんか僕は、そっちのほうが気になった。なんでみんな同じ感想を抱くのだろう。と思っていたら、こんな記事を見つけた。

          僕は「分かってほしい人間」だということに気づいた。普段の生活もそう。思えば、小さい頃からもそうだった。姿勢や表情など、人が見ていない時も誰かといる時も、「気づいてくれるかも知れない」と思っていた。その原因は勇気がないことが大きいが、思いを言語化するのが苦手なのかもしれない。

          僕は「分かってほしい人間」だということに気づいた。普段の生活もそう。思えば、小さい頃からもそうだった。姿勢や表情など、人が見ていない時も誰かといる時も、「気づいてくれるかも知れない」と思っていた。その原因は勇気がないことが大きいが、思いを言語化するのが苦手なのかもしれない。

          10月27日。

          今日、一番感動したことは、神宮球場に入る瞬間です。ゲートへつながる階段を登ると、目の前には美しい青色の座席の数々と緑の人工芝と赤茶色の土とのコントラストが飛び込んできました。とても美しい光景でした。ただ、重要なのは、その一瞬の光景です。何故かというと、2時間から3時間グラウンドを見続けることになるので、その光景にも慣れてしまうからです。だからこそ、あの一瞬が、より鮮明に、僕の記憶の中に残り続けるのです。特に夏の甲子園球場に入る瞬間が一番好きなのですが、神宮もそれに負けないぐら

          10月22日。

          今日は、朝からくしゃみが止まらない。止まらなかったといっても、そんな連続してするわけでもないのだけれども、「ん、これはおかしいぞ」と気づくぐらいの頻度だ。当然、風邪を疑う。近頃は夜の冷え込みが厳しくなってきた。そろそろ窓を開けて寝るのはやめよう。 あぁ、もう鼻水も垂れそうだ。僕はあの鼻水が鼻の先っちょギリギリでプルプルしてる時が、僕の最も嫌いな時ベスト3に入るぐらい嫌いだ。 高校時代、ある模擬試験の最中、僕は同じようなの状況にたたされていた。あれも確か今と同じぐらいの時期

          最近で一番しっくりきた言葉は、「“すごい”を具体的なもの・ことで言い換える」だ。周り見渡してみると、結構“すごい”で溢れている。特にSNSはその宝庫。その一時的な感情を具体的なものに置き換えることは、そのすごさを自分の言葉で理解することにつながる。文章を書く時に有効だと思った。

          最近で一番しっくりきた言葉は、「“すごい”を具体的なもの・ことで言い換える」だ。周り見渡してみると、結構“すごい”で溢れている。特にSNSはその宝庫。その一時的な感情を具体的なものに置き換えることは、そのすごさを自分の言葉で理解することにつながる。文章を書く時に有効だと思った。

          僕の仲の良い友だちの基準は、自由にオナラができるか、ということである。

          友だちとの仲の良さって、何で判断することができるだろうか。 話が合う、ノリが合う、楽しい、ずっと一緒にいられる。といったような、その人・その関係にしかあてはまらないものがそれぞれあるはずだ。一概に「これ」というものを決めることはあまり相応しくない気もする。 しかし、僕は、仲の良い友だちの基準というものを発見してしまった。 それは、 「その人の前で自由にオナラができるか」ということである。 あまりの突発的かつ刺激的な言葉に驚かれるかもしれないが、これは僕の中で、きちん

          僕の仲の良い友だちの基準は、自由にオナラができるか、ということである。

          ネットで記事読んでも頭に入ってこない。そう、僕は本派の人間なんです。その違いは手軽さとか文体とか色々あるけど、一番思うのは広告。特に「読み物」系文章が広告で一旦切れる、違う世界へ移る。これが嫌なんだ。だからネットで通用するのは「何かの役に立つ」文章かと思う。まぁビジネス系だろう。

          ネットで記事読んでも頭に入ってこない。そう、僕は本派の人間なんです。その違いは手軽さとか文体とか色々あるけど、一番思うのは広告。特に「読み物」系文章が広告で一旦切れる、違う世界へ移る。これが嫌なんだ。だからネットで通用するのは「何かの役に立つ」文章かと思う。まぁビジネス系だろう。

          土日の夕方がたまらない。すべてが気持ちよく感じる。空の色も、風も、聞こえる音も。いつまでも味わっていたいと思う。なんてったって、夜が来てほしくないからだ。今日は何ができただろうか、何を残せただろうか。向き合いたくない現実を、夜は否応なく僕に見せつけてくる。そんな夜が嫌だから。

          土日の夕方がたまらない。すべてが気持ちよく感じる。空の色も、風も、聞こえる音も。いつまでも味わっていたいと思う。なんてったって、夜が来てほしくないからだ。今日は何ができただろうか、何を残せただろうか。向き合いたくない現実を、夜は否応なく僕に見せつけてくる。そんな夜が嫌だから。

          自分の文章に自信をもつために、僕はもっと「おもしろがる」。

          「noteからのおしらせ」が今日もやってくる。 それはおおすめ記事をまとめて紹介してくれるというものだ。これは、僕の中の1つの楽しみであったりする。noteにはさまざまな発見があって、ツイッターやインスタグラムにはないおもしろさがあるからだ。文章を読むことは、僕にとっては大事な時間なのである。 人が書いた文章というのはおもしろくて、ためになって、うまくみえる。至極当然のことだ。だって、自分にはないものだから、自分とは違う考えだから。「おもしろい」という感情は、自分の中にない

          自分の文章に自信をもつために、僕はもっと「おもしろがる」。

          9月19日

          「THE BLUE HEARTS」 どっかで聞いたことのある名前だな。日本のバンドであることは間違いないのだが。だいぶと昔の匂いがするけど。正直、音楽には疎い。ビートルズ、最近知ったローリングストーンズ。何のこっちゃ、お手上げです。じゃあなんで「THE BLUE HEARTS」を出してくるのかって?「THE BLUE HEARTS」の『人にやさしく』。これは、埼玉西武ライオンズ・恐怖の1番バッター、秋山翔吾の登場曲なのだ。 今日、正確には9月19日、メットライフドームにて

          9月18日

          優柔不断な選択。その結末はいつもあっけないものだ。 朝、新しい靴を買うか買わないかで1時間近く悩んだ。どれくらいのお金が残るだろう。これからお金を使うあてはあるか。ない。いや、待て、もっとましな使い道が…。ましなお金の使い道って何だよ。 まあまあ、困ったときはtwitterさんがいる。「お金は使わなきゃ損!損!」。偶然にもこんな言葉が…。ハッとして、ポチ。結末は、たったの10秒。あっけなさすぎる朝の一幕であった。 突然だが、明日はメットライフドームへ行くことになっている

          夏の甲子園100回目。私も、開幕。

          (画像は過去のものです。) 100回目の夏が、今日、幕を開けた。 これから17日間、史上最多56校による熱戦が繰り広げられる。 私も2年前は高校球児だったから、なんとなく感じる、100回大会に出場できるという「特別さ」を。歴史ある大会の、最も大きな節目の年。選手たちには、是非、この特別感やそれに伴う優越感を存分に味わいつつ、悔いのないプレーをしていただきたい。きっと、自分だけの特別な財産になるだろう。 さて、甲子園の「開幕」は、私にとって、何も手につかない日々の「開幕

          夏の甲子園100回目。私も、開幕。

          外国人と話して感じた、「敬語」の特有さとその問い直し。

          6月10日のnote。 あれは一週間ほど前のことだった。土曜日のお昼、僕は元カノとのランチへ電車で向かっていた。目的地は、自由が丘。そのあたりへ行くときはいつも京王線から東横線へと乗り継いでいく。だが、時間ギリギリになってしまったために、その日は横浜線から田園都市線、大井町線と乗り継ぐルートを使った。この路線を使うのは初めてだった。 横浜線・長津田駅で一旦降りて、田園都市線のホームで待っていると、一人の外国人の方がスマホをこちらに見せながら声をかけてきた。 「あ、乗り換

          外国人と話して感じた、「敬語」の特有さとその問い直し。