10月27日。

今日、一番感動したことは、神宮球場に入る瞬間です。ゲートへつながる階段を登ると、目の前には美しい青色の座席の数々と緑の人工芝と赤茶色の土とのコントラストが飛び込んできました。とても美しい光景でした。ただ、重要なのは、その一瞬の光景です。何故かというと、2時間から3時間グラウンドを見続けることになるので、その光景にも慣れてしまうからです。だからこそ、あの一瞬が、より鮮明に、僕の記憶の中に残り続けるのです。特に夏の甲子園球場に入る瞬間が一番好きなのですが、神宮もそれに負けないぐらい素敵でした。

神宮で見たのは早慶戦です。高校野球をしていた頃、一度見にいったことがありました。野球をしているという空間の話をしましたが、あの時の空間も強く印象に残っています。あれほどまでに敵味方はっきりした応援があるでしょうか。一塁側で見ていたのですが、周りはみんな早稲田応援。校歌もスラスラと歌っています。甲子園はどちからというとフラットな立場のファンが多いと思います。プロ野球もそこまでチームに感情移入しているとは思えません。だからこそと、言うのかな。早慶戦は面白いし、盛り上がると思いました。なんか大学って不思議なところですね。

夜はスポーツライターの方とお話しする機会がありました。取材をする立場として、「どのように野球を見るのか?」というお話でした。これまで意識しながら試合を観たことはありますが、具体的なところまで考えていませんでした。その人は、練習の時から選手を見ます。連日、取材していることもありますが、そこでの選手たちの表情や調子を観察するのです。チーム全体の雰囲気も見ます。この効用は2つあります。1つは、取材のネタが増えることです。例えば、普段はしていないのに、その日の練習でバットを短くもってスイングしている選手がいたとして、それを見ていたとします。その選手が試合でも短くもって、ヒットを打ちました。このような部分も取材のネタとなるのです。選手の数だけ、プレーの数だけさまざまな見方ができます。だけど、僕が見れるのは僕1人の視点だけです。その中でどれだけネタを拾えるかはとても重要だと思いました。もう1つは、それが試合を見る時に必要となる仮説を立てる材料になることです。良い先発投手が投げ合う場合、投手戦になることが予想されます。当然、逆もしかりで、その際は継投がポイントとなります。試合を観る際は、理科の実験のように仮説を立てそれを検証していくのです。どのように観察するかは、これら2つの点で重要な意味を持っているのです。
また、お話しの中で、試合が動くのは選手の心が動く時だというお話がありました。エラーやミスをしたことから流れが変わってしまうのは、その時に動揺が生じて、できるプレーができなくなってしまうからです。そのためにはどのようなプレーや状況で心が動きやすいのか、考え(雑念)が生じるのかを知る必要があります。これは実際、やってみないと分からないのではないかと思うのです。僕は今高校の時の記憶に頼っていますが、思い出そうとしても思い出せないことの方が多いです。野球をやる理由をそこに見出すなんて思ってもみなかったですが、今時間があるうちに、少しでも場数を踏んでおいた方がいいのかなとも思いました。

まとめると、「スポーツライターとして、もっと細かく野球を知る・見る必要がある」ということです。これから、スコアの書き方も勉強しようかなとも思いました。以上です。

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