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しくじり先生であり続けること

人が哺乳類として最も優れていること、それは学ぶことだ。

人は学ぶことで同じ過ちを繰り返さず、昨日より今日、日々進化してよりよい世界を創っていくことができる。それには年齢は全く関係ない。

そして人は学ぶことに対価を支払うようになった。先生、指導者、コンサルタント、過去の歴史や事例を学びそれに対価を支払うことで皆が思う。

「自分は失敗したくない(だから学びに対価支払ってる)」

素晴らしいことだ。余談だが私の母は50を超えてこれから通信制の大学に通おうとしている。(ほんとスゴイ)

だけど、自分は逆だと思っている。(ごめんねオカン。)

真の学びは自らの失敗からしか生まれない。

昨今、自らの失敗経験もないにもかかわらず"エセコンサル"として教壇に立ち偉そうな口調で受講者に説いている人が多くいる。そういったいわゆる評論家タイプの人がよく言うフレーズが決まってこうだ。

「要は何事も気持ちなんだよ、ハートの強さだね。パッションが足りないんだよ!!」

なんかむかつく。もやもやが止まらない。確かにそうなんだけどさ・・

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私は新卒でアクセンチュアという外資系コンサルティング会社に入社し、コンサルタントとしてのしごき(?)を7年ほど堪能した後に転職し、現在は大企業における新規事業やDX推進を支援している。

最近は建機メーカーである小松製作所との合弁事業「ランドログ」の立ち上げや業務推進の経験から、大企業における新規事業を支援してほしいというリクエストや、話を聞きたいという問い合わせが増えてきた。

大変ありがたいことなのだが、ここ最近思うことがある。

「自分はコンサルではなく、しくじり先生であり続けたい」

おそらく多くの人はコンサルに高い対価を支払い、絶対に失敗しない戦略や手法論を自分だけが手に入れたいはずだ。

しかし自分は、自身がしくじりをし続けることで同じ失敗をしてほしくないという思いから共有知として伝えたい。そしてこんなのは本来無償でいいと思っている。

なぜなら、失敗から学ぶことは人類の共有知であるべきで、社会全体から見たら底上げになるはずだ。高い対価を支払える人だけが学びを得るのではなく、失敗から学ぶ権利はだれにでも解放されるべきだ。

そして自分も失敗し続ける実務者であり続けたい。

と、いうことで大企業に所属している新規事業推進者、DX推進者と同じ傷をなめ合いながら?孤独を理解し合いどうしたらいいんだろうね~という問いと自らのしくじりから学び皆と議論していきたいと思いNoteを始めてみました。

Noteでは私がこれまで経験してきたこと、セミナーなどでよく話すしくじり話を公開していこうと思います。乞うご期待。

また、直近では以下のセミナーを住友商事さんとビザスクさんとやります。来月は三菱地所さんとFoundXさんとやります。

もちろん無償なので、ご興味ある方はぜひ。





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