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仕事復帰どころではないお話

以前の記事(とりあえず休職になったお話)で書いたように、母の介護と職場ストレスのために、精神疾患を発症し、1カ月間の休職も間もなくその期限が来るはずでした。思えばこの1カ月、本当にあっという間に過ぎました。
職場との接触がほとんどなくなったため、その分の負担は軽減はされたはずだったのですが、やはり病状の回復に至ることなく過ぎていったのは、母と接する時間が増えたことがストレスとしてまともに伸し掛かったからでした。

「忘れる」のではなく「理解ができない」

僕も介護職として自分で認知症の人と接したり、いろんな研修で学習するまでは、認知症、いわゆる「ボケる」ということを、「忘れてしまう」病気なのだと思っていました。

でも、その認識というのは、実際に認知症がある人と触れてみて、あるいはリハビリ型デイサービスで、団塊の世代辺りの今までより少し若い世代の認知症と診断された人達、そして、一番身近である母親が認知症になったことで僕の認知症に対する認識は大きく変わりました。
この人達は「忘れている」のではなく、「覚えきれない」のだ、と。

正直、ここまで「老いる」ことをまざまざと直視させられると、今でさえ、ただただ不安しかない自分の将来が、これから先に老いていくことなんて考えると頭痛しか起こりません。自己啓発書を書くような方には「老いていくことが楽しみ」だなんて、ポシティブに考えることができる人もいるにはいるみたいですが、僕には中島美嘉のモノマネはできても、その思考だけは到底真似できそうにありません。

母を含め、認知症の人達は、次々と起こる日常の出来事をメモリできなくなっています。ただ、「手続き記憶」と言って、長年の習慣として体に染みついた記憶は保持できていることが多いです。
なので、僕はいつもガスを使ってやかんでお湯を沸かそうとする母を、電気ケトルを使うように叱ってしまうのですが、そういったことを理解して、行動の改善に繋がるのなら、認知症の介護にストレスを感じる介護者は世の中から大幅に減ることでしょう。
ただ、そうはいかないのが認知症の介護であり、僕も言っても変わらないのはわかっています。ただ、言わないと家を火事で失ってからでは遅いし、それ以前にストレスに耐え切れず、どうしても叱ってしまうのです。
認知症介護において、「叱ってはいけない」ことはわかっていますが、そんなの教科書上のキレイごとです。と、介護福祉士である僕が声を大にして言ってはいけないのかもしれませんが、僕は「理想」も大事だけど、その前に人が傷ついて苦しむ「現実」を忘れてはいけないと思います。もちろん、当の認知症の人本人の苦しさがあることも忘れてはいけませんが。

でも、母の介護をしていて、母のために使用しているはずの介護サービスが思うように効果が出ることなく空振りを続けていく様子を見て、挙句の果てにサービスに文句まで言い出したりすると、認知症の人にはいろんなサービスがあるのに、それを介護する人には何のケアもサポートもないのか…と、絶望するような思考に走ることも少なくありませんでした。

母は僕がパニック障害、適応障害で休職していることを理解できていません。一日1.5合で十分なお米の炊飯の量も、必要ない「お弁当」のことを考えて、ムダに2合仕込んでしまい、終いには一日炊いたお米の半分くらいを捨てる羽目になっています。余ったご飯を冷凍して保存するとか、そういうレベルの話では済まされないのです。母が認知症であることで生まれる経済的損失がどれだけあるかと思うと、今までゴミとして捨てた食糧だけで、どれだけのものが買えたか想像できないくらい、たぶん毎月万単位での損失はあると思います。そんなことはどの介護の教科書にも載っていません。

未だに、朝と晩に飲む薬の数もわかりません。薬を必要な分だけ渡して、飲むところまで見守らないとダメな状態ですし、実際は僕が見ていないところで、正露丸や鎮痛剤なんかの薬を、処方以外に頻繁に飲んでいる形跡があるので、それを全部把握しろというのは、やはり施設介護にでもならないと無理な話です。僕の生活が破綻します。

ソーシャルワーカーさんとの出会い

実際、先月の12/21から一カ月休み始めて、もうすぐ1/21で1カ月になろうとしていましたが、自宅での状況が悪化していくばかりで、正直、自分がいない時間、こんなにもひどい状態になっていることに気付かされて、職場に戻るどころではなくなりました。
まあ、それ以前に退職者が続出している職場に戻ろうなんて選択は、ほぼほぼあり得ない訳ですが、今の自分には退職を決める余裕もなくて、できれば先送りでできる決断であるなら、先送りにしたい懸案であったため、今回の受診で、更に休暇を引き延ばしできたことは不幸中の幸いでした。

そして、今回の受診から新たにソーシャルワーカーさんとの相談の機会が得られたことで、傷病手当金という制度についても、詳しく知ることが出来たことも前進に繋がりました。
手続きは、今回の休みの間でゆっくり進めていけることも、唯一、ストレスを感じることなく話せる法人の人間である事務の職員の親切な説明で確認することができ、その辺は直面している不安について、そこそこクリアできた部分はあるのかな、と思います。

再び出てきた「説教臭いSNS」問題

最後に少しだけ書いておきたいことがあります。
ちょうどTwitterがXに変わったばかりの時期だったかに、フォローしたアカウントが見たくないポストばかりだった話を書いたのですが、なぜか、この記事が僕の書いてきた記事の中では現時点では一番「いいね」の数が伸びています。ただ、曲のPRに関連付けた書き方をしたので、イマイチ、思っていたことを書ききれていなかった嫌いがあって、最近、Xで見たツイートで不快になったポストを見たので、そのことを題材に書いていきたいと思います。

その内容というのは、大きく要約すると「悩むヒマがあったら動けよ」という内容を、Xのサブスクリプション機能を多いに利用して、長々と上から目線で書いてあったポストでした。

確かに間違ったことは言ってないし、そのように行動できることは素晴らしいし、実践できることはいいことだと思います。
ただ、問題は言い方です。僕が自己啓発本を読みたくない理由と同じ理由がそこにあります。

TwitterがXに変わった同時期に、Threadsという代替SNSのような存在が現れて、一応、自分自身でもアカウントを取ったのですが、そこでも結局Twitterを見ていて懸念していたような現象が起こってしまっていて、目も当てられないような状態になっています。正直、おススメとか1つも見たくないです。

本当に自己啓発本のような説教臭い、上から目線の押し付け提言ができるのって、よほど自分に自信がないとできないだろうし、僕みたいな自己肯定感が駄々下がりな人間には無理な話なんだな、と思います。
なぜ、ポシティブ志向の人は、ポシティブを押し売りしようとするのでしょうか?
僕は、人ってネガティブな部分もあるからこそ、前向きになれたときの嬉しさや楽しさが際立つと思い、どちらの感情も否定したくはないのですが、やたらと「暗い」ものや「ネガティブ」なものを排除しようとするような、行き過ぎた前向きさには頭を殴られるような思いになります。

1つだけ具体例を挙げるとするなら、90年代の小室プロデュース作品の歌詞とかがいい例でした。元々、僕自身はTM NETWORKのファンだったし、小室さんの支持者でもあったので、小室サウンドは普通に聴いてきましたが、このときばかりは、本当に自分が「それほど歌詞に興味がない」人間で良かったと思いました。

最近は、音楽活動に使っているアカウントの周辺の友人や関係者のポストや告知以外は、なるべくスルーするようにしていて、「いいね」も付けないようにしていますが、今のところ、ミュートしたくなるようなツイートをするような人間がリアルの付き合いでは現時点ではないことに胸を撫でおろすばかりです。

それらの思いを踏まえて、今回の受診、および相談で思ったこと。
「後に先送りできることは、別に今やらなくてもいい」

「動けないときに、無理して動かない」
動き方がわからないときは、動くときじゃない、ということ。

急がなくてもいい。傷病手当金の手続きも、まだゆっくり時間がある。


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