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平成13年 酢酸の思い出

あたり焼きの末期と暗室作業 

「うちのスタジオはラボと違うぞ」 師匠談。

だが撮影だけが仕事ではない。
印刷会社からの持ち込みフィルムの現像、サイズ焼き。
単色刷りのチラシは低予算のため、カメラマンをブッキングでない。
なんと会社の営業マンがAFとAEを頼りに、500Wアイラン1灯で撮るらしい。

フィルムの種類は毎回バラバラ(特価販売品のため)。露出はバラバラ。ピントも甘いのがある。まあ想定内だが。
特に困らせたのは撮影商品とネガ番号を一致させること。

「商品はバッテリー補充液…  はい 4−28コマ目…」ってな感じで。
3時間かけて指示通り100枚ほど焼く。

この頃、多階調印画紙が発売され、フィルター操作でコントラストを調整できるようになっていた。印画紙在庫も1種類で済む。
もちろん師匠に具申して入れてもらった。

ラボ作業も立派な売上になるのだ。

時代はバブル崩壊。
デジタル化の噂が低予算の仕事を増やしはじめた。
もう昇給も望めない。

独立に向けて撮影機材は揃えている。遂に師匠に独立を告げる時が来た。

この辺りからお世話になっているプロラボがMacとデジタルカメラを売り出した。近い将来フィルム販売と現像代では売上が成り立たない…という判断だろう。

「デジタルはフィルムを越えるのか」
こんな論議が真剣に交わされていた。

デジタルに進化するのか それともフィルムに留まるのか

大判カメラはまだ残るが、ブローニー以下のカメラは全てデジタルに取って代わる。以前は「だろう」が付いていたが、もう断言されるようになった。

独立するのにハッセルと暗室はもう要らないのか。

だが、現実として手持ち予算は少ない。

問はこうだ。べセラー45MXTを売ってデジタル機材を買うのか。
つまり暗室を手放し、明室(モニターやプリンター)を導入するのか、ということである。

結論はすぐ出た。
「暗室を手放さず、明室を導入する」

銀行に事業計画書を出し、家族を人質にして設備資金を借りた。
だが…。
この借金のループが今もなお続くことは、この時点で誰も知らなかった。





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