イジゲンメトロ -9
自殺の理由を、多嶋先生はなかなか口にしようとしなかった。でもこう見えて私、千人以上もカウンセリングしてきた実績のある、プロなの。だから、重い口を開かせる方法も、知ってるつもり。
「ねぇ先生、子供の私じゃ役不足かもしれないけど。もしよかったら、何があったか聞かせてくれない? だって先生、もう死んじゃってるんでしょ? だったらこれって、夢みたいなものじゃない。夢なら何を言っても、恥ずかしくなんてないでしょ?」
使えそうなものは、ためらわず使う。それが、私のやり方だった。このおかしな状況だって、利用しない手はない。
それでも、先生の口は重かった。けれど辛抱強く待っていると、やがてぽつりぽつりと話し始める。
「ミズキたちが卒業して、オレ、学校変わってさ。新しい学校で、二年目の秋ごろだったかな。昼休み明けの授業で早めに音楽室に行ったら、たまたま女生徒が一人だけ来てたんだ。群れたがる女子が一人だけってのは、おかしいなと思ったけど。軽く声だけ掛けて、授業の準備を始めた」
私は先生が話しやすいよう、相づちを打った。それでも話は、止まってしまう。それを見て私は、可能な限り存在を消し、静かに見守る作戦に変えた。すると先生は肩からひとつ息を吐き、再び重い口を開けてくれた。
「そしたら、その子がオレのほうに寄ってきて、いきなり叫び声を上げたんだ。『助けて』って」
私はそのとき、背中からざわざわとした悪寒が這い上がってくるのを感じた。
「そしたらタイミングよく別の女子たちが入って来て、ちょっとした騒ぎになってさ。オレが、その子の身体を触ったって言って。オレびっくりして、慌てて否定したんだけど。まるで、信じてもらえる雰囲気じゃなかった」
右手で自分の顔をぬるりとなでる先生を、固唾を呑んで見守る。
「けど、そのときはそれで、すんだんだ。他の生徒たちが来たら、そいつらも黙ってくれて。普段どおりに、授業もできた」
イヤな予感が、止めどもなく広がっていった。まさか、そんなこと。
「ところが翌日の放課後、校長室に呼ばれてさ。行ってみたら、保護者が何人か集まってた。オレが女生徒に、わいせつなことをしたって言って……」
信じたくはないが、要素が揃いすぎている。音楽室、わいせつ行為、事件が起きたタイミングまで。
「ごめんね、先生、ヘンなこと聞くけど。その女生徒たちの中に、坂本美和って子、いなかった?」
私はあえて、否定形で聞いた。どうか、違っていてほしい。
「坂本? 確かにいたけど、どうしてミズキが知ってるの?」
私は、目の前が暗くなるのを感じた。坂本美和はヒーラーとしての、私のクライアントの一人だった。まさか彼女が自殺に追いやったという教師が、多嶋先生だったとは。驚きを通り越して、驚愕だ。
けれど、呆然としてはいられなかった。いまは、先生の話を最後まで聞かなければ。
「ううん、話の腰を折っちゃってごめんなさい。それで、その事件が原因で先生、自殺しちゃったの?」
内心、ヒヤヒヤしながら聞く。うまく本題に戻ってもらえるか、イチかバチかの賭けだった。それでも先生は、どうにか違和感を収めてくれた。
「まぁ、そうなんだけど……。校長に問い詰められたときオレ、バチが当たったと思ったんだ。ミズキたちがオレの、はじめて受け持ったクラスだったのに。ホント、何ひとつ、まともにできなかったからさ。キイにだって亡くなる前に、もっと何かしてやれたんじゃないかと思うんだ。なのにオレ、『お見舞いは今回限りに』って言われたとき、こころのどこかでホッとしてた」
私は、キイちゃんのお葬式で、先生が子供みたいに泣きじゃくっていたのを思い出した。
「そんなことない。先生、優しかったし、クラスのみんな先生のこと大好きだったよ」
私は思わず、素の自分に戻っていた。先生はちらりところらを一瞥すると、両手に顔を埋め、すすり泣き始めた。
「浜田だって、お母さんのことで苦しんでるのオレ、知ってたんだ。だから、どうにかしようと、考えはしたんだけど。自分に火の粉が降り掛かるのが恐くて、できなかった」
そうか、と納得する。浜田くんのお母さんは当時、ささいなことでも学校に怒鳴り込んで来ることで有名だった。いまで言う、モンスターペアレントのようなものだ。まだ若かった多嶋先生は、格好の餌食だったに違いない。
私は声を押し殺して泣いている先生を、複雑な思いで見つめていた。苦しんでいる先生を、救ってあげたいという思いはもちろんあった。でも子供の身体で、何ができるというのだろう。
と、そのとき、多嶋先生が誰にともなくつぶやいた。
「ここの電車に乗れないのもきっと、そのせいだ」
私はそれを、聞き逃さなかった。なるほど、私がここに呼ばれたのは、そのためか。死者が乗る電車に、乗れない。つまり先生は、生きることに執着があるということだ。その執着を手放させ、電車に乗せろというのか。
でもキイちゃん、私には荷が重いよ。
恐らく先生の執着は、たったいま話していた、キイちゃんや浜田くんに対する後悔から生まれたものだろう。後悔は、過去に対する執着そのものだ。きっと先生の時計は、私たちが小学生だった当時で、止まってしまっているに違いない。
けれど、止まってしまった時計を進めるのは、決して簡単なことではなかった。まずは自分が過去に留まってしまっていることを認めさせ、もう取り返しが付かないと納得させ、そのうえで原因となった出来事を受け入れさせなければならない。
それをするためには、かなりの時間が必要だった。普通であれば、年単位の時間が。
私は改めて、浜田くんの様子をうかがった。まだ気を失ったままの浜田くんは、すぐには目を覚ましそうになかった。あの日はどうだったろう? 思い出そうとするが、やはりはっきりとしない。
でも意識がないのは、せいぜい1時間くらいのものだろう。そしてもし浜田くんが、目を覚ましてしまったら? 彼にとっては現在進行形のクラス担任である多嶋先生に、同級生である私がカウンセリングなんてできるだろうか?
そのとき突然、耳の中で声がした。
『……ちゃん、ミズキちゃん?』
キイちゃんの声だった。
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