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イジゲンメトロ -エピローグ

 小学生のころの坂本美和は頭がよく、スポーツも万能で、身体も大きく、男子ですら逆らうことができないような〝目立つ存在〟だったそうだ。特に五年生になるとバレー部のエースとして大活躍し始め、周りからは女王さまのように扱われるようになった。

 そんな彼女がクラス担任であり、バレー部の顧問でもある多嶋先生に恋心を抱くようになったのは、最上級生でもない彼女を、先生がエースに抜擢してからだった。

 意を決して告白した彼女に、先生は冷たかったという。「気持ちだけ、ありがたく頂いとくよ」と笑われたことが、彼女を深く傷付けたのだそうだ。人からの言葉を額面通りに受け取れない育てられかたを、彼女はしてきたということだ。

 そこで彼女はクラスの女子を先導し、先生をおとしいれる計画を立てる。それがやがて自分から友だちを奪い、自信を奪い、笑顔を根こそぎ奪ったうえに、視線恐怖にまで追いやることになるとは知らずに……。

「まさか先生が自殺するなんて、思ってもみなかったんです」と、彼女は泣いた。

 最初は先生がオロオロするところを見られれば、それでよかったはずだった。ところがまともに否定すらできない先生を見て思わぬ興奮を覚え、あろうことか家に帰って母親にしゃべってしまう。

 それが最終的に先生を、窮地に追い込むことになった。

 しかも先生が亡くなった後も、自分から話をした手前、母親には本当のことを白状することができなかった。もちろん他の誰にも言えず、計画に引き込んだ級友たちがいつ本当のことをしゃべってしまうのではないかと、ずっとビクビクしながら生きてきたそうだ。

 その話を聞いたのは、三ヶ月前のカウンセリングのときだった。そして、地下鉄駅で多嶋先生を見送ってからちょうど一週間後の今日、彼女は再び私のカウンセリングを受けに来ていた。

 神妙な面持ちで座っている坂本美和に、私はこう切り出した。

「ごめん、変なこと聞くけど。その自殺された先生って、多嶋先生って名前じゃなかった?」

 その名を聞いて彼女の顔は、見る見る青白く染まっていった。

「どうして、その名前を?」

 私は息を吐き、わざと間を置いてから答えた。

「驚かしちゃって、ごめんね。実は私も習ってたの、多嶋先生に。四年生から卒業まで、担任だった。どうもその後すぐ、坂本さんたちの学校に移ったみたい」

 坂本さんの頬を、つ、と涙が流れた。「ごめんなさい」吐息のような、言葉がもれる。

「誤解しないで、困らせようと思って言ったんじゃないの。それに坂本さんが話してくれたときには私、亡くなったのが多嶋先生だなんて、想像すらしなかった」

 私は彼女を怯えさせないよう、ゆっくりと、笑みを浮かべながら言った。

「知ったのはね、とても、ひょんなことがきっかけだったの。そうね、夢で見たって言ってもいいかもしれない。とにかく現実とはちょっと、かけ離れたことなの。だから、おとぎ話みたいなものとして、リラックスして聞いて。最初はちょっと辛いかもしれないけど、きっと最後には安心してもらえると思うから」

 そう前置きをして、私は地下鉄駅で聞いたことを話し始めた。小学校のときの先生にあこがれ、多嶋先生も教師の道へと進むのを選んだこと。なのに、任された最初のクラスで予想外の重責を負うことになり、うまく立ち回れなかった自分を責めていたこと。

 そして逃げるように坂本さんの学校へ移ってからは、空しさから仕事依存に陥り、睡眠不足になるまで働き続けていたこと。事件が起きたときには体力も気力も奪われ、まともな思考が働かず、発作的に飛び降りてしまったこと。

「つまりね、先生の中の時計は、もうすでに止まってしまっていたの。だから、坂本さんが起こした事件は、ただのきっかけに過ぎなかったってこと」

 坂本さんはハンカチを目に当て、むせび泣いていた。

「だけど、当時の正直な思いを話したことで、先生の時計は再び動き出した。そして、前に進むことができたの。だから、ね、坂本さんも止まってる時計を動かして、前へ進もう。それを多嶋先生も、きっと望んでると思うわ」

 泣き濡れた彼女は、それでも力づよく、うなづいてくれた。

                  (了)ーありがとうございましたー

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