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読書記録(2024年6月分)

気圧の乱高下などひどい有様でしたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。部屋に籠って本を読むというのは猛暑の回避策として伝統的に支持されてきたはずです(適当)

文芸書

①九鬼周造随筆集

『いきの構造』などで知られる日本哲学の巨星ですが、随筆の名手であることは知りませんでした。内容は素朴な街歩きから高踏な舞楽についてまでありますが、あまり力んでいない端正な文章で面白かったです。論文と異なり、論理性の限定に縛られなくていいところから自由に思想を展開できる随筆こそ、思想家の頭の中が見えてくるようでした。

「青海波」などを読むと哲学者ではなく文章家、作家としての方面でそれなりに名を成せただろうなと思いました。視点と表現力、共に優れている日本文学です。

②森博嗣『静かに生きて考える』

著名な工学研究者で大ベストセラー作家でもある著者は頻繁に随筆を書いていますが、これはその最新版。完全に森の中の私邸に籠って趣味に没頭する内容です。鋭い切り口は多々見られますが、これまでの氏の随筆を読んでいるなら特に新しい何かが得られるようには思いません。

ただ、氏の随筆を読んだことがないならまず最初にお勧めしたい、基準作として本作はあるのかなと勝手に思います。コロナ禍の中の「森の生活」という二重の壁の制約の中で、とてもいきいきとしているのが、解放や積極性を自由と見なすことの誤りを示唆しているように感じました。

③安田茜『結晶質』

新進気鋭という言葉は大層馬鹿っぽく聞こえるので使いませんが、魚村晋太郎氏の『銀耳』以来の驚きと感動がありました。この系統が好きなだけかもしれませんが、日常を多彩なことばでまさに結晶化する、凡庸なものでも詩化する感性が見事です。第一歌集とのことですが、現代短歌を流行りものと見なすのを改めたいと思います。

日本文学の神髄は短歌と随筆だと、平安時代からの定式通りの感想を年々膨らませていますが、その構造に染まるひと月でした。

美術書・学術書

①S.ウンゼルト『ゲーテと出版者:一つの書籍出版文化史』

ドイツの伝説的出版人がゲーテと関わった出版者たちについて追う、異色の研究書。偉大な詩人の諸作品はいかにして世にでたか、その事実や経緯だけでもかなり面白いですが、ゲーテが出版や雑誌といったものに懐疑的な態度を終生崩さなかったのは意外でした。無欲なのか、多くの人にという意識が乏しかったのかなと。

ゲーテは長らくドイツ文化の象徴としてベートーヴェンと並び神格化されてきたわけですが、その脱神話化が20世紀後半のドイツで起こり、本書もその流れを担うものです。とはいえ、偉大な芸術家でも商業面や金に関わるところでは何らかの人間臭いトラブルはあるわけでして、この方面を炙り出したからといって「脱神話」にはならないと思うのは私だけでしょうか。

②C. ビュシ=グリュックスマン『見ることの狂気: バロック美学と眼差しのアルケオロジー』

バロックとは何か。この美学的な問いは常に考えられており、いいかげん飽きないかなと思うのですが、手を変え品を変え編み出される大差ないバロック論とこちらは毛色が違います。そもそも何が書いてあるのか普通に読み取れないからです。

1990年代のフレンチセオリーの影響全盛期に書かれたこの本は、読者はこの程度知っているよねという前提で、ポンポン話が飛んで、精査検討なく引用して難解な結論とも言えない結論をいくつが投げる感じで進みます。少し前の人文学の悪癖かと思うかもしれませんが、その文体や態度自体が「バロック」なのではないかと思うのです。知識による粉飾とあえて本質を隠すような錯綜した文体がまさしく、絶対王政と宗教にがんじがらめのバロック知識人的な在り方だと思うと、相当凄い本だと思えるようになりました。

③川名淳子『物語世界における絵画的領域』

平安時代の文学作品は《源氏物語絵巻》など盛んに絵画化されてきましたが、その方面ではなく、逆に文学作品の表現に見られる視覚的な要素を分析した一冊。どのようにして読者にイメージを想起させるか。千年前の物書きたちが込めた技術の妙に魅入られますし、物語は現代の我々とまるで違うように味わっていたのだなと思いました。

文章の表現力向上にも生かせそうです。

④S. バック=モース『ベンヤミンとパサージュ論: 見ることの弁証法』

ベンヤミン研究の中では重要な一冊とされているもの。晩年の未完の『パサージュ論』はいかなるものだったかを、丹念に再構成しようとしています。文化芸術を本気で哲学的な真実の源泉だと考えたベンヤミンですが、その思考や態度はどのような要素によって形成され発展してきたのか、とても丁寧な記述で包まれています。

やはり個人的にはプルーストの翻訳を巡る話が興味深く、文化批評版の『失われた時を求めて』を志向したのが『パサージュ論』なのではという、とりあえずの美しい仮説に納得しました。古風な丁寧さがある名著です。

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