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織田有楽斎展 感想

京都文化博物館にて開催中の「大名茶人 織田有楽斎展」の感想です。京都での会期は6月25日までですが、来年の1月末から東京のサントリー美術館でも開かれます。有楽町の語源にもなってる大物です。

概要

織田有楽斎(長益)は信長の13歳下の弟で、兄と一緒に多くの戦に従軍した武将ですが、本能寺の変で状況は一変します。

信長の後継者信忠と共に二条御所にいたのですが、信忠を置いて脱走。この行為が武士として色々と問題視され以降は「人でなし」「武士の面汚し」などの酷い評価がなされるようになります。

織田有楽斎、出家後の姿

有楽斎は茶人としての一面もあり、以降はのめり込むように趣味の世界へ没頭。その道では千利休や古田織部らなどと渡り合い、大名茶人としての名声を確立します。この展覧会は「武士としての汚名/茶人としての栄光」という光と影に捧げられた複雑なものであるように思いました。

①汚名返上

第1章は信長の弟、武将としての有楽斎について。刀や兜、武将たちの書状が並びますがここでハッキリしていることは、「有楽斎は卑怯で人でなしだ、という評価は江戸時代に作られたもの」であることを示そうというものです。

①有楽斎の否定的な中傷の原典は、反織田勢力の毛利家の家来が書いた歴史書であり、フェアではないこと。②本当に卑怯で酷いやつなら武将たちから距離を置かれるはずだが、本能寺の変後もたくさんの武将と交流が続いていること。戦国時代の価値観的にあの行為は許容範囲であったこと。

この2点から有楽斎の悪名汚名は後世の価値観が作り上げたものでしかない、ということが示されます。鮮やかでかつ説得力のある構成でした。

個人的に汚名返上から始まる展覧会というのが新鮮(ふつう個展はその対象を褒め称えるようなものなので、最初から明るい雰囲気があるが本展は必死さも感じられた)でしたから、とても印象に残りました。

②茶人としての有楽斎

あとは書状と茶道具がメインになります。翻訳がキャプションにあって内容がある程度分かると楽しいです。

「明後日茶会やるけど来る?来るよね?(圧)」みたいなものが幾つかあり笑ってしまいました。いや、こいつら暇人なのかと。現代人の感覚だと茶会の招待状はかなり前に届きます。それをもとに予定と照らし合わせ行けるか行けないかを連絡、それから当日に合わせて着物を考えたりするのですが、有楽斎は「明後日やるよー」です。

ごめん大雨で行けなくなりそうだからごめんね。というものもありました。

ここから当時の茶会は今日のような格式ばったものではなく、上流階級のフワッとした社交なのだなと思いました。少なくとも今の茶道というものの重さは何ひとつありません。

他にも、陽が登らない頃に客を茶室に集合させ、有楽斎が登場。暁の頃に平家物語を暗唱させて客を驚かす、というようなエピソードまであります。そんな朝から茶会かよというのに度肝を抜かれました。

有楽斎なら「お茶」と答えるでしょう

現代の観点からすればエキセントリックな人であり、やはり信長の弟だなと思わせることが多く、節々に強い個性を感じました。

感想

①千利休との距離感

茶道関連の展覧会として驚くべきものとして、千利休関連のものがほぼ出てこないということです。一応有楽斎は利休の門人なのですが、この展覧会に利休と有楽斎の美的系譜を見出せるものがなく、むしろ利休の師である武野紹鴎へのリスペクトを感じさせるものばかりでした。

狩野山楽《蓮鷺図襖》

利休が大徳寺と関連が深いということで茶人にとって大徳寺は聖地ですし、兄信長も織田家の一族も大徳寺の総見院に眠っているにも関わらず、有楽斎は同じ臨済宗とはいえ建仁寺に行き、塔頭の正伝院を復興させそこに出家し没しました。

キャプションはところどころに見える非利休的要素を有楽斎の個性として書いています。反利休・親紹鴎とまで強く言えるかは分かりませんが、茶道=千利休という構図とは別の精神世界が展開されており、これが大名茶人かと思うことになりました。

国宝茶室《如庵》有楽斎の建てたもの

利休とは同時代人ですし、天下人の弟で大名である有楽斎は利休の権威に平伏する必要もないので、こういうことになっているのかなと思いました。有楽斎の建てた偉大な建築《如庵》も利休風の密閉感があり宗教的な茶室とは違う、機能性や合理性のある茶室でしたから、そこはもの凄い個性だと見なせるはずです。

②消費者側の展覧会という困難さ

有楽斎は特に何かを描いたり作ったりしてはいませんし、本阿弥光悦のようにプロデューサーとして活動したわけでもありません。荒っぽいことを言えば、「ただ茶人として茶会を開きまくり大成した趣味人」の展覧会です。

《有楽井戸》と呼ばれる東博が誇る名碗

《如庵》と彼の書状くらいが有楽斎を直接感じるものであり、あとは有楽斎が所持し使っていた(と思われる)茶器などから察することを要求します。彼の思想や美意識をまとめた書類があるわけでもなく、まさに遺留品から400年前の大名の感性を推理する、というもののわけです。

和物ではなく唐物の絵や茶碗を使いがちだということは瞬時に分かりますが、それ以上のことを理解するには、いかに千利休や茶の王道とされる、いわゆる千家流の茶道の感性を知っているかどうかによります。

伝徽宗《白鷹図》

古典的なものを観るときに重要になるのは「正統とされるもの」を知っていることです。それから個々の作家を見るとき、正統とされるものからの距離や違いを見て個性を感じるしかありません。

これは茶道の展覧会だけに限らないですが、「正統とされるもの」を知っていること、権威をひとまず知っていることの重要性をひしひしと感じました。利休のことについて知らなかったら有楽斎の個性などまるで見えてこないはずです。

ここでもまた「個性」というのは比較の上で成り立つ概念で、そこに内在するものではないということを改めて思いました。

まとめ

コラムやキャプションの文字が小さくて見にくいのが難点でしたが、それ以外はいい展示でした。

古美術を観る際は、その時代と分野の王道や覇権をとった表現をとりあえず知っておくこと、の重要性を認識しました。

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