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アイザック・B・シンガー『モスカット一族』

1950年に出版されたI.B.シンガーの長編小説『モスカット一族』(Isaac Bashevis Singer, 《The Family Moskat》大崎ふみ子訳) が今年日本語訳で読めるようになりました。その感想です。

アイザック・B・シンガー(1903〜91)

シンガーはポーランド出身のアメリカ人作家で、ルーツであるポーランドのユダヤ系社会をテーマに、生涯イディッシュ語で書きました。1972年ノーベル文学賞受賞。

ストーリー

書影 ワルシャワの地図もついています

20世紀初頭のロシア帝国下ポーランドのワルシャワ。そこのユダヤ・コミュニティの長老メシュラム・モスカットが三回目の結婚を決めたところから話が始まります。80代を超えての歳の差結婚で周りはざわつきますが、権力でそれらをねじ伏せます。メシュラムはモスカット家の全てを仕切る絶対的な家長として君臨していたのです。孫娘のハダッサの縁談もメシュラムが決めることになりました。

そこにエイザ・ヘシェルという若者がやってきます。彼はワルシャワ出身ではなく、外からやってきたインテリであり、「新しいユダヤ人」でした。実際ドイツやオーストリアでは多数派のキリスト教徒と同じような生活をし、彼らのように文学や哲学を勉強するユダヤ人もいましたが、ワルシャワのコミュニティでは未だに厳格なユダヤ教の戒律と信仰の中で生きていました。ハダッサはこの外から来た「新しいユダヤ人」に惹かれます。

メシュラムの家長としての強権と、戒律のみを重視する姿勢に爆発した二人は、駆け落ちのようにスイスに逃げます。ハダッサは捕まえられて結局人妻になりますが、エイザ・ヘシェルは姿を眩ませたまま。メシュラムは初めて自分の権威が覆されたことに慄き体調を崩して死亡し、巨大な支えを失ったモスカット家は保守伝統主義と「新しいユダヤ人」の間を揺蕩う中、エイザ・ヘシェルがワルシャワに帰ってきます。時は第一次世界大戦が起きようとしていました。

メシュラム没後は芯が無くなったかのように散開的な、多くの人物が入り乱れるようになりますが、エイザ・ヘシェルとハダッサの恋模様を軸にすればプロットを見失うことはないでしょう。時系列も歴史通りで複雑な視点の切り替わりはなく、脱線もありません。20世紀半ばの小説にしてはとても読みやすいです。

感想

①世代間対立

世代の違いによる考え方の違いが引き起こす普遍的な軋轢が、本書の基幹です。

(エイザ・ヘシェル)「私はただの学生です。思想はいくらかありますが」
「思想!世界全体が思想で忙しいのね」とダチャが口をはさみ、ため息をついた。「うちのハダッサ―毎日あの子は自分の思想を書き留めているわ。私の若いころはだれも思想なんかに頭を悩まされなかったし、それでも同じようにいきていたわ」

p66

旧約聖書を読んでラビ(ユダヤ教の指導者)の声を聴き、信仰の中に生きるのがユダヤ人としての悦びだというメシュラムらの世代と、西から来た社会主義やイプセンらの影響で現れてきた素朴なフェミニズム、あるいはパレスチナに国家を作ろうというシオニズムなど多様な「思想」を持って生きる、近代的なエイザ・ヘシェルらの世代の対立が随所に出てきます。

その点において多くの古典、ツルゲーネフの『父と子』、マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』といった作品の系譜に属するものです。とはいえこの手の世代間対立を書いた欧米の小説は、比較的私たちにもなじみのあるキリスト教的価値観と近代科学や無神論の対立のようなものであったりしますが、本作は隅々までユダヤ教の世界で埋め尽くされています。その雰囲気や世界観が同系作品と本作を隔てたのものとしています。

そのエキゾチックな表現に惹かれるのは事実としてあります。頻繁に旧約聖書から引用され、ユダヤ教の大哲学者マイモニデスやスピノザの言葉も出てきて、異様なチョイスの独特とした個性がムワッと立ち昇ります。ワルシャワともポーランド文化ともほぼ交流がなく、外と遮断された密閉のある文化空間の描き方は読者に強烈な印象を与えるでしょう。抽象的なところだけでなく、ハヌカ(ユダヤ教の祭り)や日々の食卓での語彙も、日ごろからイディッシュ文学を読んでいる人以外なら新鮮に思うはずです。

②ここにしか残っていない世界

類作と本書を最も隔てる要素は、ここで書かれた世界は存在ごと抹消されたものであるという事実に起因する虚無があります。よく比較されるマンの『ブッデンブローク』にしても、今も舞台になったリューベックに行けば雰囲気はそのままですし、作品と地理が一体となっています。100年以上前の世界を書いていても現在へ繋がるものがありますが、ワルシャワのユダヤ人社会はナチスによって文字通り滅ぼされましたから、今日では本書にしか残っていないものです。シンガーがあえてイディッシュ語で書き続けたのも、完全に消えないように自分の作品の中であの世界を継ぎ木させようという意志でしょう。

失われていく世界を文章の中に留めようという意志は、谷崎潤一郎の『細雪』と重なるところがあります。結婚が話の主軸になっていることも含め似ています。ただ『細雪』がモダンな関西上流層の世界を描くために、貧困や暗い時代の影を消して極端に情緒的な世界を創り上げたのに対し『モスカット一族』は戦争やユダヤ人差別なども克明に記しています。失われていくものへの憧憬や滅びの美に酔うことも許されぬ、「絶滅」という結果を受けて書かれたものだから当然ですが、その冷徹な書きぶりに背筋がぞわっとなります。

最後はナチスの台頭と新たな戦争を仄めかして終わりますが、

「死がメシアだ。それが真実だ」

p851

は、ホロコーストを知る私たちからすると登場人物たちの未来が分かるわけですから、感傷に浸ることもなく、冷ややかな恐ろしさがじわりと精神をつたうのです。悲劇や残虐性を極端に訴える凡百の小説とは一線を画す、そのものを生きてきて見てきた人間だからこそできる冷淡さが、本書の芸術性を高めています。

③悪への独特なまなざし

長年の迫害の歴史から、彼らは悪という言葉や概念の受け取り方が複雑です。神は善なので、その神が我々を痛めつけるというのは悪ではなく試練なのだという解釈が現れます。この考えが随所に出てくるので、本書の思想を代表しているように考えられます。

エイザ・ヘシェルはヒトラーについて考えた。スピノザに従えば、ヒトラーは神性の一部であり、永遠の実態の一様態である。彼のあらゆる行為は永遠の法則によって前もって定められている。たとえスピノザを拒否するとしても、それでヒトラーの肉体が太陽の物質の一部であることは認めねばならず、そこから地球はもともと分離したのだった。
ヒトラーのあらゆる残忍な行為はどれも宇宙の機能の一部である。もし論理的に一貫していようとするならば、その時に神は悪であると認めねばならず、あるいはそうでなければ、苦しみと死は善であると認めねばならない。

p832

この考えで数多くの迫害に耐え忍んできた、いわばコミュニティの思想的知恵とでもいうべきものです。たとえ因襲を打ち破る「新しいユダヤ人」であっても、この考えと立場からはとうとう自由になれないというもどかしさを感じます。神が悪や苦しみを創造したのはなぜか。その形而上学的問いをめぐるユダヤ的ため息が、特別な深みを本書に与えています。

まとめ

非常に読みやすいのに、大河小説の貫録があります。
ただ「新しいユダヤ人」ということで女性の不倫や密通が描かれることもあり、シンガーが本作を連載していたイディッシュ語新聞には保守派からの批判があり、色々あったのか後半の展開が急すぎるところはあります。バランスが不自然ですし、メシュラム・モスカットの人物造形が強烈なため、彼が退場してから作品が軽くなってしまうように感じます。
他のモスカット一族は凡庸であるという設定故ですが、メシュラム以外あまり個性がなく、それぞれ当時のユダヤ人社会の典型人、という印象を受けました。

それもあって、悪とはこうである、ユダヤ人にとって~というような思想的主張はなく、淡々とした物語となっているあたりは、ガツンとした読書体験が欲しい人や、「答え」や「意義」を求めて読む人には物足りない部分があるでしょう。

とはいえ、作者自身「ひとつの時代を再現することが目的だった」と語っているように、主役は滅び去ったその社会ですから上の欠点は意図的にしていると考えるなら納得です。むしろ具体的な細部の描写、食卓の様子といった隅々までポーランドのユダヤ文化要素を詰め込んだ点において、それは成功していると思います。いずれ史料としても使われるのではというレベルで精彩に書かれ、それこそが読者を物語の世界に引きずり込むスパイスになって、独特な個性の源になっています。

上に幾つかあげた『ブッデンブローク』などの小説が好きな人には、大変面白く感じる小説だと思います。秀作です。

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