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【貢女の話】

5世紀の高句麗こうくり新羅しらぎの時代くらいから、朝鮮半島には〈貢女コンニョ〉という制度と言うか慣習があった。

〈貢女〉というのは、中国に服属していた高句麗や新羅が、中国の高官に差し出す性奴隷のことである。

李氏朝鮮3代目:太宗たいそうの時代は〈貢女〉の集め方がまだ穏健なもので、捨て子や身寄りのない少女を集めて保護する代わりに〈貢女〉にしていた。

ところが、こうした少女たちを「みん」から来た使臣ししん(使者)に差し出したところ、「みすぼらしい女ばかりだ」「明国を馬鹿にしているのか❗️」と怒りを買ってしまったのだった。

「明」の激しい怒りに恐れをなした太宗は〈貢女〉集めをやり直し、美女を見付け次第、強制連行するようになったのである。その際、「処女を隠した者、鍼灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりして、選抜を免れようとした者などについては、厳罰に処す」という布告を出している。

このため、娘が生まれたことを隠したり、娘を出家させたり、美しい娘なら顔に劇薬を塗って醜くしたという。また、わざと障害があるフリをさせたり、金持ちならば賄賂を出して連行を免れたりしたのである。

そして、娘を隠していたことが発覚しようものなら、村全体が残酷な形で処罰されたという。

このような「中華帝国」への朝鮮従属の長い歴史を・・・

【日朝修好条約】
第1条  朝鮮国は自主の邦にして、日本国と平等の権利を保有せり。

【下関条約】(1895年)
第1条  清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。よって右独立自主を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献典礼は、将来まったくこれを廃止すべし。

によって断ち切ったのが「日本」なのである。日本は、朝鮮を中華帝国から独立させたのである。

〈貢献典礼〉とは、清国に対する朝貢の儀式のことであり、朝鮮女性たちを長年に渡って苦しめ続けた「貢女」の制度も、この【下関条約】によって全廃されたのだ。

(茂木 誠・宇山卓栄 共著「日本人が知らない!世界史の原理」ビジネス社より一部を参考引用)


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