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【種子島の鉄砲】

1543年(天文12年)、1隻の中国船で種子島にやって来たポルトガル人によって、〈火縄式鉄砲〉が初めて日本に伝えられた。

島主・種子島時堯は、高価な〈火縄銃〉を2丁を購入する。そして、直ぐに惣鍛冶・八板金兵衛清定を呼び付けて、鉄砲の模作を命じるのである。

八板金兵衛は、早速〈火縄銃〉を分解して部品をコピーする作業に取り掛かかる。

〈ネジ〉を再現するのに苦労をしたが、翌年来島したポルトガル人によってこれの技術を習得,伝来後8か月目にして早くも〈国産火縄銃〉を完成させるのである。そしてこの〈国産火縄銃〉の品質は、本家ポルトガルの物を凌駕するものであったという。

こんなことは世界中のどの国でもあり得なかった事であって、日本人が如何に優秀な民族であるかを如実に物語るエピソードなのだ。

〈火縄銃〉に使用する「黒色火薬」の原料である(木炭)(硫黄)(硝石)の中で、唯一国内で採掘できなかった(硝石)のみは輸入に頼らなければならないという弱味はあったにせよ、この後,〈国産火縄銃〉は新しい武器として急速に日本国内に広まっていったのである。

尚、当時は鉄砲のことを“種子島”と呼んでいたそうである。

さて、このように、物を作らせたらあっと言う間に「本家」よりいい物を作ってしまう日本人なのである。

例えば〈零式艦上戦闘機〉〈自動車〉〈基本ソフト:TRON(アメリカに潰された)〉etc.・・これ等はほんの一例に過ぎない。

日本が真に独立して、なんの妨害も受けなくなった暁には、きっと素晴らしいものを生み出し続けることだろう。日本人の潜在能力は、実は計り知れないのである。日本人よ、自信を持とう。

そして、敗戦後GHQによって植え付けられた、大嘘まみれの「自虐史観の呪縛」を解いて、日本は1日も早く独立しなければならない。



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