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【通州事件の闇】

ソ連のスターリンは、蒋介石ひきいる中華民国:国民党の内部に工作員を送り込んでいた。しかし、蒋介石は徹底的な反共産主義者だったので、〈上海クーデター〉で一旦共産党を壊滅させたが、毛沢東ら生き残った共産党員は中国奥地の延安まで逃げ延びた。

その頃、南満州鉄道の爆破をきっかけに、蒋介石:国民党軍と日本の関東軍が衝突して満州事変が勃発。

ところが、共産党を殲滅するために戦っていた蒋介石は、「共産党との内戦を止めて、日本軍と戦うこと」を呼び掛けた毛沢東のメッセージには応じず、共産党殲滅に向けて内戦に専念したため、満州への増派兵を行わなかったのである。

虫の息の中国共産党としてみれば、日本軍と蒋介石軍とが全面衝突してくれれば、蒋介石の〈赤狩り〉が停止して中国共産党が生き残れると画策したのであるが、そうはならなかったのだ。中国共産党は、自分たちの延命のために、どうしても国民党と日本軍を戦わせたかったのである。

さて1937年7月である。北京近郊の盧溝橋で、夜間軍事訓練中の日本軍に対して、何者かが銃弾を撃ち込む事件が起きたことに続いて、日本人居留区:通州では、300人以上の日本人が虐殺されるという「通州つうしゅう事件」が起きたのである。それは凄惨残虐極まる殺され方であった。

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「通州事件」は、書くこともはばかられる程おぞましい事件である。虐殺・暴行・強姦・殺害・略奪など見るに耐えない所業であったという。

目玉をくり抜き、四肢を切断し、耳や鼻を削ぎ落とし、女性を強姦して殺害した後、陰部に棒を差し込んだりなど、日本人には考えられない遣り口である。中国共産党から指示を受けた中国人の仕業であることが窺われる。

かくして、中国共産党は〈盧溝橋事件〉〈通州事件〉によって怒らせた日本軍を大陸に引き込むことに成功する。中国共産党の工作であるにも拘わらず、それらの事件を国民党軍の所業だとした日本軍は、国民党軍と全面対決することになる。

そして蒋介石はとうとう中国共産党と連携して日本軍と戦うことを決断するのである。

やがて日本軍との戦いで蒋介石政権が疲弊し、水面下で中国共産党と繋がっているソ連軍が満州へ侵攻すると関東軍は総崩れになった。

日本が敗戦した後、毛沢東はソ連占領下の満州に移り、「抗日」で手を組んだはずの蒋介石を裏切り、日本軍から接収した武器で、疲弊し切った国民党軍に勝利した毛沢東が「中華人民共和国」の建国を宣言したのである。

結果、蒋介石は台湾に逃げ延びることになる。

総ては、スターリンが各地のコミンテルン・スパイを使って巧みな工作を仕掛け、日本軍と国民党軍を追いやったというのが、どうやら歴史の真相であるようだ。

それにつけても、奴等の陰謀とは言え、〈通州事件〉は、余りにも凄惨無惨に過ぎる仕打ちであったと言わなければならない。

(茂木 誠・宇山卓栄 共著:「日本人が知らない!世界史の原理」より一部を参考引用)


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