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【縄暖簾の居酒屋】

若い頃によく呑みに通った居酒屋は〈モツの煮込〉が名物の店だった。

東京北区滝野川のアパートの前の細い路地を出たところにその店はあった。入口には縄暖簾が垂れ下がっているので、文字通りの、いわゆる「縄暖簾」である。

店は中年の大将と女将さんの2人で切り盛りしていたのだが、ことのほか《ホッピー》が旨かった。

当時は近所に銭湯があって、アルバイトが休みの日には風呂上がりによくそこの暖簾を潜った。

初めて入った時には、ホッピーが何んたるかも知らなかったのだが、呑んでみて一発で好きになってしまった。

《ホッピー》は焼酎をホッピーで割るので、作り手によって味に多少の差が出るのだが、そこのホッピーは絶品で、大きめのタンブラーに氷少々とレモンの輪切りが一枚浮かべてある。

ビール色をしているのが普通のホッピーなのだが、その店には薄い黒ビール色のホッピーもあったりして実に旨かった。たしか、なんとかブラン・・とかいっていたと思うのだが、どうしても名前が思い出せない。

ホッピーも初体験だったが「マグロ納豆」「イカ納豆」にも驚いた。

私の中には、刺身と納豆を同時に食べるという食文化が無かったからである。

東京の人が納豆好きだとは承知してはいたが、まさか、マグロやイカと一緒に納豆を食べるとは!ちょっとしたカルチャーショックだった。

それでも何度か食べているうちに大好物になっていたのだが、注文する時にマグロ納豆とイカ納豆のどっちにしようかと、いつも迷った。

・・・・・・・

そうして、いつからか私も常連客の仲間入りをさせて頂いて楽しい居酒屋ライフを楽しんでいたのだが、ある時、どうしても東京を引き揚げて故郷に帰らなくてはならなくなってしまったのだった。

最後の夜には餞別だと言って豪華な刺身の盛合せをサービスしてくれた。

いつぞや私がプレゼントした壁のパネル写真を見ながら大将が言う。それは道路から赤提灯が灯った店を写した写真だった。

「〇〇くんが居なくなるのは寂しいけど、あの写真を見て君を思い出すよ」

その言葉を聞きながら、私は皆んなにお礼を言って店を出た。

次の朝、後ろ髪を引かれる思いで新幹線に乗り、大好きな東京を後にしたのである。

・・・・・・・

あれから二十数年の歳月が経ったある日、私は出張で東京に来ていた。思いがけず時間が空いたので、滞在していた新宿のホテルから、懐かしい滝野川まで脚を伸ばしてみることにした。

ところが行ってみると、あの縄暖簾の居酒屋や銭湯は跡形もなく消えていて、そこは一戸建てが建ち並ぶ住宅街に変貌していたのだった。近くの明治通りの頭上には未来都市のような首都高速が走っていて、当時の雰囲気とは掛け離れたものになっている。

なんとも寂しい気持ちになってしまった。

《そうだ、よく鳩の写真を撮りに行った飛鳥山公園に行ってみよう》

暫く歩いていると懐かしい飛鳥山の緑が目に入ってきた。しかし、気を取り直して行ってみた公園もどこかが違うような気が・・・

《あっ❗️塔が無い!》

展望台が消えているのだ。

ベンチに座っているおばあちゃんに訊いてみた。

「あぁ、あの展望台ねぇ・・もう5年になるかしらねぇ、古くなっちゃったんで壊しちゃったのよ、だって危ないでしょ」

かつての青春の街の面影は、あの美味しいホッピーと共に、もう跡形もなく、無くなってしまっていた。



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