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平成最後の夏が終わる。音も立てずに。

平成30年8月31日

通常どおり出勤し、退勤後駅中のLUMINEで化粧水を買い、後に会う予定の友人に渡そうと思って、一輪の薔薇を購入した。

電車に乗って、久しぶりに東京に行った。東京ってなんでこんなに人がいて、居酒屋がたくさんあるんだろう。働く人も働いてない人もたくさんいたし、子供をチャリに乗せて走るお母さんもいた。東京が田舎っていう子も、いるんだよなあ。保育園問題とか、深刻だろうなあ。

大学からの付き合いの友人と会い、ヘッドスパ&マッサージを受けた。すごく体の至るところが凝っていて、ストレートネックになりかけてると言われた。事務作業してる間の姿勢を今後は意識しよう…。ボディマッサージは気持ち良すぎて寝そうになったけど、ヘッドスパは痛すぎて寝るどころじゃなかった。

血流が良くなっているので、吸収しやすくなっています。お酒は控えて、ごはんもゆっくり食べてくださいと言われたけど、私たちはその足でワインバルに行って生ハムの食べ比べをした。

10分遅れてゼミの同期がひとり加わった。仕事終わりかと思ってたらすごくラフな格好で現れ、休み?と聞いたらヘルニアになったから家でリモートワークしていたのだと言うではないか。ホワイト企業すぎて乾杯。

近況などを語り合い、アメリカのお土産をもらい、結婚観やセックスレス問題について話し合い、金曜日だからと二時間で店を追い出され、今帰路です。

外に出たら夕立のせいかやけに涼しく感じ、夏も終わりだと言葉にするよりも体感できる。別に平成最後だということも、今日で夏が終わるということも(もしくは終わらないということも)、私の生活や人生に影響をもたらさない。ただ、お店ではもう秋物ばっかりがディスプレイされていて、それに確かに惹かれる自分がいて、それだけのことなのに。

夏が終わった来週も(もしくは夏が終わってない来週も)、私はこどもを保育園に預け、あくびを噛み殺しながら背骨を丸めてパソコンに向かう。

夏の終わりというのは、大人になってもどこか寂しく、何も出来なかったという虚無感に襲われる。いや、大人になって更に、なのかもしれない。変わらない日々を受け入れながら、でもどこかで刺激を求めている。もちろん自分が行動を起こさなければ変化は訪れないと痛いほどに分かっていて、何も出来ない自分に少し落胆しながら、変わらないことにどこか安心している。

こうして人と会う機会は貴重である。特にこどもを生んで、そのこどもが小さいうちは。でも、こんな風に非日常的に少しの息抜きがあればいい、とは考えられなくなっている自分がいる。無い物ねだりが、どんどん欲を増す。分かっているんだけど、ただ歳を重ねて、社会に自分がしがみついているような感覚が激しく虚しく感じる。

夏は終わる。平成も終わる。でも私は何も変わらないし、変われないでいる。完全に諦めなくちゃいけなくなる前に、変わるための何かに手を伸ばせるといいなと思う。今は、思うだけ。でも言霊というものもありますので、自分の心のどこかでこの気持ちが折れないよう、平成最後の夏の終わりに、これを綴ります。

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