090101初日の出1__5_

午後の気流が乱れるとき、星にも手が届こう

タイトルの一文ですぐにピンとくる人とはガッシリ握手したいです。多分、ピンとくる人は「イージーすぎるでしょ」と思うだろうし、分からない人には説明しても「そんな台詞あったっけ?」ってなるんじゃなかろうか…。

映画『耳をすませば』は、長年私の中でのオールタイムフェイバリットで、不動の首位を保ち続けている。歳を重ねるとともに感じ方や気になる部分が変わってくるけど、どうしても地球屋でみんながカントリーロードを唄って演奏するシーンで涙が止まらなくなります。その後の別れを知っているからでしょうね。多幸感溢れすぎている。音楽は偉大。簡単に人を繋ぐ、ことがある。

他にもジブリでは魔女の宅急便で、キキが旅立つ前にお父さんにたかいたかいしてもらって、お父さんが「いつの間にこんなに大きくなってしまったんだろう」というところでも号泣します。言わずもがな、な超序盤。

耳をすませばを100回くらい見て、聖司くんみたいなかっこよくて不器用で誠実な男の子と、あんなドラマチックで純粋で、自分を成長させてくれるような恋愛がしたい、と夢見続けて、結局少しもドラマチックな恋愛には縁がなかった。そもそも所謂‘’かっこいい人‘’は別世界の人だったし、私は自分を成長できるように追い込めないタイプだった…。つまり耳をすませばへの憧れというのは、あれが理想でありつつも、これは自分の人生の中で、ちょっとありえそうに思えるけど実のところ絶対ありえない、って心のどこかで分かっていたのかもしれないなっていう、ちょっとした絶望感。

雫が本の虫で、自分は何も頑張ってない、って思うところも共感度が高い。部活もしたことなく、何かを続けたこともなく、運動もできず、でも本を読むのはちょっと好き、っていう自分と、途中までは重ねやすいのである。そこから聖司くんと出会い、最初は憎みながらも惹かれていき、聖司くんの夢に触発されて自分も頑張る!と決めたところで…もうどうしようもないくらい私の人生とは異なる次元へと行ってしまうんだけど…。

留学中、日本人高校生向けの日本語の授業があって、その授業の中で出たエッセイのテーマが「耳をすませばの10年後」だった。私はその授業受けてなかったんだけど。それが面白そうで、書きたいっていうより他の人のエッセイ読みたいわ…って思った。10年って長いよね。15歳から25歳の10年って、すごいよね。そこの貴方、あのラストを見てふたりのどんな未来を想像してますか?そもそも、あのラストシーンはプロポーズまで飛躍しなければならなかったのか?イタリアから帰国した聖司くんの若き情熱と希望は、プロポーズという形で放出されるのが自然なのか…?まだ見始めたばかりの頃は「いやなんで!そこ結婚になっちゃうの!」って思ってたけど、歳重ねてからの方が「まあ若いからね…」ってなんとなく自分を納得させるようになってきたかも…でも若いときの感性の方が雫や聖司くんに近いんだから、やっぱりプロポーズはやりすぎ…という気もする。

と思ってちょっと調べたら、本作は宮崎駿曰く「若者への挑戦」とのことだった。詳しくは以下サイト参照。

さっき私が述べた絶望感は、そのまんま宮崎駿の挑戦に対しての敗北を意味していました。

ちなみに天沢聖司でググると「ストーカー男!」とか出てくるけど、それこそいやいやいや、と言いたい。中学生くらいの恋愛なんてあんなもんでしょ!?好きな人のことさりげなく調べたり、ちょっと跡つけてみたりするでしょ!?あれ私今ドン引かれてる?図書館で同じ本借りて読むくらい可愛いもんすぎない?私は純粋にキュンとできるし、身に覚えあるからこの点についてはどんなに歳重ねても「分かるよ~聖司~~~~」ってなれる。どうせイマドキの中高生だってインスタのストーリーガン見してネトストしてるんでしょ!

なんていう耳すまにとって何の得もない文章を下書きとして熟成していたら今週の金ローは耳をすませばだそうで。新年早々キュンとするのか死にたくなるのか?宮崎駿の挑戦に、若者じゃない人も立ち向かってみてはいかがでしょうか…。

尚、カバー写真はちょうど10年前、聖蹟桜ヶ丘に初日の出を拝みに行った時に撮影したものです。

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