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なぜあんなにも好きだった虫が死ぬほどダメになったのか考える

諸君、私は虫が死ぬほど嫌いだ。(知らない)

どの程度嫌いかは人によると思うのだが、私の場合、蚊以上に大きくなるともうだめだ。実体がはっきり視認できるほどしんどい。あと芋虫系はどれだけ小さくても背筋に悪寒が止まらない。ゴキブリやクモなんてもう画像ですら見たくない。

いわゆる昆虫の王道であるカブトムシですら、もう触るのは無理だ。ゲームセンターでアルバイトしてたとき、景品のカブトムシの餌であるゼリーを変えることが苦痛でしょうがなかった。

そんな私も、小学生の頃は虫が大好きな活発な少年だったことがある。野山にカブトムシを取りに行き、茂みではバッタを追いまわっていた。少年野球でライトを守っていた時、目の前に突然現れたトノサマバッタを捕まえたくて仕方がなかった。監督に絶対怒られるから死ぬほど頑張って我慢したのをまだ覚えている。

さらに、ゴキブリも全く平気だった。さすがに大きすぎるアシダカグモや、毒のある虫は怖かった記憶があるが、それ以外は全く平気だった。カマキリは死ぬほどかっこよかったし、クワガタやカブトムシなんて神の化身だった。

そんな少年時代を過ごした私が、なぜ今こんなにも虫がダメになったのか、いろいろ自分なりに紐解いてみよう。克服できたら最高なんだが。

考察その①:好奇心の死

少年時代に比べて何が一番変わったのか、それは知識の量と好奇心の豊富さだと考える。

虫に限らず、外のものはなんらかの菌がついてるものだし、そんなにあれやこれや触るものではないと思うようになった。昔は知識が少ない分、未知なるものへの探求心や好奇心があふれていたように思う。

ところが今となっては、未知のものへの恐怖心が上回るようになった。なにが起こるかわからないということは、好奇心よりも恐怖を生み出すことになった。予測ができない動きをする虫という生き物は、怖くて怖くて仕方ないのだ。

大人になって怖くないものは、知識を持っていて、対処が分かる物事だと思う。私は虫が嫌いになったことで、虫に関する知識の吸収を一切拒否したから、要するに知らないから怖いのかもしれない。

考察②:周囲の人間からの影響

中学生になるころには、周りの友達も昆虫を追いかけることなどなくなり、遊びも人間関係も変化していった。

それに伴ってか覚えていないが、虫が嫌いだという人との付き合いが増えたように思う。虫がいかに嫌いであるか、その気持ち悪さのプレゼンを憎さ満点でされた覚えがある。

そういったネガティブキャンペーンの影響も少なからず受けている気がする。私は、人から影響を受けやすいタイプだと自認しているから余計に、だ。

今までかっこいいと思っていた部分を、気持ち悪さの象徴として捉え始めたように思う。足が多いし、どこ見てるかわかんないし、急に飛び上がるし、とにかく全部気持ち悪く感じるようになった。あんなにかっこいいと思ってたのになぁ。

考察③:オカルト的原因(呪い)説

今回の中で一番アホみたいな説。

私は少年時代、昆虫が好きでたくさん捕まえた。それすなわち、多くの虫たちの命を奪ってきたことにほかならない。害虫を除いても、相当な数の虫を殺したことは間違いないと思うのだ。

それらの虫の怨念のようなものが、無意識化で私の恐怖心を刺激し、もう虫を殺せないように縛り付けているのだ。なんと恐ろしい。

もちろんこれを大真面目に言っているわけではないことは明言しておく。スピリチュアルなものは基本的にあまり信じない方なので。

結論

色々考えてみたけどやっぱ虫怖え。気持ちわりぃし。

家に害虫が出たときに駆除してくれる用心棒が欲しい。というか害虫が出ないように必死に対策しながらこれからも生きていくことになるのだろうな。

というわけで克服するのは当分先になりそう。むしろ死ぬまでゴキブリの恐怖におびえることになるような気すらする。世知辛いね。

おわり

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