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不確実な未来の中でどう考えるか?不安への対処法。
の中で時代が、「効率化追求」から「豊かさ追求」
にパラダイムシフトしているのではないか?とまとめました。
効率化という、ある程度方向が一方向の時代から、1人1人が自分の豊かさを定義しないといけない。
つまり、ある程度方向が画一化されていた
「確実な(気がする)時代」から「不確実性の時代」への変化だと思っています。
コロナはその不確実を加速させて人類に突きつけている気がします。
この後世界がどう変わるのか?誰にも分からない「不確実な時代」が強制的に進行しているように感じます。
効率化の向こうにある経済発展は幻想なのではないか?人類は大きなパラダイムシフトをしなくてはいけないのではないか?
僕達、起業家は本来「不確実」が得意な生き物です。
多くの社内外の大切なみなさんが、この不確実の時代の不安に飲み込まれ、本来の自分ではない対応をしてしまわないように主に身近なみなさんをイメージして、自分なりの不確実への考え方をまとめてみました。
結論から言うと
「今ここ」って。。。考えてみた。
でまとめた
何かを失うという幻想への不安
人生を好転させるために大切にする事。「普通」の弊害
でまとめた
「普通」から距離をとり、本当に大切なことはなんなのか?を考え続けること
の2つを考えることが、まずは大切だと思います。
コロナという緊急事態によって、ゆっくりと自分が変化する余白が失われてしまったかもしれません。
不安に飲み込まれそうな人は、以下の2点について、ゆっくりと考える時間をとってみてください。
(不安を感じていない人は、身近な人に寄り添ってあげてください。)
まずは
「何かを失うという幻想への不安」
という点です。
コロナについては最悪の場合「死」という可能性のある話ですが、それは別の機会に。(死についても書きたいことは山ほどあります。もしどうしても必要としている人がいたら、個別にご連絡ください。)
病気による死を排除したとき、最悪の状況とはなんなのか?
これが1つ目の考えるべきことだと思います。
僕も起業したばかりの頃、なんとなく不安になることがありました。
そして、よーく考えてみたのですが、どう考えても飢え死しないということに気付き、腹落ちしたことで不安へ対応をしてきました。
日本人に生まれた時点で最悪の場合でも飢え死にはあり得ません。
これは、確実な事実だと思います。
では、何に不安を感じているのか?
リアルに最悪の場合をイメージしてみてください。
大抵の場合プライドとか生活レベルが下がる程度の話でしかありません。
自己破産してる人は毎日200人いるそうです。記憶に新しいところではギリシャも破産してましたよね。だからといって困ることはたいしたことではないのです。
最悪の場合を明確にイメージすることで、ずいぶん不安に向き合う態度は変わると思います。
2つ目
「普通」から距離をとり、本当に大切なことはなんなのか?を考え続けること
これは、自分が囚われている呪縛(普通)をゆっくりと本当に大切なことに書き換えていくプロセスです。
しかし、今の緊急事態においては、
「埋め込まれた価値観を自覚すること」という応急処置が必要です。
私達は知らないうちに、「確実な気がする時代」を生きるための「普通」を埋め込まれています。
「普通に学校に行き」「普通に会社に勤める」事が出来ないと、不安になります。
家賃が払えなかったり、年金が払えない、月末の支払いが出来ないと、自分が人間として失格ではないかと考えてしまったりします。
「なんでそれが不安なの?」と聞いても、「だって、普通そうでしょ。」と根拠が言えない事が特徴です。
埋め込まれた価値観だからです。
最近、何人か不安に飲み込まれている人と話したのですが、この価値観が強烈でした。
「絶対無理、変われない。」と言って聞きません。
しかし、根拠を語れない不安は、埋め込まれた「常識が達成できない」という不安に過ぎません。
自分が不安に感じていることは、そうなってしまったら本当に大変なことなのか?それはどうしてなのか?根拠はあるのか?
それを自問してみてください。
自分に埋め込まれた常識はなんなのか?
これを客観的に知ることができているだけで、ずいぶん心の有り様は変わると思います。
(本来時間のかかるプロセスですので、すぐには潜在意識レベルでは変われませんが、客観視出来ていれば対応できます)
不確実な時代とは
「常識」が通用しない。
「常識がないことが常識」
という時代への、変化なんだと思います。
コロナで起きている、世界の出来事は今までの私達の「常識」では想像できないことばかりです。
しかし、「常識がないことが常識」という価値観がもともと根付いている私にとっては、「不安」ではありません。
不安に苛まれる人が心配ではありますが。。。
人間は感情の生き物です。
「不安」を感じると心も体も固まり、冷静な判断ができなくなります。
何か新しいことを始めるとき、不安でいっぱいで行うのと、落ち着いた気持ちで事に向き合う場合どちらが、満足の行く選択ができるかは自明だと思います。
何かに立ち向かうとき、自分が何かを考えるとき、何かの判断をするとき、
自分の心がどんな状態か?
この事よりも重要な事はないと思います。
その為に必要な考えた方が良いと思う2つの事を書きました。
自分が何を考えているのか?それを知るための時間をぜひとってみてください。
できればゆったりと自然に触れながら。
そして、困難というのはひとつの側面でしかありません。困難があったから得られる素晴らしい未来も必ずあります。
大変なことはおきます。
落ち着いた気持ちで、助けが必要な時は素直に助けを求めて、一緒に前に進んでいきましょう。
サポートは恩送りします!