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人生を好転させるために大切にする事。「普通」の弊害

中学生の頃まで、「普通に」に真面目であることに疑問を感じていませんでした。

高校に入学し、とある友人との出会いで僕の人生は大きく変わったと思います。

県内でも優秀とされる高校で出会った彼に、16歳にしてパジャマでディスコに連れていかれ、べろべろにお酒を飲み、街中で知らない若者との乱闘に巻き込まれました。

「まじめな自分」に違和感を感じていたのでしょうか?

将来弁護士や医者を目指している友人よりも彼に興味を持ち、時間を共に過ごすようになりました。

「まじめ」で居続けない事で、親や先生、大人には心配をかけました。

今まで通り、真面目でいた方がどれだけ無難な生き方だったか。

ところが、その価値観を変える出会いによって、自分の視点に幅を持てたことは、なんとラッキーな事だったのか?

今になり、しみじみ感じています。


人は皆、自分が正しいと思っている世界観を持っています。

ある人の世界観は

偏差値の高い大学に行き
お金に余裕のある生活をし、
優しい彼氏がいて、
たくさんの友達と楽しい遊びができたら幸せ

というものだったりします。

しかし、ある人は

偏差値よりも大切なことがある
お金があるだけでは心が貧しくなる
彼氏という言葉が嫌い。人生を高めあうパートナーが大切
友達って何?一概に友達を定義できるの?

という世界観を持っていたりします。

実はその世界観は「潜在意識」という、心の奥底に形成されています。

人はその奥底に形成された潜在意識の世界観という眼鏡で外で起きる出来事を見ています。

ですから、同じ事象でも全く反対の「印象」を持つことが起きるのです。

金髪で全身派手な服装をしている人をあなたはどう感じます?マイナスに感じるとすれば、その人の世界観とはずれているのです。

特定の世界観にいる人は、その事に気付いていません。
違う視点を持つ人に対して、「興味がない」「自分には関係ない」と切り捨てて考えます。

ところで、
人生の結果というのは、その人の「行動」の積み重ねで決まります。

では、この行動はどのように決まるのでしょうか?
実は、これが先ほどまで書いてきた、「世界観」に大変な影響を受けるのです。

出来事に対して、世界観に照らし合わせて「印象」が自動的に決まります。そして、そこから「感情」が生まれます。
まだ言語化されていない「感情」を持ちながら、次に言語化である「思考」がはじまり、結果として「行動」を決めるのです。

「印象」→「感情」→「思考」→「行動」この積み重ねが人生ですから、印象を決める「世界観」で人生が決まるといっても過言ではないでしょう。

この「印象」の罠について、僕の経験をお話したいと思います。
東北で育った僕は、大阪の人に対して「自分勝手で図々しい人達」という「印象」を持っていました。(東北人同士で強化している世界観です(笑))

ですから、感情としては、「身構えて、騙されないように。」というような感覚を持っていたように思います。

結果として、大阪の人には心を開かず仲良くなろうとしない、という行動をとっていたのです。

ちなみに、今では「仲間をとても大切にして、だからこそ建前ではなく本音でコミュニケーションをとる、愛情深い人達」という「印象」を持っています。

この印象を元にした「行動」はもちろん全く別のものになります。その事で人生の結果ももちろん変わります。

ところが、いまだに東北の人と話していると、大阪の人に対して「自分勝手」という印象を持って、強化している会話を聞くことが多いのです。

いつもと変わらない人と話す、閉じた世界では共通の「世界観」を元に共感ベースで会話されるので、それは滅多なことでは変わりません。

僕はそもそも、「大阪人」というくくり方で印象を持つことが、おかしな事だと思うようになりました。

これも世界観の話ですが、人はくくりたがります。
子供の頃なら「勉強のできる人」「スポーツのできる人」「よい人」「悪い人」大人になると「エリート」「高卒」「経営者」「宗教の人」は、「こういう人」というくくり方です。

世界観が人生を決めるのですから、この「くくり方」という世界観を持っている自分にこそ課題があるのかもしれません。


一流のアスリートと、一流の学者と、一流の経営者は同じような事を言うと言います。

確かに、各界で活躍している(人生のよい結果を出している)人には、根本で共通している考え方があるように感じます。

経営者として、仲間の経営者や、従業員、取引先や様々な領域の仲間を数十年見てきて、

「この世界観を持っていると上手くいかない」という人の共通点はある程度分かってきていると思っています。
(上手くいく人と付き合わないと、会社は永続できません)

これは、社長だから上手くいっている人、とか、お金持ちだから上手くいっている人という判断の話ではありません。

人には特性や能力の違いがあるので、能力的にお金を稼ぐのが上手な人や、歌を歌うのが上手な人もいます。「今」世の中的な「成功」をしているからといって「良い人生」を送っているとは思いません。

どんな仕事をしていても、心にゆとりがあり、良い仲間に恵まれ、自分の能力以上に成果をだし、長期に渡って状況が好転していく人と、一時的に成功していたとしても、没落していく人がいます。鬱になったり、家にとじ込もって自殺をするような人も多いのが今の日本です。

残念ながら、人生が好転していく人の割合は少ないのが現状です。

つまり、好転していく世界観を持っている人は「少数派」という事なんです。
受け入れ難いと思いますが、逆に言うと「多数派」が普通に「良い」としていることには落とし穴がたくさんあります。

冒頭で、高校に入った時、それまでの自分の価値観に変化が起きたことがとてもラッキーだったと書きました。

つまり、「みんなが普通」と言っている事、世の中で「良い」と一般的に言われている価値観は、人生を好転させられない「世界観」であることがほとんどだと今は確信しているからです。

世の中で普通とされる価値観に合わせることで、視聴率をとれるので、上手くいかない価値観を知るには、テレビや雑誌、多くの人が流入するSNSなどを見れば分かります。

この文章を書くために久しぶりに、テレビを見ました。

コロナに対する不安、どれだけ大変なことが起きているのかを煽る表現。

自分だけがこの危機から逃げるにはどうしたら良いか?という情報。

この問題に対する、犯人探し。国や行政などへの対策に対する批判

自分には関係のない、芸能人のスキャンダル

こういうことに興味を感じる世界観が上手くいかない世界観です。多くの普通の人が世界観をもとに、テレビを見るという行動を選択しているのです。

中学生の頃、まじめで勉強を頑張れば良いのだ。という、多くの人が示している世界観で生きてきました。

テレビでも真面目に一生懸命勉強して、東大に入学することは素晴らしいことだと表現されるでしょう。

しかし、「普通であること」から一歩踏み出すことで、この世界観の呪縛から逃れることが出来た事は僕の人生を大きく変化させました。

テレビやSNSに流れる、「多数派」の普通に流されることは、とても楽なことですし、安心です。だから、多くの人が多数派に属しているのです。

自分の人生を幸福で好転させるものに変えていくには、

「普通」から距離をとり、本当に大切なことはなんなのか?を考え続けること

常識的なくくり方で人や事象を見ない。「興味がない」「自分には関係ない」と、目を閉ざさない事

少数派の本当に幸せな人生を送っている人は何を考えているのか?自分の世界観に囚われず、素直に聞くこと

だと思います。

1人1人が「普通の世界観」から離れ自分なりの世界観を持ち、お互いに信頼し、尊敬しあえる世界。

そういう感覚を持った人達が増えています。

「普通」に従って生きることはますます難しい時代になってきています。


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