見出し画像

宗教をやめたわたしの話

わたしの今までの話をします。最後はまとめたので、誰かの学びや気付きになればいいな。


わたしは約20年間、ある宗教を信仰していました。そして、辞め、自分の人生が始まりました。

どうでもいい…と思うかもしれませんが、公にされにくい分野だからこそ、知られるべきこともあるんじゃないかと思って公開しようと決意しました。あとは、わたしのこともこれで少し知っていただけたらなと思って綴っています。

画像1

まず、大前提として分かっていて頂きたいことは、
この話は決して宗教を真っ向から否定、もしくは宗教を悪としているわけではありません。ある人にとっては心の拠り所になり、またある人にとっては孤独からの救いの手にもなりうると思うからです。

ただ、わたしの場合、生まれてから約20年の間宗教に触れ、宗教に包まれた家庭環境が悪循環を生み出し、自分の考えや生きたい道、理想を追い求めることを無意識的に忘れていったということです。

今まで生きていく中で私が善としていたことは「親に従う」ということでした。
宗教を一つの疑いもなく信じている親の言葉がすべて。親が自分を認めてくれる瞬間は、宗教への努力を示した時だけ。宗教に刃向うことは悪でした。自分の意思で物事を選択することをせず、周りに合わせて生きてきました。(どんな悲しい人生なんだよって感じですけどね)

画像2

結局、わたしのターニングポイントは人間関係がきっかけでした。
当時一緒にいたパートナーに、「やめてくれないと別れる」とまで言われ、本当に、泣く泣く、手放しました。これまで宗教という理由がきっかけとなり、いろんなチャンスや出会い、時間から逃げてきたなと思います。今となっては、彼には感謝しかありません。あのままでは、今でも自分の人生を生きられずにいるのではないかと思うほどです。

その後色んな事に気付きました。自分の意思が弱すぎることや、意見を通せないこと、感情があふれてしまうこと、そして、宗教をやめても人生は続いていくということを。

(かなしい気づきもあったけど気付いたってことは変われるってことだからね、とポジティブ変換〜)


宗教をやってるにしても、ないにしても、はたまた分からないにしても、大事なのは自分の意思で生きていくことかなって今は思ってます。自分の意思で宗教をやってるなら自信もっていいだろうし、自分の選択で今の仕事をしているならそんな誇らしいことはないです。受容的にならず、どんなことに対しても”自分が”動いていく。自分が動けば、見える世界も変わるしね。

私はこれからも、色んなことを発信していきます。一人の生きざまを、残していこう。🤤



この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?