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金・金・金 ~昭和元年『陸軍機密費問題』 元祖裏金・政治資金 その①

 先日この記事(→関東大震災(1923(大正12)年9月1日)集団心理を煽り、漁夫の利を得ようとする者の正体)でご紹介した松本清張著『昭和史発掘』(昭和40年発行)は、第1巻の第一話が『陸軍機密費問題』です。 (え、それ、何???という人が殆どですね。。。💦💦😅)

 『昭和史発掘』は、第6巻から13巻までが全て『2.26事件』に関することです。要するに、戦前日本(=大戦争に巻き込まれて行く)の最重要事件が、昭和37年『2.26事件』であり、その原点がこの『陸軍機密費問題』なのかな、と私は解釈してます。 

 ところで、毎度のベトナム近代史ですが、、😅😅、
 これは『抗フランス(西洋)抵抗闘争史』であり『反西洋植民地主義戦争史』です。要するに現代風に言えば、日本人がまだ眠れる明治・大正時代の頃、先駆けて大反社勢力・西洋植民地主義に抵抗した戦前のベトナム志士こそ、常に死に直面してグローバリスト複合組織に対抗した『元祖・反グローバリスト』だと、私は真面目にそう考えてます。因みに現越共産党とは赤の他人です…(笑)😑😑

 その彼等が、最終的に1941、西洋植民地主義(グローバリスト)へ宣戦布告した『大東亜戦争』で、「アジア民族の当然の責務として、日本に従い、共に戦う」と宣言した理由を知りたくて、数年前から昭和日本の古書を調べてますが、、、最近、
 ”あれ、、、?たった今、令和日本で起こっている一連の事件は、もしかして≪戦前の焼き廻し≫??”
 と、不思議な気持ちでいます。

 最近日本中を賑わしている派閥政治家の裏金作り 
              ☝これが、なんと、、
     『陸軍機密費問題』にソックリ。。。😅😅

 なので、この大正15年~昭和元年の”裏金政治資金事件”を、松本清張著『昭和史発掘』から纏めてみます。
 金の亡者が群がるどろどろのストーリー展開に、度肝を抜く奇抜な結末は、令和政治スキャンダルが霞む程。これじゃあ、松岡洋右(まつおか ようすけ)氏『政党解消運動をやる筈だなぁ…、と何故か妙に納得が行くと思います。。。😅😅 ⇩⇩

 
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 「政党の総裁になるには金がなくてはならない。…政友会では高橋(是清)の総裁を早く辞めさせなければならないことに意見は一致していたが、…その頃、田中(義一)を後任総裁にすえようという意見が起こった…。
 田中は政友会の総裁を引き受けたが、この時の肝いりは、智謀を謳われた同党の横田千之助、小泉策太郎や実業家の久原房之介だった。…
 さて、陸軍大将男爵田中義一は、大正14年4月に予備役となり、政友会総裁に就任した。…もともと政治には色気十分だった田中は、政友会の据え膳に座ったようなものだったが、いやしくも一党の総裁になるのに、手土産なしでは都合が悪いと思ったのであろう。どこからか300万円ほど調達して持って来た。大正14年の300万円だから、相当なものだ。」

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 田中義一氏は第26代内閣総理大臣。元治元年(1864)年長州萩生まれ。明治16年陸軍士官学校入学、出世街道を驀進し、原内閣で陸軍大臣に就任してシベリヤ出兵を敢行、大正10年に陸軍大将。陸軍に残れば将来は元帥でしたが、これを蹴って陸軍を退役、いきなり”政友会総裁”に就任して華麗なる政界入りを果たしました。 
 高橋是清(たかはし これきよ)氏は、後に『2.26事件』で暗殺。
 久原房之介氏は同じ長州出身。のちに満州国に満州重工業を起こした鮎川義介の義弟。山県有朋元帥背後の同じく長州政商藤田伝次郎氏鮎川家、久原家とも縁戚関係だそうです。一般人には全く無関係な明治維新利権者による華麗なる雲上の世界。。。(笑)
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 「小泉(策太郎)は、軍人である田中がどうしてそんな大金の工面がつくのかと不思議がった。…よそから調達したに違いないが、その出先が分からなかった。… だが、ほどなくその調達先が判って、新聞にも漏れた。300万円を田中にだしたのは、神戸の金貸しとして名だたる乾(いぬい)新兵衛であった。…」
 
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担保物件無しでは絶対に金を貸さないので有名な神戸の高利貸し乾新兵衛。彼が親しい人に話した、「公債をちゃんと入れてもらっとるさかいに大事おまへん」の、この『公債』を、元陸軍大将田中義一がなぜ斯くも多額に自由に使えたのか?!と、誰もが不思議に思った。
 当然、早速調査に動いたのが当時の陸軍主流派に反対する「恢弘(かいこう)会」という陸軍退官将官主体の団体でした。
 彼等は、毎年大蔵省(今の財務省)から来る予算の中で決算報告義務のない『機密費』を先ず疑い、調査して、この機密費が『公債』で保存されていることを初めて知りました。

 。。。と、ここで当時の『陸軍機密費』の詳細を下記抜粋します。⇩

 陸軍省の機密費は、毎年陸軍予算の一部として国家予算のうちから認められ、支給される。しかし、現金は、東京陸軍経理部が日銀より金を受け取ると、ほかの一般軍事予算と異なって、会計検査院の検査の外に置かれる。すなわち、現金が出るまでは国家予算の一部、陸軍予算の一部として大蔵当局の査定を受けるが、一旦、陸軍経理部に入ると、あとは形式的に陸軍大臣の監督以外はなんの掣肘もうけないことになっている。
 形式的というのは、陸軍部内では機密費を使った場合には、使用者、使用目的、経過、残金の報告を必ず陸軍大臣宛てに提出することになっており、(中略)しかし、殆どの場合、これらは予算班長のところでとまり、大臣まで見せることはないからである。
 また陸軍省内では経理局長から金を受け取るが、実際現金をあつかうのは次官である。陸軍予算(機密費を含めて)は、4月の予算初年度の初めに全額が日銀から来るのではなく、3か月ごとに区切って現金となるしきたりであった。
 以上が正当な予算資金の受領、使い方であるが、陸軍大臣宛の形式的報告だけが使用者の義務だったので、機密費の繰り越し積み立ては自由に出来た。

松本清張著『昭和史発掘 Ⅰ』

  要するに、他の経費と違って特殊故に、取り扱うのが予算班長や次官などの関係者数人に限られたことから徐々にルーズになり、結果、局外者は『機密費』の存在を知れども、実際の『運用からくり』は誰も知らなかった。田中義一が高利貸し乾新兵衛から借りた300万円の担保が『公債』だったことで、「恢弘(かいこう)会」は、初めて、この機密費の積み立てが一部『公債』で保存されていると知りました。。。

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 …「恢弘(かいこう)会」のメンバーの一人が、
 「そういえば、おかしなことがある」
 と言い出した。
 「今から2年程前だったか、三瓶俊治という陸軍大臣官房付きの主計が、何やら石炭購入の事で収賄したとかで陸軍省を馘首になり、憲兵隊に調べられたことがある。…三瓶は収賄だけでなく、陸軍省の公債を持ち出したとか持ち出さなかったとかいうことだった。…三瓶が持ち出したという公債も問題の機密費じゃないだろうか。」
 …早速調査が始められた。…彼に一番親しい人間で川上親孝という、…上官と喧嘩して(陸軍を)やめた人物が、いることがわかった。川上は、…
 「…自分は、三瓶の上官の遠藤主計正も、田中大将の高級副官だった松木閣下も、よく知っている。」

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 田中陸相(当時)と、大臣官房室の遠藤主計正と、三瓶二等主計の関係と裏金作りのからくりとは、
 「機密費は、正規の銀行に預けられているのではなく、紅葉屋という私設金融機関に数年にわたり個人名義で預金し、あるいは無記名の公債を購入して大臣官房主計室の金庫内に収められていた。
 …これらの機密費の預金や公債は個人名義になっており、その出入りも正規な帳簿にはつけられず、田中陸相や山梨次官の命令で松木高級副官が内密のノートに記入していたにすぎなかった。だから当人たちが勝手に持ち出して勝手に使っても、彼らが口外せぬ以上、誰にもわからないわけである。」

 これ⇧は本来、帳簿に記入後、銀行口座に入金あるべき国家の金。それが、怪しい『私設金融機関』個人名義の預金や公債という形で『裏金』化してたのです。驚きの大正・昭和の密室政治。
 この裏金の性質を利用して、密かに勝手に使い込んでたのが遠藤主計正と三瓶、そして川上という面々。で、結局バレてしまいます。⇩
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 「つまり、陸軍省が機密費を公債に替えたそのこと自体がそもそも法規違反で、山梨次官などが田中大臣と相談してやっている操作も経理担当官として三瓶はうすうす知っていたからだ。
 …ところが、…それとは別な石炭購入の収賄から憲兵隊に検挙されたことから発覚した。…根が小心な三瓶は、さては公債の一見もバレたかと、たちまちそのほうを自供してしまった。びっくりしたのは憲兵隊の方で、その公債が陸軍の機密費の一部であると白状されると、取調官はあわてて麹町憲兵隊分隊長稲本少佐に報告した。隊長も顔色を変え、…即刻、陸相高級副官の松木少将の所に相談に駆けつけた。…松木副官も狼狽して、…事実を知っているだけに隊長の前を取り繕い、田中陸軍大臣のもとに報告した。」

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 稲本分隊長が入監中の三瓶に度々面会した結果、『三瓶が機密費など口走ったのは勘違いで、罪は収賄だけ、その後収賄も不起訴。でも、陸軍省からは免職処分』となりました。。ああー、これぞ隠蔽。。。(笑)

 稲本少佐も、松木高級副官も、山梨次官も、遠藤主計正も、、エリート大学出身の超エリートだ、、受験エリートは胆力に欠けるのか、不祥事処理がやっぱり超苦手です。。私の現役会社員時代、不祥事報告にどうするかな?と思ってると、高学歴エリート上司は皆一様に隠蔽工作するので奇妙に感じてました。。。(だって隠蔽しても問題は無くならない。後に膿んで更なる大問題が噴出するのが関の山。😥😥)

 と、ここで先の「恢弘(かいこう)会」です。
 
会の首領格は町田経宇大将で薩摩の生まれ。その下に石光真臣陸軍中将、立花小一郎陸軍大将です。
 三瓶に直接接触したのが小山秋作予備役陸軍大佐でした。⇩
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 「小山予備大佐は三瓶の話を聞いて小躍りして喜んだ。これこそ陸軍の堕落の根元、長州閥の腐敗を如実に見せたことであり、同時に田中大将の300万円問題の核心をつくものと考えた。
 小山は三瓶の宅を訪問したり、…(田中大将と山梨大将への)告訴状の執筆をすすめた。…小山の背後に町田経宇が控えていたことは言うまでもない。
 軍部の大物で、…田中はいま政友会総裁としておさまっている。
 …三瓶はなかなか小山の説得には応じなかったが、…

 …こうして出来たのが、
 「告発人三瓶俊治、被告発人田中義一。被告発人山梨半造。告発の事項。―」…。に始まる告訴状であった。」

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 こんな内容の告訴状が、本当に実際検事総長宛に提出されたのです。⇩
 

 告発人が陸軍大臣官房付となった大正9年8月当時の官房主計室金庫には、総額800万円を下らない金額の定期預金証書があった。その名義は田中義一、菅野尚一(当時軍務局長)、松木直亮(当時高級副官)、山梨半造(当時陸軍次官)の4人で、預金銀行名は田中興業銀行、日本興業銀行、三菱、安田、三井各銀行で、定期預金は一口20万円から80万円で、預金の証書の数は17,8枚ぐらいあった。
 これらの定期預金は大正9年末から逐次無記名国庫公債にかえるため、日本銀行、株式会社紅葉屋(金融機関)、神田銀行などから内密に個人遠藤豊三郎名義で購入し、遠藤主計と告発人がその任に当たった。
 紅葉屋、神田銀行などから公債を購入する際は、公債の集まり次第随時官房主計室に先方より持参せしめ、そのつど代金を支払うのを常としたが、多額に上る場合は、遠藤主計は背広服に着替え、陸軍省から自動車に乗り、その店舗に行って取引をしていた。
 大正10年秋、すなわち告発人が公債を購入した当時の調査によれば、無記名公債で、その額400万円を下らなかった。告発人退職の際までにはこれらが大部分無記名公債となっていたものと信じられる。
 山梨陸軍大臣の折り、次官として赴任した尾野実信大将(当時中将)には一件を秘密として打ち明けず、本件の預金公債は隠されていた。菅野陸軍省軍務局長転補以前にはとくに公債購入に汲汲としていた事実がある。菅野軍務局長の後任として赴任した畑英太郎中将(当時少将)の名義の定期預金は無かった。この定期預金利子の一部を、高級副官である松木直亮の個人名義で田中興行銀行に特別当座として預金をし、勝手に私用していた。(中略)
 以上は事実であって、不審の箇所はいつでも説明申し上げたく、近時、被告発人などの身辺に醜聞相次いで起こり、天下の人心ようやく軍人を去らんとするときかくの如きは邦家のために深憂に耐えず、告発人は一身を賭して帝国陸軍のためここに告発に及んだ次第である。

松本清張著『昭和史発掘 1』

 その②に続きます。。。😅


 

 
 
 

 

 
 

 

 


 

 

 
  
 

 

 
 
 
 


 

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