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金・金・金 ~昭和元年『陸軍機密費問題』 元祖裏金・政治資金 その②

金・金・金 昭和元年『陸軍機密費問題』 元祖裏金・政治資金 その①

 その①で、「恢弘(かいこう)会」に説得された三瓶俊治が、検察に提出した控訴状の要約を載せました。
 その告訴状は、『田中義一の持参金300万円』には触れてない。その理由は、告訴状と同時に、
 『問題の軍事機密費は、大正7年から11年まで日本がシベリヤに出兵した当時の軍事費からくすねたもので、ロシア軍が持っていた金塊を第14師団が分捕った分が行方不明』
 
という内容の覚書を発表したからだそうです。。。💦💦

 アメリカからの共同出兵要請に日本が同意し、1918年にシベリヤ出兵をした時の参謀次長が田中義一氏です。
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 「しかし、莫大な軍費と戦傷死を千七百名を出したこの出兵は、国内に避難の声が高まると同時にロシアの革命政府もシベリアの秩序を次第に整頓してきたので、大正11(1922)年9月、ついにシベリヤ本土の守備を撤兵し、全部樺太に引き揚げた。この時の軍費は約9億円といわれている。なお、この出兵には『尼港(=ニコライエフスク)事件』という不幸な附録までついた。
 …この事件は、日本国民に多大な衝撃を与えた。日露戦争で勝った経験が新しいところに、日本軍がロシア軍に惨敗し、居留民まで残虐な殺し方を
されたのだから、非常な敵愾心を煽った。…シベリヤ出兵は日本国民の間に不評判だった。」

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この⇧4年間の時に陸軍大臣に就任してたのが田中義一氏と山梨半造氏で、三瓶俊治の告訴状と共に出された覚書には、「あの機密費はシベリヤ出兵の時にくすねたのだ!」という詳細が書かれてました。
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 「機密費の金額は、公表されたところによると、大正7年770万円、8年1062万円になっているが、9年になると280万円、10年260万円、11年35万円というふうに、9年以降激減している。つまり、大正7、8年の膨張はシベリヤ駐兵に要したものである。この機密費のうち、セミヨノフ援助費33万円、カルムイコフ援助費11万円が大きな額となっている。
 ところが、特務機関の援助は大正8年3月にはじまり、翌9年の1月に終わっている。それなのに、大正7年の770万円と10年の260万円、あわせて約1千万円が何に費消されたか不明となっている。つまり、シベリヤの軍事行動は大正7年からはじまっているが、機密費の主要目的である特務機関援助の実行は、8年と9年で終結しているのである。そこで、三瓶元主計が陸軍大臣官房の金庫の中で見たという8百万円が使途不明金の1千万円の正体ではないかという疑義が起こってくるのだ。」

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更にですね、『三瓶覚書』には、「金塊が約1千万ルーブル行方不明となっている。これも当時陸軍の出先機関が反革命軍から預かっていたもの」とあり、こんな説明になっていたそうです。⇩
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 「シベリヤ出兵当時、第14師団付陸軍露語通訳官松井の言によれば、同師団が分捕りした砂金は大部分露軍兵営内にあったもので、自分はその輸送に当たったが、第一回は8百万ルーブル、第二回は2百万ルーブルであった。金塊はこの砂金を熔かしたものだが、大部分は砂金のまま麻袋に入れ、袋の口を鉛で封じて長さ二尺、幅一尺、高さ八寸の木箱に5万ルーブルずつ詰めて送った。
 この金塊の一部は梱包して第14師団が帰還の際に持ち帰ったが、宇都宮駅前、菊池運送店倉庫に保管し、兵隊に監視させていた。しかし、金塊があると評判が高くなったので、倉庫に砲火、混雑中に他に運び出そうとして図計ったが、成功せず、宇都宮怪火の一つになっている。その金塊は東京方面に輸送されたといわれているが、不明のままだ。」

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。。。この内容が事実かどうかは判りませんが、、、
 三瓶氏が、この辺の詳細を知る筈も無く、実際に書いたのは「恢弘(かいこう)会」であり、実際に告訴状が提出された、。これだけは紛れも無い昭和日本の事実ですね。

 そしてもう一つの事実に、福岡出身の代議士中野正剛(なかの せいごう)氏が、大正15年3月4日の衆議院会議で、政友会の罵倒の中でおこなった『田中弾劾演説』というものがありました。⇩
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 「陸軍におきまして、今晩偕行社において地方における予後備将校まで連ねたる恢弘(かいこう)会という一つの会を開き、田中君の政界の関係において田中君の不正事件と政界における関係を糾弾し、これを陸軍の問題となし、これを政界の問題となさんとする会合が開かれんとしているのは事実であります。
 …いわゆるシベリヤ出兵の最高潮に達している際、陸軍大臣は田中義一君、而して、その次官は、…山梨次官、而して山梨次官の下に松木高級副官、この三人が陸軍省の中に跋扈しておった。大正9年から11年に至るまでシベリヤ出兵に無益の莫大の金を浪費し、この機密費のみでも4千万円に達するといわれている。これらの金を湯水の如く浪費して淫蕩遊蕩至らざるなく、天下をして陸軍の神聖を疑わしめたのは事実であります。(拍手と罵声)
 しかも莫大な金が、その金が紅葉屋銀行、田中銀行等に預けてある。その預金の名前は田中義一君及び政界に害毒を流したる山梨半造君、松木直亮君、この3人の名前を以て銀行に莫大な金を預けておる。(中略)
 かくの如き醜穢なる疑雲に閉ざされている田中義一君の出盧に際しては、政友会の領袖等が、…政治的陰謀を凝らしたということは、…金が無ければ(高橋是清)総裁もおっぽり出す。その次に金のある総裁をつれて来る。(中略)
 田中総裁が政友会に現れて以後、政界の動揺には常に金銭がある。金銭と共に壮士がある。金を使い、壮士を使い、虚偽の宣伝を逞しゅうして政界を糜爛せんとするは今日政友会の態度であることは何びとも認めておる。…君らのやり方はすべて金銭本位のやり方であると言われても仕方がない(議場騒然)。私は諸君がかくの如く吠えるときに人間に吠えられているとは思わぬ。犬が吠えているものであると思う。古語に桀狗堯に映ゆるという言葉があります。諸君の如き漫罵を聴いても、私は毛頭恥ずるところはない。」

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 。。。当然ですけど、、、💦💦😅
 中野正剛氏は、軍部から相当な逆恨みを受け、後々に自決に追いやられています。
 上⇧の、「金を使い、壮士を使い、虚偽の宣伝を逞しゅうして政界を糜爛せんとする」とは、前後に起こってたこんな現象のこと。⇩
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 「三瓶は、憲兵隊のほかに政友会の院外団にも尾け狙われていた。(中略)、3月16日、隠れ先から相馬由也に連れられて上京し、すぐに東京検事局に出頭した。このとき取調べの主任検事になったのが石田基である。石田は当時検事局切ってのやり手で、(朝鮮人の)朴烈(ぼく・れつ)事件や、この直後に起こった松島遊郭移転問題にも関係し、まさに鬼検事と呼ばれるにふさわしかった。今日でいえば、東京地検の特捜部長みたいな立場にあたる。
 世論は中野の議会における田中攻撃と三瓶の告発に大喝采を送ったが、軍部は逆に怒り立った。」

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 壮士、院外団、、、要するに、政治に金で雇われて暴力的な行為をする人達ですね。。。暴○団とかヤ○ザさんとか。
 はっきり言って、怖いです。😭😭

 それで結局、告訴状を出したはいいが、政友会が金で雇った反社な輩に尾け狙われ、居場所を転々とせねばならない生活を後悔し、三瓶元主計は不意に姿を晦まし、池上本門寺に駆け込んで『懺悔録』を書き、前の告訴内容は全くの嘘だと言い出したので、世間は2度びっくりした、といいます。

 小物で小心者の三瓶氏を脅すは簡単だが、憲政会所属の衆議院議員中野正剛氏は難しい。そこでどうしたか。
 『憂国同志会』や『国防協会』等の名の政友会+軍部の『院外団・右翼団体』へお金がジャブジャブ流れたんですね。。。
 中野正剛氏は、『共産主義第3インターナショナルのスパイ説』を捏造宣伝され、猛烈な攻撃が仕掛けられました。 
 そのために、衆院で査問委員会が連日開かれた結果、当然『事実無根』でした。

 この時、三瓶氏は懺悔して発言を撤回・雲隠れ。中野正剛氏の『赤のスパイ説』でっち上げも立ち消え、、、それでと言って、『機密費の費消問題』は消えないので、世間の注目はすべて『地検の石田基主任検事の取調べ動向』へ移ったそうです。ところが、、、
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 「ところが、当の石田検事は鋭意両方(松島遊郭事件と機密費費消問題)の捜査を進めていた矢先、東海道線の蒲田、大森間の線路の上に原因不明の怪死体となって発見されたのだ。
 そのため松島遊郭事件の方は公判を開いたものの箕浦勝人(憲政会幹部)は無罪となり、一方田中義一に対する三瓶、川上らの告訴による捜査はウヤムヤになってしまった。
 主任検事が死んだため扇のカナメが崩れたのである。この石田検事の死は、戦後の下山国鉄総裁の怪死とよく似ている。
 さて、機密費問題は、こうしてケリがついたかに見えたが、翌昭和2年2月の第52議会では憲政会に所属していた清瀬一郎が突然また追加質問を行った。清瀬は中野とは違った立場で機密費問題を調査していたのである。
 清瀬は演壇でこう演説した。

 「…ハバロフスクで反革命軍の首領カルミコフが金塊百万ルーブル、2百12貫を、日本の特務機関長五味大佐の承認を得たとして第30連隊長す菅大佐に預けた。これは大正11年2月日本軍のシベリヤ引揚げに当たって朝鮮銀行下関支店にしまいこまれたことは同銀行の帳簿に明らかである。
 翌12年殺害されたカルミコフに代わってウスリー・コサックの一味がこれを返してくれといってきたが、山梨陸相はロシアの公金であるといって拒絶し、のちにこれをウスリー・コサックに返却したと言明した。
 しかし、真相はコサックから預かり証を取り上げるとき14万円を渡したにすぎない。だから、94万円、つまり2百貫の金塊は、山梨や、田中総裁や、軍閥政治家の政治資金に流用された疑いが濃厚である。」

 清瀬がこの演説をしている最中、政友会の議員連中は突然壇上にかけ上がり、坂井大輔は清瀬の咽喉をしめ、堀切善兵衛は清瀬の頭を乱打し、演説の続行を不可能にさせてしまった。これが機密費問題追及の最後の線香花火だった。
 …田中や山梨が陸軍機密費を使い込んだのは、事実と思われるが、それを証明しそうな陸軍省の書類も敗戦時に焼却されてしまった。」

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 松本清張著『昭和史発掘』の第一話『陸軍機密費問題』は、この文章⇧で終わっています。

 どうでしょうか、、、その①に書いた通りの「金の亡者が群がるどろどろのストーリー展開に、度肝を抜く奇抜な結末」。。。
 最後は、議会壇上に現職国会議員が駆け上がり、喉を締め上げ、頭を乱打。。←国会議員の『先生』が、チンピラ・反社そのものです。。。💦💦

 なんとも都合よく、

 石田基検事は、怪死。。。
 機密費問題も、戦争のゴタゴタで焚書。。。

 それでも、印刷物の『公債』はいざ知らず、清瀬一郎氏の言った『ロシアの2百貫の金塊』が本当なら、”今何処にあるの?”、 という素朴な問題が現在も残ってます。金塊は消えずにあっちこっちを動いているだけ。。😅

 令和日本政治を見て見れば、、、

 宏池会の岸田首相ロシアを毛嫌いする理由は、案外金塊を返したくない積極的姿勢からなのかも。。。
 『台湾有事』はシベリヤならぬ『台湾出兵』で、機密費還流なのかも。。
 近年続々誕生の素性よろしからぬ若い国会議員らは、咽喉絞め・頭乱打の戦闘議員の予備養成かも。。(笑)


 
 
 
 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 
 

 

 

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