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関東大震災(1923(大正12)年9月1日)集団心理を煽り、漁夫の利を得ようとする者の正体

 以前、こんな記事⇒西田税(にしだ みつぎ)とベトナム抗仏志士を書きましたが、その後幾日も経たないで偶然松本清張著『昭和史発掘』(昭和40年)全13巻を入手しました。私がこの時代の本を読むのは、相も変わらず単に”クオンデ候””ベトナム志士”探しが目的ですが、13巻は大作なのでのんびり読み進めてたところ、今日は偶然ネット上でこんなニュースを見つけました。⇩
 関東大震災の朝鮮人虐殺裏付ける政府の新文書発見 陸軍機関作成 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

 あまりにタイムリーだ…、というのは、つい先日読んだ『昭和史発掘』第1巻にこの⇧虐殺事件の詳細…裏側がはっきり書いてあったからです。
 因に、この第一巻に掲載されているのは、
 -『陸軍機密費問題』
 -『石田検事の怪死』
 -『朴烈大逆事件』

 第一巻から時系列になっていて、読み進めて行くと最後の第13巻は『二・ニ六事件 判決、終章』で完結です。
 虐殺事件の事が書いてある章は、『朴烈大逆事件』章です。  

 この事件の内容は、簡単にいうと、朝鮮人朴烈が、その内妻金子文子と共謀して、爆弾をもって摂政宮(現天皇)を暗殺しようとたくらんで爆弾の入手を準備中だったというほどのことである。しかし、準備とみるには何一つ具体性のないことだった。だが、両人には大審院で大正15年3月25日死刑の判決言い渡しがあった。
          (松本清張『昭和史発掘 1』)

 大正時代末期-昭和前夜は、本当に色々な事件が起こってます。この事件(朴烈は9月3日、文子は4日検束)の詳細はさて置き、松本清張氏の言う様に、「だが、この場合、それはどちらでもよいことで、まず、この『大逆事件』の正体を見きわめることが大事であろう。」とのことで、その正体を抜粋してみます。⇩

 それには、この事件が大正12年9月の関東大震災時に起こった朝鮮人大量虐殺事件の直後であったことに気が付かなければならない。この問題が無かったら、朴烈と文子の大逆事件は生まれなかったであろうからだ。
 関東大震災のとき、不逞朝鮮人が徒党を組み、日本人を襲撃してくるという噂がとんだ。彼らはすでに各地で暴行行為を恣にしているという「情報」がまことしやかに伝わったため、東京市内を中心として周辺の各郡部にも軍隊、警察官が出動し、民間人によって自警団が組織された。
 そこで朝鮮人とみたら有無をいわさず皆殺しにしてしまえということになり、各地の要所要所には検問所を設け、軍隊は武装した兵士を立哨させ、警官も自警団と一緒になって、少しでもなまりのおかしい者や、朝鮮人らしい顔つきも者は、かたっぱしから連行して一か所に集め、日本刀や木刀その他の兇器で殺してしまった。死体に油をそそぎ、火をかけて犯跡をわからなくしたものもある。なかには、東北出身者のように、言葉の明瞭でない日本人も間違えられて殺された者が相当あった。
         (松本清張著『昭和史発掘 1』)

 この⇧、「言葉の明瞭でない日本人も間違えられて殺された者が相当あった」とは、最近映画化もされた『福田村事件』(9月6日に千葉県東葛飾郡福田村で発生した香川の薬売り行商団虐殺事件)もその一つですね。
 恐怖に心が支配された人間は、正常な判断を簡単に失うものです。関東大震災という未曽有の大災害で、家が潰れ、家財を失い、交通インフラが遮断され、親子兄弟、親族が死ぬという辛い現実の前で、
 ”これから襲撃者が来るぞーー!”
 なんてどこかで叫び声が上がったら。。。正常な判断なんて一般人にできる訳ないです。そんな時こそ、国家政府がピシっと仕切って公権力を使い、暴動を未然に防ぎ、物資の配給、インフラ再開、被災者救済に尽力…の筈が、この時の日本(政府)はそうじゃなかった。⇩

 当時は新聞も発行できず、電柱に特報の紙がはり出される程度だから、これに意識的なデマを書いて掲示するぐらいはわけはなかった。
 事実、この流言蛮語は、軍や警察が自ら流した。権威筋の言葉ならうのみに信じる日本人の特性として、朝鮮人に対する恐怖は憎悪心に変わったが、この根元にはいずれも朝鮮人への日頃の蔑視があり、そのための怯け目がある。
 折から火煙はまだ諸方の空を蔽っている。この異常な情景と食糧の不安とが、群集心理を駆って、軍隊を先頭として大量虐殺へ赴かせたのであった。
         (松本清張著『昭和史発掘 1』)

 なんとー!軍と警察が自らデマを流して、国民の恐怖心理を煽って殺人に駆り立てたという。。😭😭  ここで、”何でそんな必要が?”と素朴な疑問が。まだ戦後言われる”軍部の暴走”はない頃です、上意下達の徹底した組織である軍・警察へ、指示はどっから来たの?、と考えれば、これはもう『日本政府』しか有り得ない。😅
 松本清張氏の見解は、⇩

 いずれにしても、このデマの根元は、政府が意識的につくったと思われるふしがある。
 これについて、こんな見方もあるー震災当時の内務大臣は2人いたが、この二人とも中々の曲者である。一人は、9月2日まで内務大臣をやった水野錬太郎で、水野は米騒動のころ内務大臣で、食糧難からくる暴動の恐ろしさを十分に知って居た。それだけでなく、植民地統治者として朝鮮の有名な三.一暴動のあとに政務総監になった男だが、彼が斎藤総督と一緒に京城につくと、さっそく朝鮮人から爆弾を投げられた話も有名である。水野が京城に来てからのち、朝鮮の統治状態は悪化するばかりであった。(中略)朝鮮人虐殺をけしかけたのは、食料暴動のおこるのをふせぐため、民族増悪の感情をかきたてて、政府に向かう民衆の反抗を朝鮮人に向けたものであろう、という説だ。(山辺健太郎「現代史資料月報」)
         (松本清張著『昭和史発掘 1』)

  内憂外患の所に来て、未曾有の大震災。”すわっ、米騒動か~~!”の極めて官僚利己的な恐怖心から、デマを流させ軍と官憲を使って民衆の目を罪なき第3者に向けたという・・・。しかし、国内では隠せても、世界的には大批判を浴びてしまったというお粗末な展開。。⇩

 朝鮮人虐殺の報が世界に伝えられると、日本政府に対して激しい批難が起こり、日本の植民地政策の野蛮が攻撃された。朝鮮では同胞の大量虐殺に憤激するとともに、独立運動の統一機運が前進した。(公安調査丁「朝鮮民族独立運動史」)
 朝鮮内の反抗運動は総督府の弾圧でなんとかおさえられたが、おさえきれないのは外国の日本に対する悪感情である。
        (松本清張著『昭和史発掘 1』)

 要するに、関東大震災発生時に日本に滞在した外国人らが、独自に情報を発信することまで日本政府は止められなかったのと、勿論今がチャンスとばかりに外国による干渉-デマも誇張も工作員も含まれ初めると、外交問題になって収拾がつかなくなる。結局、世界中からの非難や在日各国大使連名の抗議文書が送付されたりと、日本政府はこの非難の対応に腐心したので、それでその矛先をかわす目的で、普段から危険人物としてマークしていた無政府主義者の2人朴烈と金子文子『大逆事件』で検挙したという流れのようで、、、「ともかく、こういう実体がその後に暴露しかけたので、政府自体が狼狽し、いわゆる大逆事件をでっちあげる因になったと思われる。」と松本清張氏も書いてます。
 では、なぜ無政府主義者に政府が目を光らせていたのかを考えるに、彼等の主張を取り挙げてみます。⇩

 国家は、人間の身体、生命、財産、自由を絶えず侵害し、蹂躙し、却略し、脅威するところの組織的大強盗団である。大規模の略奪株式会社である。法律とは、国家という大強盗団の、国家という略奪会社の、専売を憎悪し、それに反抗する者に対する脅迫である。議会とは国家という大強盗団の代表者会である。国家および略奪会社の株式会社の代表者会である。
      (朴順植(朴烈) 第二回予審訊問調書)

 纏めますと、今朝私の目に入った新聞記事タイトルは、「関東大震災の朝鮮人虐殺裏付ける政府の新文書発見 陸軍機関作成」で、日付は昨日12月14日『スクープ』赤文字入り
 丁度タイムリーに松本清張『昭和史発掘』を読んでいた所だったので、違う意味でびっくりしました。”ええっ!スクープか??” 😅😅

 松本清張氏は有名な作家です、日本国中に読者が沢山、『昭和史発掘』も普通の古本屋さんで購入でき、機密文書でも何でもない、そこにはっきり書いてます。⇩
 「東京市内を中心として周辺の各郡部にも軍隊、警察官が出動し、民間人によって自警団が組織された。」
  「いずれにしても、このデマの根元は、政府が意識的につくったと思われるふしがある」

 
 昭和40年(1965年)は今から59年前。今までどれ程の人がこの本を読み、令和5年に至ってもまた私のような主婦までが読んでいる。。😅
 それなのに、今頃『スクープ』、は無い筈ですよねぇ、、💦💦 この類の報告書は、当時日本政府の指示で作成された訳で、作った側なら、今も破棄されていない地方役所がまだまだあるの、知ってますよね。 
 とすれば、やっぱり昨日の『スクープ』、、、政府が出した?(笑)😅

 あ、もしかして裏金パー券?。。。(笑)


 


 

 
 

  

 
  


 

 

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