ホーチミン市で会った日本の新興宗教と創価学会の方々 ~私のベトナム備忘録😅~


 今回も、一風変わった😅私のベトナム滞在の記憶を備忘録にして置きたいと思います。

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 娘が小学校低学年の頃だから10年前位と思いますが、休日にホーチミン市一区のレ・バン・タム公園のベンチに座っていた時、向こうの方から清楚な服装に如何にも真面目な風貌の女性2人がニコニコしながら近づいて来ました。
 ”。。あれ、このシチュエーションは、どこかで見た事があるなあ、、”
と思いながら座っていると、2人は、
 ”こんにちは~、今お時間宜しいですか~?” そして、”今、幸せですか~?” 
 こ、これは、、、もしかして~?と思って尋ねると、
 ”え、どうして解かったんですか? はい、エホバの証人です。日本の。”

 おお~、こんなところで会うなんて。。(笑)
 しかし、何処の国でも”あの勧誘スタイル”は変わらないんだな、と判って何故か懐かしい気分になったのを覚えてます。。😅😅
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 それと8年位前かな、当時働いていた日系企業のお手伝いさんのBさん(当時50歳位)が、”親戚の娘さんが日本の会に入っているのよ~。”と教えてくれ、Bさんの話を総合すると、”金”、”光”、云々、、という事で、どうも”金光教”??だった様な記憶があります、詳しくは分りませんが。。。
 ついでに、その頃に久しぶりにカンボジア在住の友人がベトナムに来た時のこと。その時は奥様(日本人)を同行しており私は初めて会ったんですけど、初対面なのに何故か、”あなたを救いたいから、必ず読んで欲しい。”と言われて渡された本が、この本⇒強運: あなたの運がドンドンよくなる | 深見 東州 でした。。😂😂😂
 「今より運がもっと良くなる」という内容かと思ったら、「先祖が苦しんでいる、方角が悪い、お墓が悪い、悪霊が悪い、OOが悪い、XXが悪い、云々…」ということで、結局「除霊しないと、貴方の将来は絶望!」という内容(と私は理解した)で、霊とか怖いので本は処分しました…。(笑)
 因みに、東京本部で除霊を受けると、一時間位お経を挙げてくれて3~5万円也だそうです。😂
 その時聞いた情報は、このワールド・メイトという新興宗教は、”かなり以前からカンボジアに多大な寄付をしててかなり手広く進出しているのよ~。”ということでしたけど、なんでカンボジアなんだろ? 何か理由があるのでしょうか、判りませんが。。。

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 さて、ホーチミン市に居ても結構日本の新興宗教に出逢うことがあるものですが、その中でやはり、一番強烈に私の印象に残っているのは『創価学会の方々』です。。。

 娘が小学生の頃の事。
 在ホーチミン市の日本人子弟向け私塾を開いていた70歳前後の日本男性がいて、私の娘も隔週で塾に通ってました。ある日、塾で私の古い友人にばったり再会し、友人が私のことを、”ベトナム語ペラペラで凄い通訳さんなのよ~!”と大声で褒めちぎるという珍事が有りました。。。(笑)
 その日以来、それまで殆ど話したことのなかった塾のお爺さん先生に話しかけられるようになり、自分は創価学会員だとか、OO商事の駐在員Xさんも、XX銀行の駐在員Yさんも皆学会員とかの話を聞かされることが増え、”はぁ~”とか、”へぇ~”とか、”そうなんですかぁ~”と気の無い返事を返していた或る日、”これを読んで下さい。”と神妙な面持ちで手紙を渡されました。
 家に帰って開けるとなんと、血判状といったら大袈裟ですけど、自分のベトナムでの使命とか、これからのベトナムでの活動とか、壮大なる創価学会のベトナム活躍計画が和紙に延々と書かれてあり、そこにこうありました。
 ”貴方を初めて見た時から、どこか寂しそうな、悩みを持っている方だと拝見しました。…どうか、力を貸して欲しい!貴方の力をベトナムの発展に、世界平和に捧げて欲しい!”

 。。。なして、私が。。?? (笑)😅😅

 文面を眺めながら、何となく思い当たる節もあり、それで漸く合点が行きました。”ああ、そうかー、あの人現地で使える『鉄砲玉』を探してたんだ。” と。 だって、私の宗教・信仰に関しては一度も質問されなかった。😅
 
 その何か月か後に、娘を連れて日本へ行く時にタンソンニャット空港のベトナム航空カウンターに並んで居た時のこと。
 前に並んでいた50代位の男性が、私達母子の会話が聞こえて振り向き元気よく話しかけて来ました。
 ”日本人ですか~?私達はSGIです。SGI!知ってるでしょ~?有名でしょ~? 創価学会インターナショナル だよ~!”

 。。。全く存じ上げませんでしたが。。。
 ベトナムから韓国へ向かうというこの3人組の男性は全員韓国人で、一人だけ日本語ペラペラの男性が私の娘を見て、
 ”わー、可愛いな~、凄い綺麗な子だ!!”と叫ぶと別の男性に韓国語で何やら話しかけました。振り向いたその少し若めの男性は、私の様な素人の堅気のおばさんでも一目で判る只者でない空気で、何と云うか若かりし頃の銀幕の中の菅原文太(←ちょっと古すぎか。。😅😅)のような凄み。ぐいっと娘の顔に自分の顔を近づけてじーっと見つめること数秒。娘は見事『ガマの油売り口上のカエル🐸』如くとなって脂汗タラタラと硬直し、私が声を掛けるまで動けなかったです。
 その時に何となく、これがもしかしてほんまもんの『鉄砲玉』か…。だとしたら、いやー私なんて絶対に無理だったよと。😭😭
 やっぱり、『君子危うきに近づかず』が一番。😂

 以上、なんてことない個人的な想い出ですが、ベトナムで会った日本の信仰宗教括りで備忘録にしました。。

 これまでNOTEに仏領インドシナ史に関して記事を投稿してますが、戦前仏領インドシナ・東南アジアに最も進出していたと言われるのが『天理教』でしたよね。大南(ダイ・ナム)公司の社長だった松下光廣(まつした みつひろ)氏も熱心な天理教信者だったです。
 そして、その当時に松下氏がバック・アップしたベトナムの新興宗教『高台(カオ・ダイ)教』は、設立2年目(1928年)に『大本(おおもと)教』が渡越して占卦を伝授したと記録に有り。
 さて戦前・戦後では、東南アジアに於ける日本の信仰宗教の勢力分布図に一体どんな変化があったのか。。。私なんかには全然判りません。(笑)😅😅

 でも、ある本にこんな文章を見つけたので、おまけで下記に抜粋して置きます。
 先日投稿したこの記事⇒南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ①でもご紹介した、「2007年1月13日「インドシナ戦争聞き取り会」に於ける、1921年ハノイ生まれの日本人、小田親氏からのこの聞き取り記録」から。⇩

「・・・・・
 質問:話が広がりましたが、どうですか。ベトナム関係で何かご質問があれば、何しろ1930年代、40年代頃のことですから…今お聞きしておかないと。
 小田:歳取ると、昔のことはたまに思い出すことができるけど、最近の出来事は忘れてしまうですね。
 質問:先生、インドシナ商工業株式会社ですけど、これは主にどんなことをやるのですか。
 小田:それはね、台湾拓殖株式会社の子会社で、主に鉱山…鉄鋼山の開発、輸出ですかね。台湾拓殖というのは日本の国策会社です。ですから、いろんな特殊機関の連中が入っているわけですね。
 質問:昭和14(1939)年に軍属になられたわけですね。
 小田:そうですね、39年…あれは、そうです、国境監視団ですか、その通訳に当たった。それで、
仏印進駐が手間取る間に、軍部の方で、私を広東まで飛行機で連れて行った。初めて飛行機に乗ったのですが。その時に、近衛師団の西村旅団に配属されたわけです。これが中国のどこかの港から、海南島経由で、ハイフォンの沖に…。旅団長は西村中将です。この人は武官としてフランスに居た人なのですよ。(中略)
 質問:日本軍が入る前にベトナムには仏教寺院、仏教僧とか天理教の伝道師が入っていませんでしたか。
 小田:当時、何年昔?
 質問:1940年前後ですね。
 小田:あのう、後になってね。ダニム(ダム)工事の頃ですから、50年代ですか。戦後の話ですが、創価学会の方が、これも大南公司のスタッフですね、サイゴンに居たですね。あとで警察から文句言われて、彼はたしか日本へ返したのではないかと思いますがね。
 質問:要するに、宗教活動に対しては、ものすごく厳しいのですね、公安は。他のことは別として、宗教活動に対しては特に厳しい。回向院さんが向こうで教育活動をやろうと思っているけれど、『宗教活動は一切やらない』という一札をとられたとか、ね。
 質問:わたしがサイゴンで、最初に雇った助手が創価学会だったですよね。
 小田:ベトナムにはカオダイ教というのがありますね。今でも存在しますよ。」

    阿曽村邦昭編著『ベトナム 国家と民族-第8章終戦直後の日越関係と賠償交渉』より

 

 

 

 

 
 


 
 
 

 

 


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