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大東亜戦争とベトナム

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戦前の我が日本国と、フランス領植民地だった仏領インドシナーベトナムの間にあった過去の出来事を掘り起こしてます。ここでは、主に大東亜戦争に関連するものをまとめてます。
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#仏印平和進駐

東遊(ドン・ズー)運動を支えた近代ベトナムの恩人、霞山公近衛篤麿(このえ あつま…

 明治末期に、フランス領印度支那(インドシナ)と呼ばれていたベトナムから、祖国解放・独立…

何祐子
1年前
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仏領インドシナの北部ベトナムに眠る『露天掘り炭鉱群』のこと

 戦前の仏領インドシナ連邦関連書籍を読んでいると、『北部ベトナム(=トンキン地方)露天掘…

何祐子
1年前
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ベトナム武術 VOVINAM(ヴォヴィナム)-Võ Việt Nam(越南武道) 

 ”えっ、ベトナムにも独自の武道が??” -大半の日本人はそう感じると思いますが、ベトナ…

何祐子
1年前
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仏領インドシナにあった日本の旧高専校『南洋学院』のこと

 近年ベトナムに駐在、或いはビジネス関係の日本人の方でも、『南洋学院』を知る人は多分殆ど…

何祐子
1年前
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ベトナム抗仏志士リーダー達のその後

 私が出版した翻訳本⇒「ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽 - クオン・デ候: 祖国解放に捧げ…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その②

その① 仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その① からの続き…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その①

 『日本と仏印(仏領インドシナ)』の最も重要な出来事に1940年の『(北部)仏印平和進駐』があります。この時は『第2次近衛文麿内閣』でしたから、関連書を読んでいるとこの時の内閣の関係者、要人のお名前を目にすることが多いです。  不思議ですが、戦後日本では日本の大東亜戦争史解明にとって極めて重要なカギを握る『仏印史』が見事にすっ飛ばされているような印象を持ちます。このままでは完全に埋もれてしまいかねない。。。一度完全に埋没してしまえば、再度掘り起こすのは容易なことではない、、と

ベトナム国旗の“風変りな”話 

 現在のベトナム国旗と言えば、赤地に黄色い星です。赤い旗は共産党のシンボルカラーですね。…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛文麿内閣』外務大臣松岡洋右のこと その(1)

 本当は、『本の登場人物と時代背景に関する補足説明(19)』にしようと思っていたのですが…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛文麿内閣』陸軍大臣・東條英機のこと その(2)

 「宣誓供述書」の『南部仏印進駐問題』の項からです。⇩  1940年9月からの北部仏印駐…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛文麿内閣』陸軍大臣・東條英機のこと その(1)

 ベトナムに永く住みましたお陰で、いつからかベトナムの仏領インドシナ連邦当時の歴史探索が…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ、ドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その②(再)

 その①仏領インドシナのドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その①(再)|…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ、ドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その①(再)

 私の『本の登場人物と時代背景に関する補足説明①~⑲』本の登場人物・時代背景に関する補足…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ連邦の基本情報

 浅学非才の平凡な主婦が、どういった縁か不思議な現象に促されて、本を翻訳出版したり、こうやって文章を書いたりしているのか。はっきり言って、私本人にも分かりません(笑)。ただ、全て何事かの力に動かされている様に思います。もうそろそろ出番が来たのだ、ベトナム志士達もそれを望んでいるのだ、そしてその白羽の矢が当ったのだから、やらねばならぬ。そう自分自身で思い込むことに決めました。。。  ベトナム史に興味を持って頂いた方の為に、当時の仏領インドシナ(仏印)の基本情報を纏めて置きます