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1999年7月、ゲームセンターで世界の滅びを願う。

 1999年7の月、恐怖の大王がやってきて世界を滅ぼすだろう。
 世間はノストラダムスの予言に怯えていました。少しの期待とともに。中学校を卒業したばかりの私も例外ではなく、特に不自由のない生活を送りながら、この刺激のない世界の滅亡を願うという、ありふれたティーンエイジャーの一人でした。これはそんな日の風景の記憶。

 昼休み終了のチャイムまであと5分、午後の授業は体育から。マラソン大会が近づいているので、当然のことながら長距離走だ。男子は5km。人間の走る距離じゃない。憂鬱なつぶやきが聞こえる教室をそっと抜け出して、僕は保健室に向かう。保健室のドアを開けると、女性の保健医が訝し気に視線を投げかけてきた。僕はうつむきながら近づいて「体が重くて頭痛もひどいんです」と告げる。全くの嘘ではない。さっきから、自分は頭が痛い、自分は頭が痛い、と心の中で何度も言い聞かせていた。以前、世間を騒がせていた宗教団体の言うところのサブリミナル効果というやつだ。暗示のおかげで、実際に体が重くなってくる。病人を演ずる役者のように、今にも消えそうな声色で、自分がいかに苦しいかを保健医に訴えかける。彼女の表情を見ると、顔色が変わったような気がした。同情の色かそれとも呆れ顔か。とりあえず熱を測れ、と渡された体温計を腋に挟み込み、荒く息を吐きながら、体全体に力を込める。どんな名俳優でも平熱ならば話にならない。ここからが勝負。体が熱くなり額から汗が流れる。体温計から電子音が鳴ると、デジタル表示は36度9分。悪くない数値だ。少し高めの平熱ともいえるが、決して仮病だとも言い切れない数値。保険医は諦めたような表情でこう言った。「これからどうしたい?保健室で休む?」
「いや、家で休みたいので早退させてください。」
 勝った。僕は心の中でそう思った。

 無事、早退の権利を勝ち取った僕は、校庭で準備体操をしている同級生を尻目に、空っぽのカバンを持って校門を出た。もちろん家とは反対方向の、駅方面へ向かい自転車を走らせる。さっきまで自分に思い込ませていた体調不良の暗示はすでに消え、心も身体も羽のように軽い。目的地は4丁目のゲームセンター。毎日のように通っている店だ。夕方、学校が終わり、知った顔が集まってくるまで、まだしばらく猶予がある。それまで一人でゆっくりとゲームの練習でもするとしよう。

 できる限り人目につかないよう、路地を通って裏口から店に入ると、昼2時のゲームセンターには、すでにきつい煙草の煙が充満していた。麻雀ゲームをしているオッサン、ゲームをするでもなく椅子で休んでいるオッサン、その他のオッサン。オッサンばかりしかいない。彼らはどうやって生計を立てているのだろう。こんな大人にはなりたくないと心に誓うのと同時に、店の経営は大丈夫なのか心配してしまう。どう見ても金を持っていそうにない大人たちと、実際に金をもっていないたくさんの学生。ゲームセンターの未来はこの頃から暗雲が立ち込めていた。
 僕が向かう先は、店内中央に置かれている最新の格闘ゲーム。毎年新作がリリースされるシリーズで、前作からやり込んでいるゲームだ。流石は最新作だけあって、閑散とした店内にも関わらず、すでに誰かがプレイしている。様子を伺ってみるとガラの悪そうな他校の生徒が3人。プレイしている一人と、周囲の台から椅子を持ってきて座っている取り巻きの二人。なんでこんな時間にいるんだよ。まだ学校の時間だろ?と、自分のことを棚に上げて、声には出さず悪態をつく。
 プレイを見る限りは大したことはなさそうだ。コンピュータ戦をクリアできる程度で、攻めのパターンは単調に感じる。おそらく対人戦の経験が乏しいのだろう。店内が賑わうのは夕方以降だから、それまでの暇つぶし兼ウォーミングアップにはちょうどいい相手かもしれない。僕は台の反対側から100円玉を入れる。

 対戦が始まった。思ったとおり、ジャンプ攻撃を起点とした攻撃一辺倒で、防御が甘い。一度転ばせれば、こちらの起き攻めには対応できないようだ。負ける要素はないので、適当に手を抜いて、序盤は相手に花を持たせつつ、最後はこちらがまくり返す。そんな勝負を何度か繰り返すうちに、気がつけば、こちらの連勝数は10になっていた。なんで勝てもしない勝負にムキになるのだろう…。勝ち続ける度にだんだんと不安になってくる。相手がある程度の腕前なら、連勝しても何も問題はない。自分が負けた理由を理解できており、引き際を心得ているからだ。しかし相手が下手で、しかもガラが悪い場合、行き過ぎた勝利には危険が伴う。

 往々にして悪い予感は的中するものだ。11連勝の表示が付くと、3人組が席を立ち、僕の背後に回ってきた。
「お前、卑怯な手ばっか使ってんじゃねーぞ」
 卑怯なことなどした覚えはない。むしろ手心を加えてやっていたつもりなのだが。理不尽な声に対し、言いがかりをつけるなよと言い返すも、悲しいかな、私の声と足は震えている。相手は3人。何かガヤガヤ言ってくるが、彼らの言っていることがまったく頭に入ってこない。テンパって頭が真っ白になっている。ただ一つ聞き取れるのは、とりあえず外に出ろという言葉。どう考えても外に出たらまずい。外に連れ出されたら最後、近くの路地でボコられる。というのは、どこのゲームセンターでもよく耳にする話だ。周りの様子を伺うが、近くに店員はいない。いや、店員がいたとしてもこの状況を止めてくれるとは思えない。もちろん店内にいるくたびれたオッサン達が助けてくれるはずもない。とりあえず適当に言い返しながら、外に出ないようにするための時間稼ぎを試みる。だが、しびれを切らしたヤンキー達は、店内にも関わらず、僕の足に蹴りを入れ始めた。痛みよりも逃げ場のない不安で体が強張ってしまう。絶体絶命だ。

 その時、入口のドアが開いた。5人の学生が入ってくる。横目で見ると僕を囲んでいる3人組と同じ制服のようだ。最悪の展開。
 と、思った瞬間、5人組の一人が僕に声をかけてくる。
「よう○○(僕の名前)。今日は早いな。学校休み?」
 よく見ると、昔からツルんでいるゲーム仲間のKだった。2歳年上の高校三年生。とは言っても今まで先輩だと思って接したことはないが。周りの4人もゲームセンターの常連で顔見知りだ。
「午後からフケてきたところ。」できる限り冷静を努めて僕は答える。
「不良少年め。(3人組を指さして)こいつらは、○○の知り合い?」
 Kがそう言うと、3人組は明らかに戸惑っていた。
「いや、全然知らない。俺のことを卑怯だとか言って因縁つけてきた。」
「そんな奴らほっといてこっち来いよ。今日は別のゲームやろうぜ。」
 そう言ってKは僕の手を引き、店の奥へ引っ張っていく。3人組は追ってこない。少しの間、こちらを見ていたが、すぐに背を向けて入口の方に向かっていった。離れ際、3人組の一人が、僕の尻に蹴りを入れてくる。クソっ。だが、とりあえず窮地を脱することはできた。
 Kが笑いながら言う。「ダセーな○○。あんな奴らにビビってんなよ。」
「別にビビッてねーし…」そう言いながら、Kに感謝していた。一緒に遊んでいる時は、すぐ勝負にムキになる、年上どころかむしろ子供っぽい印象しかなかったのに、今日のKは僕よりもずっと大人のように感じた。と同時に、自分の幼さに情けなくなる。 
 1999年7月は始まったばかり。ノストラダムス曰く、今月中に世界が滅びるというが、どうせ滅びるなら早い方がいいのに。例えば明日とか。そんなことを考えているとKが声をかけてきた。
「今日の帰り、みんなで8番らーめん寄ってこうぜ」
 その言葉を聞いて僕は思い直す。世界を滅ぼすのは7月末にしよう、と。

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