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ポスト・ムービー・トレイル〈1〉──近くて遠いケアの世界

私たちは、どんな時代を生きているのか──。

私(わたくし)の記録と記憶の価値に着目するアーカイブ・プロジェクトAHA!は、東京・世田谷の各戸から提供された8ミリフィルムのアーカイブサイト「世田谷クロニクル1936-83」の利活用に取り組んでいます。

家族の団らん、レジャー、社員旅行といった昭和のホームムービーには、「現在」という時代の価値観をくっきりと浮かび上がらせてくれます。世田谷を中心に地域での暮らしや在宅医療の現場でリサーチに取り組む神野真実さんに聞きました。

「このホームムービー、どんなふうに使えますか?」

連載第1回(全6回)

文=神野真実(デザインリサーチャー)
1994年生まれ。祖父の死をきっかけに、耳の不自由な祖母(当時86歳)が引きこもる姿を目の当たりにし、人の死からはじまる新しい生活への移行と地域社会のあり方に関心をもつ。「かつて暮らしの延長にあった老いや死を、どのように日常に取り戻していけるのか」という問いのもと、ケアの現場の内と外をつなぐデザインプロジェクトを実施。世田谷区を中心に在宅医療を提供する医療機関の運営にも携わる。


ポストムービーがとどく

2022年6月24日 10:50-11:20
自宅にて

出かける準備をしていたところでポストムービーが届いた。『世田谷クロニクル1936-83』の映像目録だ。カッターで封をあけると、84葉のポストカードそれぞれに8ミリフィルムのワンシーンが印刷されている。カードを繰るごとにだんだん時代が遡り、色あい、装い、髪型が変わっていく。現在に残る世田谷の風景もいくつか。

子どもたちが写ったカードがよく目に付く。最近、インスタグラムのストーリーに同級生の子どもの映像が増えてきて、なんだかそれを見ている気持ちと重なる。撮影機やフィルムが貴重な時代も、残しておきたい瞬間に大きな違いはないのだろうか。

今日会う予定の尾山さんと、まずは一緒に見てみようと思う。


2022年6月24日 19:30-21:00
桜新町アーバン在宅医療部にて

尾山さんは、世田谷区内を中心に在宅医療を提供する桜新町アーバンクリニックの訪問看護師で、私の勤め先であるメディヴァがクリニックの運営を担っている。訪問看護の面白さや課題、ケアする者のまなざしを私に教えてくれる存在だ。

「面白いものを手に入れました。昔の世田谷の映像、興味持ってくれる人いますかね?」と尾山さんに話を振ると、手際よくカードを見ながら、

尾山 お、玉電じゃないですか、駒沢オリンピック公園も!玉電の話題はみんな(患者さん)に絶対ヒットすると思うなぁ。駒沢オリンピック公園とか、昔の街並み、母と子どもとかもヒットするんじゃないかなぁ...翻訳すれば楽しめる人も結構いると思います。

と、明るい反応をもらった。

ところで、こうして私が尾山さんに話を持ちかけたのは、数日前にAHA!の水野さん、松本さんから、「世田谷クロニクルを使ったこれからの取り組みを、一緒に考えてもらえないか」という話をいただいたからだ。彼らはこれまでの活動を通じて「映像を使って話すことと、ケアすることには親和性があるのではないか」という仮説に至り、ケアの領域で活動する私に声をかけていただいたようだ。

私自身は医療者ではなく、インタビューや観察を通じて発見した「問い」に基づき、さまざまな関係者とチームを組んで、ものや仕組みを作るデザインリサーチを専門にしており、ふだんはクリニックの運営に携わっている。

彼らと初めて打ち合わせをしたとき、言葉の端々に「ケアの領域と関わる慎重さ」が感じられた。正確には、どう関わっていけばよいか丁寧に検討したいという思いが伝わってきた。

その慎重さにはとても共感するところがある。デザインの業界から、ケアの業界に飛び込んできた私も、当事者や医療・専門職ではない自分がケアについて語ってよいものか、自らの発言が誰かを傷つけてしまわないか、とナーバスになる局面が多々ある。

一方で、個人の暮らしや人生に焦点を当てた在宅医療のあり方や、医療者たちの姿を通して見聞きする個人の物語は豊かなものが多く、運営の立場にいる私も、人々の暮らしに入り込んだ取り組みがしたいと思っていた。

何をやるのか、は明確には見えてこないけれど、何か一緒にやることで見えてくることや、伝えられるものがあるかもしれない。そんな感覚をたよりに、まずは、ポストムービーを携えて世田谷のまちを歩いてみようと思った。

今度、尾山さんと魚徳[桜新町商店街にある居酒屋]にご飯を食べにいこうと話していたところだったので、その時にも持って行ってみようと思う。映像を使って、人と話すということに少しずつ慣れていきたい。

きょう見た映像
No.65 - 消え行く玉電(昭和44年2月–5月11日撮影 )
No.36 - 区役所(昭和36年頃撮影)


訪問看護師・尾山さんとゆく居酒屋・魚徳

2022年6月28日 20:00-21:50
魚徳にて

クリニックのメンバー御用達の魚徳は、創業80年を超えるご飯屋さんで、このまちの生き字引。コロナ禍で外食できない時期が続いたため、久しぶりの訪問になる。店に入るなりお母さんの顔がパッと明るくなる。尾山さんに話したかったことがたっぷりあったようだった。

ナスの煮浸しにハラス、ご飯と味噌汁を食べ終えて、少し落ち着いてきたころで、私が話をどう切り出そうかモジモジしていると、尾山さんが「ちょっと面白いものを持ってきたんですけど、これ見てもらえますか? …昔の世田谷の映像。玉電のがね、ダントツ面白かったです」と軽やかに話をはじめる。

さっきまで魚が乗っていたカウンターにポストムービーを並べ、魚徳のお父さん、お母さん、常連さんも交えて玉電の映像を見る。

No.65『消え行く玉電』 4:12

 これどこだろうな、道がわかれているから三軒茶屋だろうな。道路の邪魔だから、ジャマ電ジャマ電ってよく言って。ここ(魚徳)から渋谷に行くまで2時間、3時間かかったんだよな。下の道がないから。

 (お父さんの方を見ながら)高校の時は玉電乗っていってたってね。いいよね。なんだか雰囲気あって。

 玉電の車体、四角いやつから芋虫みたいな電車に途中で変わった。

尾山 そうなんですね、途中でモデルが変わったんだ。

 (尾山さんと私に向かって)路面電車って、馴染みあります?

尾山 ないない、世田谷線くらいしかない。

 あれって危ないの、自転車だと線路の隙間に挟まっちゃう。

神野 もってかれちゃうんだ。

尾山 え、あぶない。そっかー。

 あれ、いつごろ廃線だろう?

常連 (携帯で調べながら)1960年に廃線され、今の新玉川線は1977年開業だって。

 じゃあ50年近くになる。玉電の駅は昔どこにあったの?

 (魚徳の外を指差しながら)そこ出たところ。

 あ、三井銀行のところ?

 三井銀行の前にちょっと高くなった台があって...。

 ふーん。その次の停留所は?どのくらいの間隔?

常連 だってトウデン[東京電力の世田谷事務所]の前にもあったんですよね?

 次が新町、駒澤?

尾山 じゃあ結構、近い間隔で駅があったんですね?

常連 トウデンの前に果物屋さんとかスナックがあって、何でこんな場所にスナックがあるのかと思ったら、当時は駅前だったんだって。

神野 へー!それで。

尾山 あの、トウデンのところ、野球できるスペースだったって90歳くらいのおじいちゃんが言ってましたね。

 トウデンが全部なくなったらできるだろうね。結構広いんじゃない?

玉電の駅を辿るようにしながら、あそこの蕎麦屋は同級生、あっちの居酒屋も同級生…と、地域の話は広がった。このまちは、生まれ育った人たちに支えられていることも知った。

「こういう映像に興味がありそうな人、紹介しようか?」魚徳のお母さんは桜新町商店街振興組合・婦人会のリーダーで、組合のメンバーを後日紹介してもらえることになった。たしかに、商店街のインスタグラムには、昔の商店街の写真がたくさん投稿されていて、映像と重なる時期のものもありそうだ。世田谷の映像が、様々な時代へ、場所へと私を連れて行ってくれ、地域と関わる道具を手に入れたようでもあった。

魚徳のお母さんとお父さん[写真は12月に訪問した時のもの]

きょう見た映像
No.65 - 消え行く玉電(昭和44年2月–5月11日撮影)
No.36 - 区役所(昭和36年頃撮影)
No.53 - 駒沢オリンピック(昭和39年頃撮影)

第2回につづく)

文=神野真実(デザインリサーチャー)
写真=尾山直子(看護師/写真家)


ポスト・ムービー・トレイル──昭和の8ミリを携えて街を歩く
1 近くて遠いケアの世界
2 桜新町の今昔を歩く
3 ケアの現場に近づいて
4 チエコさんのおうちへ
5 看護師たちとふりかえる
6 受け取ることからはじまること

※ 本記録に登場する、患者さんの人物名は一部仮名です

GAYA|移動する中心
昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]